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賑やかな日々 21

「くまさん、今日もいっしょにねむろうね!」 「芽生坊、連日は悪いから、今日は居間に布団を敷くよ」 「えぇ? みーんな、いっしょがいいよ!」  芽生坊にグイグイと手を引かれて、困ってしまった。  今日もみーくんと宗吾さんの寝室にお邪魔していいのか。  自分でも野暮なことをしている自覚はあるのだ。  そこにみーくんもやってきて、手を添えて誘ってくれる。 「くまさん、是非そうして下さいね」 「みーくん。だが……その気まずくないか」  躊躇すると、みーくんが小首を傾げた。   「何を? いやだな、もしかしてさっきの話、気にされているんですか。ベッドの下が埃っぽいのは、確かに申し訳ないです」 「いやいや、その話なら気にしてない。それより、あそこがみーくんのパンツの墓場だったなんて驚いたよ」 「ち、違いますってば、宗吾さん……僕のパンツを溜め込むのが趣味みたいで困っているんですよ」 「……」  おいおい、みーくんよ。  君が話せば話すほど墓穴を掘っているのに、気付いてないのか。   「ふぅむ……なぁ素朴な疑問だが、そのパンツ、ちゃんと洗濯しているのか」 「あ……それは、その……お風呂上がりに履き替えたばかりなので、ちゃんと洗濯済みで……履いたのは一瞬で……あ、でもたまに……帰宅後、そのまま……えっと……」  みーくんが、真剣な顔で必死に言い訳をする。   「くくくっ。もういいよ。みーくん、それ以上は言うな。俺が恥ずかしくなる。小さかった君のオムツを替えたこともあるんだから、成長を感じるな」 「え? はっ……僕、何を言って? あぁ……も、もう寝ましょう!」  そこでようやく深い墓穴を掘っていたのに気付いたみーくんは、耳朶まで染めて布団に潜ってしまった。 「くくく、熊田さんすみませんね。瑞樹は最近いつもこんな調子なんですよ」 「お兄ちゃん、パパに、にてきちゃった」 「芽生くん……宗吾さん……もう電気を消して下さい」 「了解! みんなおやすみ。明日は芽生の誕生日だから早く寝よう」     灯りを落とせば、寝室に星空が一気に浮かび上がる。 「くまさん……今日も夜空が綺麗ですね」  気を取り直したみーくんの可愛い声が、聞こえる。 「気に入ってくれたか」 「とても好きです。ありがとうございます。あの……よかったら今日も何かお話して下さい。昔の話を……」 「いいよ。今日は……」  寝室の箪笥の上にスズランのブーケが飾られているから、清潔感のある透明な香りが漂ってくる。  北の大地の初夏を彷彿する香りだ。 …… 「熊田、このまま家に来いよ」 「大樹さん、ですが……俺がいつもお邪魔しては……悪いですよ」 「何言ってんだ? お前は俺の家族の一員みたいなものだろ?」 「……大樹さん」 「遠慮するな、さぁ行くぞ」    週に2-3日は、職場にしているログハウスを出て、大樹さんの家にお邪魔した。  特にみーくんに弟が出来るまでは、頻繁に遊び相手をした。  まだ三歳の君は愛らしかったよ。 「くましゃん~」    澄子さん似の優しく上品な顔立ちのみーくんだが、野原で遊ぶのが大好きな坊やだった。 「よし、澄子さんが夕食を作っている間、原っぱに遊びに行くか」 「うん、みーくん、くましゃんといく」  小さな小さな手をつないで、自宅裏で一緒に遊んだよな。 「みーくん、かけっこをしよう」 「うん!」  頬を上気させ、野原を一目散に駆け巡るみーくん。君の背中には空に飛びだってしまいそうな大きな翼が見えたよ。 「みーくん、待て! それ以上走るな!」 「どうして?」 「お空に行ってしまいそうだから」 「くすくすっ、みーくんはここがしゅきだよ。お花……ママにあげたいな」  雑草を摘んで、家に戻った。  俺の胸に飛び込んで来てくれる小さな温もりが、愛おしくて胸の奥がポカポカしていた。  そう言えば……澄子さんが瑞樹の『樹』という漢字は、大地に根ざして欲しくて使ったと言っていたな。 「ママ、これあげる」 「みーくん、お花をありがとう。熊田さん、瑞樹は葉っぱや、お花が大好きなのよ」 「将来はじゃあガーデナーかフローリストかな?」 「そうね。私に似て可憐なみーくんには、花の方が似合うかしら。って、私……親バカね」  澄子さんと、そんな風に君の将来を語りあったこともあったんだよ。  神さまは無情にも、君だけを置いて、家族を空に連れて行ってしまったが……  だから澄子さんの夢は、俺が見届ける。 ……   「みーくんのお母さんは、君が花に触れるのを望んでいたよ」 「そうなんですか。お母さんが、そんなことを言っていたなんて」 「大地に根ざして欲しいから、瑞樹の樹は大地に根を張る樹にしたと」 「僕の名前に、そんな意味が」 「さぁ、今日の昔話はここまでだ、そろそろおやすみ」 「あ……ありがとうございます。おやすみなさい」  みーくんは、今日もいい夢を見る。    君はもう何も怖くない。  宗吾くんと芽生くんの愛情は、どこまでも深く温かい。  今日は宗吾くんの前妻と面会するというので警戒したが、一部始終を見守らせてもらえて、安心出来たよ。  宗吾くんは、君に歩み寄っている。  みーくんも、宗吾くんに歩み寄っている。  お互いが一歩ずつ近づける関係って最高だな。  かつての大樹さんと澄子さんがそうであったように、人同士の円満の秘訣だ。  **** 「憲吾さん、まだ眠らないの?」 「あぁ、明日のシミュレーションをしていた。母さんは階段が苦手だから、地下鉄からの道順をチェックしておかないと」 「憲吾さんらしいわね」 「……駄目だな。明日には明日の風が吹くのは分かっているのに、どうしても用意周到になってしまう」  美智が、静かに傍にやってきてくれる。 「手を抜かずに、細かい部分まで考えてくれるあなたが好きよ」 「……美智」    堅苦しい自分の性格が時々息苦しくなり、自由奔放に生きる弟を妬ましく思ったこともあったが、あれは……無い物強請りだったな。 「あなたが自分をどう思っているのか分からないけれども……私はそういう人がいてくれると助かるわ。彩芽のベビーカーだってあるし、階段ばかりだと大変だわ。憲吾さん、いつも周りに気を配ってくれてありがとう」 「……美智……彩芽は?」 「もうぐっすりよ。もうすぐ一歳だからだいぶ落ち着いてきたわ」 「じゃあ、いいのか」 「うん……あのね、そろそろ大丈夫よ」  自分を肯定してくれる、妻が好きだ。  生き方が揺らいだ時、美智がいつも支えてくれる。 「いろんな人がいていいのよ。憲吾さん」 「救われる言葉だ」 「まぁ……」  人はいつだって、細やかな優しい言葉に救われている。  それに気付けるかどうかで、世界の色が変わっていくだろう。 「ありがとう。明日は楽しもう」 「えぇ、芽生くんのお祝いとこどもの日、ダブルのお祝いで素敵」 「お祝いは重なった方がいいものなんだな」 「明日はきっといい日になるわ。沢山の幸せが溢れ出す日に……」 「美智……君の言葉は、いつも夢と希望に溢れているな」 「憲吾さんの真心が届くからよ」  灯りを消して、美智を深く抱き寄せた。  ここにも優しい夜がやってくる。    

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