1022 / 1740

にこにこ、にっこり 7

 菫さんがまだ話したそうだったので、会話を続けた。 「瑞樹くん、私……いずれ潤くんとの子供を授かりたいと願っています。そんな日が来ても、潤くんなら……きっと分け隔て無く接してくれますよね?」  目を閉じて、近い未来を想像してみた。  いっくんに可愛い兄弟が生まれ、今日のように原っぱを駆け回っている様子が暖かい日差しの中に浮かんで来る。   「大丈夫です。僕が保証します。弟は元々心根の優しい子です。菫さん……どうか弟を宜しくお願いします」  つい兄モード全開で頭を下げると、菫さんに優しく制された。 「瑞樹くん、そんな、そんな! 私の方こそ潤くんを大切にします。よろしくお願いします」  あぁそうか、菫さんは守ってもらうだけの儚い女性ではなく、一人でいっくんを産み、この世にしっかり根を張って生きているのだ。  それがひしひしと伝わってくる。  菫さんは空を仰いで「……くん、……聞いてる?」と小さな声で囁いた。    今、もしかして亡くなった旦那さんの名を呼んだのだろうか。 「あの……潤くんから、瑞樹くんは幼い頃にご両親と弟さんを亡くしたと聞きました」 「そうです。菫さんはいっくんのパパを……亡くされたのですよね」 「はい。進行の早い病気で……お別れはこの子がまだお腹にいる時でした。私もショックで一緒に逝きたいと願いました。彼も最初は、お腹の赤ちゃんが生まれて来る日にいないことを怨み、成長を見守れないことを悲しみ、嘆きましたが、最期は『どうかこの子を生んで、育てて欲しい』と……」  なんて切ない話なのか。    事故で突然いなくなってしまうのも、病気で死期がじわじわと迫ってくるのも、どちらも残酷だ。   「そうだったのですか」  残されたものが味わう、虚しさ、切なさ、悲しみ。  後を追ってしまいたいと衝動的になる気持ちも、全部僕には分かる。 「お腹の子供を幸せにして欲しいと願いを託されたので、頑張ってきました。彼の最期の言葉は『天国の大きな樹になって静かに見守っているから、地上で、笑顔で暮らして欲しい』と」 「……」 「でもいっくんが成長するにつれて、私だけでは行き詰まって悩んでいました。そんな時に偶然潤くんと出会い……」  どう声をかけていいのか分からない。  ただこれだけは伝えたい。  シンプルな言葉を添えよう。   「菫さんが生きていてくれて、良かったです」 「生きて?」 「当たり前のように生き続けるが難しかった日もあったでしょう。それでもこの世を生きて、潤と巡り逢ってくれました」  ―― 瑞樹がこの世に生きていてくれて良かった。――  僕も同じだ。  宗吾さんも広樹兄さんも潤も、くまさんもお母さんも、皆そう願ってくれたのだろう。  その言葉が、意味を成す。  僕がこんな言葉をかけてあげられるようになったのも、今の僕が人生を謳歌し、生きていて良かったと思っているからだ。 「ありがとうございます。瑞樹くんに言われると心に響きますね」 「天国の旦那さんも、今の菫さんといっくんを見て安心していると思います」 「そうでしょうか」 「地上に残して来た人の幸せを、天上の人はいつも願っていますよ」  菫さんの瞳から、涙がほらはらと溢れ出た。  わ、どうしよう? 泣かすつもりじゃなかったのに。 「じゅ、じゅーんっ」  僕は焦って、潤を呼んだ。 「わ、菫さんどうしたんだ? まさか兄さんに泣かされた?」 「違うの、励まされたの」 「そ、そうか」 「潤くん……潤くんの家族ってみんな暖かいのね。私、今日会えて良かった!」   間もなく軽井沢にも遅い春がやってくる。  二人の結婚式が、僕も今から楽しみだよ。  皆が集まると、いっくんがパッと目覚めた。 「ぱ、ぱぁ~ どこ?」 「いっくん、ここにいるよ」 「よかったぁ」 「ずっと傍にいるよ」 「めーくんは?」 「ボクもいるよ」 「めーくん、いっぱい、ありがとう」  いっくんの『ありがとう』という言葉に、芽生くんは嬉しそうに反応していた。 「ボクもありがとう」 「えへへ、おにーたんみたいでしゅね」 「わ! ボク、お兄ちゃんだって」  面映ゆい顔の芽生くん。  人懐っこい顔のいっくん。  本当に子供の表情は見飽きないよ。  やっぱり君たちは地上の天使だよ。 「兄さん、今日はありがとう。忙しいのに日帰りで来てくれて」 「僕も早く菫さんといっくんに会いたかったんだ。もちろん潤にもね」 「宗吾さんにもよろしく伝えてくれよ」 「うん、次は家族揃って来るよ」 「あぁ」  僕は自然に『家族』と口に出していた。 「兄さんが幸せで良かった。だからオレも踏み出せたんだ。兄さんの幸せはオレの幸せだ」 「潤は、いい男になったな」 「よ、よせよ。照れる」 「くすっ、それから実は昔から結構な照れ屋だよね」 「あー もう兄さんはオレを知りすぎている‼」 「だって僕たち兄弟だよ? 当たり前だよ?」  僕は自然と『兄弟』だと口に出していた。    花が咲くように、風が吹くように自然に湧き出る言葉が『真実』だ。 ****  帰りの新幹線で、芽生くんは疲れて眠ってしまった。  僕の膝にちょこんと頭をのせて、すぅすぅと幸せな寝息をたてている。  もう暗くなってきたので窓の外の景色は次第に消えて行くが、僕の心は満ちていた。  東京に着けば、宗吾さんが迎えに来てくれている。  もうすぐ会える。  僕の大好きな宗吾さん。  僕の恋人、僕の家族。  僕の幸せに――  にこにこ、にっこり。  芽生くんといっくん。  笑顔のハーモニーを満喫する旅だった。                      『にこにこ、にっこり』 了 あとがき(不要な方は飛ばして下さい) **** 『にこにこ、にっこり』では、瑞樹と芽生の、軽井沢訪問の様子を描いてみました。とても優しい時間でした。次に軽井沢を訪れるのは、潤の結婚式なので、楽しみですね。  次は……ちょうどリアルに連休に入ったので季節を合わせて5月のイベント(瑞樹の誕生日、こどもの日。芽生の誕生日、中華街で会食)あたりを書いてみようと思います。くまさんのこと、テーラー桐生のこと、こもりんたちのこと、いろいろ気になっています。 『幸せな存在』は、既に『幸せな復讐』をした時点で大筋は完結しています。  今は彼らの日常を丁寧に描く物語になっています。時に単調にもなってしまう……とても、のどかな物語です。  毎日、頁を開いて読んで下さり、ありがとうございます。  リアクションは、私にとってのモチベーションアップ。毎日更新していく糧になっております。本当にありがとうございます。

ともだちにシェアしよう!