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にこにこ、にっこり 4

 少し早めの昼食は、ミートソースのスパゲティだった。 「これ、プリンセスホテルの名物なんだ」 「わぁぁ、いっくん、これ、だいしゅき!」 「待って待って、いっくんはエプロンをつけようね」 「うん! つけるよぅ」  いっくんは用意されていた紙のエプロンをつけてもらい、ニコニコ笑っている。芽生くんは、その様子をじっと見つめていた。     えっと……この場合、芽生くんもつけた方がいいのかな? でも今日はお兄ちゃんらしくふるまっているので、つけない方がいいのかな?  そんなことで悩んでいると、芽生くんに笑われてしまった。   「お兄ちゃん、ボクはとっても気をつけてたべるよ。お兄ちゃんもだよ」 「わ……わかった」  湯布院での騒動を思い出し、恥ずかしくなった。 「ふふっ、子供のお世話しているうちに、自分が零しちゃったりしませんか」  菫さんに話しかけられて、図星だったので真っ赤になってしまった。 「あ、あります!」  しかもガタッと立ち上がってしまい、テーブルを揺らす始末だ。  今日の僕……なんか格好悪い。きっと潤がカッコ良すぎるせいだ。   「兄さん? ちょっと落ち着いて。そんなに落ち着きなかったっけ?」 「ご、ごめん」 「なんだか話に聞いていた印象と少し違うけれども、とっても可愛いお兄さんだわ」 「菫さん、分かってくれる? その通りなんだよ。俺の兄さんはすごく可愛い人なんだ」  広樹兄さんならともかく、潤の口から何度も『可愛い』だなんて。  そんなことを言われる日が来るなんて、夢にも思わなかった。  ふぅ……少し落ち着こう。  慣れないシチュエーションに、動揺し過ぎだ。 「えっと、潤……そのセーター、今日も着てくれたんだな」 「この菫色のセーターのおかげで挨拶も順調だったよ。兄さんありがとう」  潤の晴れやかな笑顔は、いつまでも見ていたいほど明るいものだった。 「お兄ちゃん、はやくたべないとさめちゃうよ」 「わ! 本当だね」  食べながら、今度は芽生くんが洋服にソースを飛ばさないか確認し、ついクセで、潤の胸元もちらちら見てしまった。 「おいおい、兄さん~ 俺はもう子供じゃないぞ」 「くすくす、お兄さんから見たら潤くんはまだまだ子供よね」 「あ……ご、ごめんっ、そんなつもりじゃ」  慌ててフォークを置いたら、ソースがピシャッと胸元に跳ねてセーターに赤いシミが点々が出来てしまった。 「わっ……どうしよう」  想定外のことに動揺し、今度は真っ青になる。 「大丈夫、これはすぐに落とせますよ」 「兄さん、菫さんの言う通りだ。大丈夫だからな」 「お兄ちゃん、だいじょうぶだよ」 「みーくん、なかないでぇ」  全員にフォローされて、恥ずかしかったけれども、心の中がポカポカになった。  ずっと目立ちたくなかった。  両親と弟を交通事故で亡くした可哀想な子供。    一人だけ生き残った不憫な子供。    もうこれ以上心配されるのも憐憫の情をかけられるのも嫌だった。    でも、今は違う。 こんな優しい人たちに囲まれて、生きている。  セーターは菫さんがすぐに応急処置をしてくれたので、事なきを得た。 「私はアパレル業界にいるので、いつもシミ落としグッズを持ち歩いているんですよ」 「そうなんですね。綺麗に落ちて助かりました」 「あ、そうだ……よかったら結婚式で、芽生くんにフラワーボーイを息子と一緒にやってもらえませんか」 「フラワーボーイ?」 「挙式で、バスケットに入れた花びらをバージンロードにまきながら、花嫁の前を歩く子供のことですよ」 「なるほど、花には『清め』の意味があるから……バージンロードを清める役割なんですね」  その輝かしい光景を、想像してみた。  五月のよく晴れた日。    薔薇の咲く庭での、ガーデンウェディング。    花かごを持って無邪気に微笑むのは、いっくんと芽生くんだ。 「兄さん、あのさ……俺からも頼みがあって」 「何? 僕が出来る事なら全力でサポートするよ」  潤と菫さんは、優しく見つめ合った。   「実は兄さんに菫さんのウェディングブーケと俺の胸元のコサージュを作って欲しいんだ」 「僕でいいの? イングリッシュガーデンのスタッフに任せた方がいいんじゃないかな?」  嬉しい申し出だが、結婚式が模擬結婚式も兼ねていると聞いていたので躊躇してしまう。 「イベント担当の北野さんの了承は得ているから、そこは大丈夫だ。俺たち、兄さんがいいんだ」 「瑞樹くん、どうかよろしくお願いします」  それを聞いていた、いっくんもぺこんと頭を下げる。 「みーくん、ままにとってもかわいいのつくってねぇ」  続いて芽生くんの拍手! 「わぁ、お兄ちゃんのお花、だいにんきだね。ボクもうれしいよ」 「僕でいいの? 本当に」  この後に及んで心配症な僕は、つい弱気になってしまう。 「兄さんがいいんだ」 「瑞樹くんがいい」 「みーくんにきまりだね」 「お兄ちゃん、がんばって」  言葉の力って、すごい。  力ではなく、言葉によって動かされる。    優しい言葉に包まれて、また泣いてしまいそうになった。  僕は幸せになってから、涙脆くなった。  宗吾さんが隣りにいてくれたら、彼の胸にもたれて泣いてしまいそうだ。 「に、兄さん。泣くのはまだ早い」 「ご……ごめん。小さかった潤の結婚式に参列出来るだけでも嬉しいのに、花を捧げられるなんて、嬉しくてね」 「兄さん……俺こそ、兄さんに参列してもらえて嬉しいんだよ」    昼食後、広大なアウトレット施設の庭を、皆で散歩した。  芽生くんといっくんはすっかり仲良しになって、二人で駆け回っている。 「いっくん、転ばないようにね」  ベシャッ!  そう声を掛けた途端、いっくんがカエルのようにぺたんこに転んでしまった。 「ぐすっ……う……えーん、えーん、えーん」  すぐに起き上がれず、寝そべったまま泣き出した。 「こらっ、だから言ったでしょう」 「いっくん、大丈夫か」  菫さんが駆け寄り潤が抱き起こすと、膝小僧を大きく擦り剥いてしまっていたので、すぐに潤がいっくんを抱えて手洗い場に駆け込んだ。  潤の焦った顔、心配そうな顔。  どれも……もう立派な父親の顔だね。  血が滲む膝小僧をそっと手当してやる様子に、僕と芽生くんは顔を見合わせた。 「ジュンくん、カッコイイね」 「そうだね」 「あのね、ボクがころんだときのお兄ちゃんとおなじお顔だよ」 「え……そうなの?」 「あの時のお兄ちゃん、とってもカッコよかったよ。あ、今もだよ」 「あ……ありがとう、芽生くん」  芽生くんにとって、カッコよい存在でいられることが嬉しかった。  芽生くんは、まだ泣いているいっくんの頭を、そっとなでてあげていた。 「いっくんの、いたいのいたいのとんでいけ」  僕が以前芽生くんにしてあげたことは、芽生くんの心にしっかり吸収されていた。  そうか……優しさって、こうやって……人から人へ伝えられるものなのだね。     子育てって、一方通行じゃない。  手をかけた分、こうやって成長という形で見せてもらえるんだね。 「いっくんね、めーくんと、もっとあそびたい」 「じゃあ、こんどは原っぱにいこう。ころんでもいたくないよ」 「うん!」  小さな背中には、可愛い羽が生えているように見えた。  僕の地上の天使。  潤の地上の天使。  軽井沢の春はもう少し先だけれども、僕の心には確かな春がやってきた。  

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