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誓いの言葉 5

 函館空港に到着してすぐに、レンタカーを借りた。  リーダーから連絡があり、東京から予約しておいてくれたそうなので、スムーズだった。    それにしても……僕にとって、あんなに遠かった函館が、今はこんなに近くにあるなんて。  大学で上京してから年々帰省の足が遠のいていたのに、宗吾さんと知り合ってから、何度行き来したことか。  さっきまで日比谷の職場にいたのに、今は生まれ故郷に降り立ったているなんて不思議だ。 「さぁ、行こう!」  花農家に行ってからくまさんに手助けを求めると、かなりの時間ロスになる。だが僕はまだスーツ姿だ。着替えを借りに一旦函館の家に寄ることも考えたが、それも遠回りになってしまう。  だから、僕はくまさんの家に直行することを選んだ。  宗吾さんの声が聞こえる。 (瑞樹、いい決断だ。なんとかなるよ。その場その場で考えればいい) 「くまさん、いるかな?」  不思議とあまり心配はしていなかった。  くまさんは必ずログハウスにいる。  カーブを曲がると、ログハウスが木立の合間に見えてくる。  5月下旬の北海道は、新緑に包まれて美しい。  眩しい程の緑に覆い尽くされたログハウスの煙突から、モクモクと白い煙が上がっているのが見え、胸を撫で下ろした。 「よかった。それにしてもかなり驚くだろうな。僕が突然現れたら」  実際に自分の足でログハウスの前に降り立つと、感無量だった。 僕は心配性だから、用意周到に計画を立てないと、いつもと違うことが出来なかったのに、思いつきや勢いで行動なんて出来なかったのに……  その僕がここに立っている。  宗吾さんみたいにフットワークが軽くなったのかな? きっと宗吾さんからいい影響を受けたからなのだろう。そう思うと、少しだけ自分に自信が持てたし誇らしくなった。  さぁ行こう!  くまさんに事情を話して、すぐに手伝ってもらおう。 ****  今日は朝起きた時から、何故か上機嫌だった。  こんな日は、何か良いことがありそうだ。  みーくんと早朝に交わしたやりとりを思い出しながら、珈琲をゴクッと飲んだ。 ……  もう……冬眠しちゃ駄目ですよ。  あぁ、春を満喫しているよ! ……  冬眠する暇は、なくなった。  咲子さんへの電撃プロポーズを受けてもらえたのだから。  まさか自分にこんな気持ちが残っているとは、みーくんと再会するまでは、思いもしなかった。  俺には誰かを愛する資格などない。  俺が愛していた家族が消えた世界には、永遠に春はやってこない。  ずっとそう思って過ごした17年間という月日が、今は跡形もなく……なくなっていた。  全部みーくんのお陰だよ。  今頃、みーくんは都会の雑踏の中、仕事を頑張っているだろうな。それにしても、あの小さかったみーくんが社会人だなんて驚きだよ。大樹さんのような逞しさはないが、美しかった澄子さん似の君のスーツ姿は楚々として素敵だよ。君はすっかり都会の子になってしまったようだが、また一緒に写真を撮ったりしたいな。  夏休みの休暇には帰省してくれるかな?  窓の外に浮かぶ白い雲に、みーくんの清楚な姿を思い浮かべていると、インターホンが鳴った。  こんな山奥に訊ねてくる人は滅多にいない。  せいぜい郵便か宅配便だろう。それとも近所のお節介じいさんか。  そう高を括って珈琲片手に気軽にドアを開けると……  え? えぇっ‼   二度見、三度見をしてしまった!   「み、み、みーくん?」 「はい!」  本当にみーくんなのか……信じられなくて彼のカタチの良い頭を恐る恐る撫でてしまった。  本物だ……! 「幻じゃないんだな。本当にみーくんなんだな。 どうした? 何かあったのか」 「出張で急遽来ました。くまさんの手助けが必要です」  俺の手を引っ張って走りだそうとするので、慌てて制した。 「みーくん、ちょっと落ち着け。急いては事をし損じるだぞ」 「あ……そうでした。事情を説明しないと」 「うん……まぁ入れ。珈琲を淹れたところなんだ」 「ご馳走になります」  珈琲を一口飲むと、みーくんが急に現れた事情をかいつまんで説明してくれた。 「なるほど、花の切り戻しか。了解! それなら俺にも出来そうだ。もちろん手伝うよ」 「あ……ありがとうございます」 「花農家の場所は?」 「七飯町です」 「ここまでは車出来たのか」 「会社が借りてくれたので、レンタカーで……さぁ行きましょう!」 みーくんがスーツの喉元に指をかけてネクタイを外し、ジャケットを脱いで腕まくりした。 「おいおい、その格好で作業するつもりか」 「実は……急いで来たので着替えがないんです」 「……そんな格好では動きにくいだろう。俺の服を貸すから着替えて来い」 「でも……くまさんと僕とでは……サイズが」 「なぁに、少しくらい大きくても大丈夫だ」 「そうですね。捲ったり折ったりすればいいですよね」 「そういうこと。ほら、奥の部屋が俺の私室だ」  みーくんと初めて出会った時、彼が気絶してしまったので俺のベッドに寝かしたことがあったな。あの時、俺の顔を見て、顔面蒼白になっていたが……あれは何だったのか。  おっと余計なことを考えている暇はない。  箪笥から少し小さくなってしまったズボンとTシャツを探して、貸してやった。 「俺も出掛ける支度をしてくるから、ここで着替えておいで」 「はい!」 ****  くまさんに服を借りてしまった。  あ……これって宗吾さんが知ったら大変かも。  それにしても大きな身体のくまさんと僕とでは、サイズが合わなすぎて笑ってしまうよ。仕方が無いので、ズボンをベルトでギュッと絞り上げ、シャツの裾をキュッと結んでいると、玄関のインターホンが鳴った。  お客さん? こんな山奥に?  宅配便とか郵便の類いかな?  話し声がしたので、そっと扉を開けて耳を澄ました。  くまさんの大きな背中に隠れて相手の姿は見えないが、可愛らしい女性の話し声が聞こえた。  えっと……あれ? ぼ……僕、もしかしてお邪魔虫?  っていうか、くまさんってば……いつの間に?  そこではたと気付く。  朝のメール。  『春を満喫しているよ』って、そういう意味なの? 「……もしかして……誰か中にいるの?」 「そ……それがだな……」    くまさんの動揺した背中を見て、僕は今……全身くまさんの服で立っていることに気が付いた。  つまり今の僕は……宗吾さんが羨む『彼シャツ』どころじゃない状態だ。 「まさか……」 「ちょ、ちょっと待ってくれ」  もちろん相手は僕のお父さん代わりのくまさんだから、そんなことは微塵もないのだが、女性の声のトーンが急に下がったので、いよいよ心配になった。  まさか……誤解されていないよな?  僕が事情を説明した方がいいのかな?  あぁ、もう……どうしよう!   

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