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誓いの言葉 9

 あまりに疲労困憊で、意識を失うように眠りに落ちてしまった。  遠くに雷鳴が聞こえる。 「……っ」    いつもなら急ブレーキと悲鳴が重なり、僕の記憶を逆なでしてくるのに…… 全身が強張り冷や汗が出てくるのに……今日は大丈夫だった。  怖くないのは、どうして?  それはお父さんとお母さんが、僕の傍にいるからだ。  右手をずっと擦ってくれる優しい手、温かい手。  僕の代わりに運転をしてくれる頼もしい手。 これは夢でも幻でもない。  だから雷鳴に導かれて思い出すのは、事故の怖い記憶ではなくなっていた。  小学校の下校時、急な雷雨に遭い下駄箱の前で困っていると、お母さんが僕の傘を持って学校に来てくれた。   …… 「お母さんっ」 「ごめんね、待たせて……みーくん、雷苦手だもんね。怖かったでしょう」 「ぐすっ」 「もう大丈夫よ。お母さんがいるから」 「あ……夏樹は?」 「さっき、くまさんが来てくれたから見てもらっているわ」 「くまさん、来てるの?」 「そうよ。みーくんと遊びたいって言ってたわ」 「わぁ、うれしいなぁ」 ……  あっ、僕の夢が変わった!  今まで抜け落ちていたシーンが補われている。  くまさんがちゃんと登場している!  しかも夢には続きがあった。 ……   「お母さん、傘、ありがとう」 「みーくんは優しいわね、そうだせっかくならお母さんと一緒に入ろうか」 「いいの?」 「もちろんよ」  お母さんの傘に入るのは久しぶりで、嬉しくなった。 「あら、急に小ぶりになったわね」 「うん!」    家の前に着いて振り返ると、不思議な光景が広がっていた。 「おかあさん、あれ……なに?」  雲の隙間から地上に向かってオレンジ色の光がさしていたのだ。 「まぁ、珍しいわね。あれは『天使の梯子《はしご》』と言うのよ」 「天使がやってくるの?」 「そうなのよ。あそこを天使 が上り下りしているのよ」 「天国から、会いに来てくれているの?」 「そうよ、もしも私が……」 「ん?」 「何でもないわ。さぁお家に着いたわよ」 …… 「瑞樹、着いたわよ」  真っ暗な車内で、お母さんに肩を揺さぶられた。 「あ……僕、寝ちゃって……」 「いい夢を見ていたのね」 「……天使の梯子の夢を」 「そうなのね。じゃあ……きっと天国のご両親が近くにいたのね」  そうかもしれないが、今はそうではない気がした。 「お母さんの手が温かかったから」 「え? 私のこと?」 「うん……だから雷も怖くなかったんだ」 「もうっ、瑞樹ってば」  くまさんが大きな傘をもって、後部座席に回ってきてくれた。 「みーくん、さっちゃん、さぁ中に。オレが荷物は運んでおくから」 「僕も手伝います」 「みーくん、無理はするな」 「でも……」 「まずは身体と、その手を休ませないと駄目だ」  くまさんに言われて、素直に従うことにした。  僕の右手の違和感……いつから気付かれていたのか。長時間、花鋏を握って作業を休みなく続けるとピリピリと痺れてくるなんて……僕自身も知らなかった。  右手を開いたり閉じたりして確認してみた。まだ少しだけ痛い。 「瑞樹、テーピングする? お母さんも若い頃、慣れない作業で筋を痛めたことがあるのよ」 「お母さんも?」 「私に似ちゃったのかしらね」 「……ありがとう。お母さん」  あの日の傷のせいだなんて、思いたくなかった。  僕のそんな気持ちを察してくれるお母さんって、やっぱりすごいな。  くまさんのログハウスは以前より、ずっと綺麗に整理整頓されていた。  これって……お母さんの影響なのかな? 「よし、これで荷物は全部だ」 「あ……ラナンキュラスの花持って来てくれたんですね」 「あぁ、捨てるにはもったいなくてな」 「僕もそう思います。そうだ、水揚げしておけば……明日、お見舞いに持って行けるかも」 「瑞樹、ナイスアイデアよ。明日、花農家の方に報告に行くのなら、持っていくのがいいわよ」 「お母さんもそう思う?」 「えぇ」  お母さんはとても生き生きした表情をしていた。 「水揚げは私の得意中の得意の作業よ。私は随分休ませてもらったから元気一杯よ。それに最近は広樹夫婦にお店を任せているので、母さん……あまりやることがなくてウズウズしていたのよ。だから任せて」  ここでも、任せる勇気を試されている。  全て自己完結させてしまうのが、両親が亡くなってから僕の癖になっていた。函館のお母さんはひとりで花屋を切り盛りしながら、子育てをして、余裕がないのは全部分かっていたから、癖になってしまったんだ。  でも、もうそんな癖はいらないのかも。  今のお母さんは、もっと頼って欲しいのかもしれない。  そんなことを、ふと思ってしまった。  それでもつい顔を出すのは、悪い癖。 「お母さん、ありがとう。僕の仕事に巻き込んで、ごめんなさい」 「何を言っているの、瑞樹の手伝いが出来て幸せなのに」 「そうなの?」 「当たり前よ。親にとっては子供ってね、いつまでも子供なの。思いっきり心配もするし、子供が幸せそうなら、私も幸せになるの」 「僕……お母さんとくまさんがふたりで幸せを築けるの……やっぱりまだ夢みたいで」  二人の顔をまじまじと明るい場所で見つめて、視界がぼやけてしまった。  憧れていた。  ずっと、ずっと。  僕……こんな光景が見たかった! 「よーし! みーくんはまず身体を暖めるために風呂に入ってこい。指先もぐっと良くなるぞ」 「はい、分かりました、くまさんは?」 「即席だが、みーくんの好物を作るよ」 「あ……シチュー?」 「そうだよ」 「お母さんは、お花の作業をしておくわ」  僕のお父さんとお母さんは、頼もしい。    人は一人で生きているわけではない。まさにその通りだ。   湯船に身体を沈め、よく温めた。  手を開いたり閉じたりすると、さっきまでのしびれが消えていた。  良かった。  安心したら、無性に宗吾さんが恋しくなった。  芽生くんを抱きしめたくなった。  今日1日のこと、全部聞いて欲しい。  僕の幸せを伝えたい。  くまさんが僕の本当のお父さんになる日が近いことも、早く知らせたい。   

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