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賑やかな日々 1
新幹線は定刻通り、東京駅に着いた。
窓の外にスーツ姿の宗吾さんを見つけ、嬉しくなった。
「芽生くん、着いたよ」
「んん……ねむたいよぅ」
「もう降りないと」
「……だっこぉ~」
寝起きの芽生くんは、あどけない。
小さな手を僕の方に向けて、抱っこをせがんでくる。
「いいよ。おいで」
「えへっ、お兄ちゃん、だーいすき」
魔法の言葉が届くと、僕にも力が漲るよ。
芽生くん、今日はお兄ちゃんとして頑張っていたものね。
菫さんの言った通り、一人になると甘えん坊になった。
「よし、降りよう」
「うん!」
芽生くんを抱き上げ、狭い通路を歩いて降りると、すぐに宗吾さんが迎えてくれた。
「お帰り!」
「ただいま」
「おーい、芽生、寝たふりか」
「えへへ、パパぁ~ ただいまぁ」
芽生くんが照れ臭そうに笑う。
「重たいだろう? 俺が抱っこするよ」
「大丈夫です」
「君も疲れているだろう。じゃ、おんぶるすよ。芽生、パパの背中はどうだ?」
「おんぶ? いく!」
芽生くんがピョンと宗吾さんに飛び乗った。
「パパ~ 今日、ボクね、いっぱいおにいちゃん、したんだよ」
「いっくんは可愛かったか」
「うん! おとうとみたいだった」
「そうか! よかったなぁ」
「パパもいっしょだったらもっとたのしかったよ」
芽生くんの言葉って、いつも優しいね。
宗吾さんがじーんとしているのが、伝わってくるよ。
僕も伝えたい大切なことは、ちゃんと言葉に出して伝えよう。
芽生くんから教えてもらったこと。
素直になるって大切だね。
「あ、あの……僕も宗吾さんのことを、何度も思い出しました」
「瑞樹ぃ~ 俺もさ!」
****
「み、み、み、みずきー」
僕と芽生くんが先にお風呂に入って、買って来た駅弁を机に並べていると、宗吾さんの悲鳴? が聞こえた。
「なんですか」
「こっ、この名刺はなんだ?」
テーラー 桐生
店主 桐生大河
「物騒ですね。これは菫さんからいただいたんですよ」
「大河って、この男、誰だー?」
宗吾さんが真顔になっているので、苦笑してしまった。
「イヤだな、僕もまだ知りませんよ。菫さんの仕事先の先輩らしく、東銀座でテーラーを開業されたそうです。子供の式服も作れるみたいなので、今度行ってみませんか」
「なんだ、そうなのか。君のシャツの胸ポケットから他の男の名刺が出てきて焦ったよ。そうだな、俺たちの芽生に可愛い衣装を着せたいな」
「はい、あの……それから僕は……宗吾さん一筋ですから心配無用です」
ううう、自分で言って照れ臭い。
しかし宗吾さんが喜んでくれるので素直になろう。
それは事実だし。
「瑞樹。一筋の証拠が欲しい」
「もうっ」
一緒に行けなかったので、駄々をこねているようだ。
僕より年上なのに、なんだか可愛い面もあって憎めない人。
「ここでいいですか」
背伸びして彼の頬にチュッとキスをすると、少し不満そうだった。
「こっちがいい」
もうお決まりのように、くちびるを奪われる。
チュッと吸われ、舌で掻き混ぜられ、僕を酔わしてくる。
「ん……芽生くんが待ってます」
「分かってるけど、俺も飢えていた。だからもうちょっとだけ」
「……んっ」
****
やがて4月になり、芽生くんは無事に2年生に進級した。
「芽生くん、帽子を忘れているよ」
朝、黄色い帽子を持ってエレベーターホールまで追いかけると、芽生くんに笑われた。
「お兄ちゃん、もうボク二年生だよ?」
「あ、そうか」
「ちゃんと気をつけていくから、安心してね」
「うん、車には気をつけるんだよ」
「お兄ちゃんとのお約束は、かならずまもるよ」
芽生くんが屈託のない笑顔を浮かべてくれるので、無性に抱きしめたくなった。
「お兄ちゃん、ぎゅっして」
「いいの?」
「うん!」
芽生くんはどんどん成長していく。だからハグ出来るのも今のうちと思うと、思わず包み込むように抱きしめてしまった。
成長は嬉しい。でも急激に手が離れていく時って、どの親も少しの寂しさを抱くのかもしれない。
「気をつけて行っておいで。僕の可愛い芽生くん」
「うん! お兄ちゃんもね」
この黄色い帽子はいつまでも取っておこう。
登校の練習をした日を覚えている?
初めて一人で歩いた通学路。
最初の一歩を、踏み出した証しだからね。
新しい学年とクラスに、芽生くんはすぐに馴染み、幸先の良いスタートを切った。
毎日帰って来ると、僕に学校での様子を事細かく話してくれる。
僕はこんな時間が本当に愛おしい。
「お兄ちゃんきいて~ いぬはdogで、ねこはcatだよ」
「わ、英語だ」
二年生になり、学校の授業で英語が本格的に始まったらしい。
「お兄ちゃん、ウサギはなんていうの?」
「Rabbitだよ」
「じゃあ、くまは?」
「Bearだよ」
「よーし、ボク、おえかきしてくるね」
芽生くんは画用紙とクレヨンを持って、子供部屋に向かった。
「何を描くの?」
「えっとね、まだナイショだよ」
可愛い秘密を打ち明けてもらうのが、今から楽しみだな。
冬から春にかけて、僕の日常はとても落ち着いている。
黄色い帽子を握りしめて、明るい気持ちで家に戻ると、宗吾さんが待っていてくれた。
こんなにも穏やかな日々でいいのかと、時々怖くもなるが、そんな時はいつも彼が優しく抱きしめ、包み込んでくれる。
「瑞樹、明日は君の誕生日だな」
「覚えていて下さったのですか」
「もちろんだ。恋人の誕生日を忘れるはずないよ。ちょうど休みだし、デートしないか。今度は芽生も一緒にさ」
「嬉しいです。どこへ?」
「銀座はどうだ? ほら、君が名刺をもらってきたテーラーに行ってみよう」
「あ、はい! ぜひ」
一緒に暮らしていても、誕生日や季節のイベントを大事にしてくれる宗吾さん。
「潤の結婚式で、いっくんが天使の衣装だと聞いたので、芽生くんにも可愛い衣装を着せたいなって……あの……僕って親バカですか」
「俺も立派な親バカなので、二人合わせて『バカップル』ってやつか」
「……うーん、なんだか違うような」
「ははっ、さてと今日は俺たちも働きに行くか」
「はい、明日のために頑張りましょう」
先に楽しみがあると、いつもより頑張れる。
きっと誰もがそうなのでは?
楽しみはただじっと受け身で待っているのでは、なかなかやってこない。
だから自分から見つけて、作っていくといいんだな。
小さな幸せを探すと、そこに楽しみも潜んでいる。
僕は宗吾さんと暮らすようになってから、そんな風に思えるようになった。
亡くなった家族に申し訳なくて、ずっと幸せから目を背けてきた僕は、本当に変わった。
「宗吾さん、僕……明日が待ち遠しいです」
「俺もさ! 可愛い恋人と息子と銀座デート。しかも恋人の誕生日。最高だな!」
「朝から興奮し過ぎですよ」
「遠足前の子供のように高揚しているのさっ」
「くすっ」
明るい未来、楽しい明日が来るのが信じられるようになったのは、宗吾さんが太陽のようにいつも笑ってくれるから。
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