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誓いの言葉 22

「潤、もう上がっていいぞ」 「でも……もう少しで終わるので」 「おい、結婚式を控えているんだ。いろいろ準備で大変だろう。もう上がれ」 「分かりました」  素直に言うことを聞こう。  タオルを首にかけてロッカーに向かって歩いていると、すれ違った同僚からも声を掛けられた。 「潤、結婚式、もうすぐだな」 「潤くん、おめでとー! お祝い何が欲しい?」  ここの皆は模擬結婚式に合わせて、本物の結婚式をするオレを心から祝福してくれる。その気持ちが有り難い。 「ありがとう! 祝福してもらえるだけで十分だよ」 「あら意外と謙虚ね。若い夫婦に必要なものは何かな?」 「お揃いの室内履きはどうだ?」 「あ……それだったら小さな子供用のも一緒に頼むよ」  図々しいと思いつつも、皆にも知っておいて欲しかった。  オレがいっくんという可愛い息子の父になることを……いっくんも含めて家族になることを。  それがオレの結婚だ。    あと数日で結婚する。  菫さんの夫となる。  いっくんの父となる。  自分に言い聞かせるように、心の中で反芻した。  ロッカーで泥だらけの作業服を脱いでシャワーを浴び、そのままイングリッシュガーデンに併設されている独身寮の自分の部屋に戻って、ようやく一息つけた。  小さな冷蔵庫から缶ビールを取り出し、壁にもたれて窓の外を見上げると、星がチカチカと瞬いていた。  軽井沢の星空って、綺麗だな。  俺の家は函館の市街地だったので、こんな綺麗には見えなかったような。  いや、そもそも空なんて見上げなかったか。  本当は同じように空には美しい星が瞬いていたのに、俺は気付いていなかった。  瑞樹……兄さん。  10歳で、俺の家にやってきた兄さん。  本当は綺麗で可愛い兄さんが出来たことが嬉しくて自慢したかったのに、真逆のことばかりして……虐めてしまった。  兄さんの静かな輝きに、当時、全く気付けなかったのが悔やまれる。  でも兄さんは、あんなことをしでかしたオレを許し、祝福してくれている。  だから兄さんのためにも幸せになろう。  そのまま畳に仰向けにひっくり返ると、籠に放り投げた作業服の胸ポケットから着信音が聞こえた。  菫さんかな? 「もしもし」 「潤……僕だよ」 「兄さん!」  今、まさに兄さんのことを考えていたので驚いた。   「潤、今、ちょっといい?」  相変わらず、遠慮して……前はこんな兄さんがじれったくて、急かしてしまった。だが今は違う。兄さんのやわらかな呼吸に合わせるように、返事をした。 「もちろんだよ。兄さん、何かあったのか」 「あ……あのね、実は……その……」  一体、どうした?  「兄さん、落ち着けって」 「う……うん。あのね……潤……潤は気付いていた?」 「何に?」 「くまさんと母さんのことに」  お? 兄さんもとうとう知ったのか。函館で熊田さんと会った時、母さんといきなりいい雰囲気になって、兄貴と顔を見合わせてしまった。 「さっちゃん」と呼ばれて、甘く微笑んだ母さんの顔が頭に浮かんだ。 「知ってるよ。あの二人って、いい雰囲気だよなぁ」 「知ってたの? あ……じゃあ付き合っていることも知っていたの?」 「えぇ! そうなのか」 「あ、ごめん。やっぱり……そこまでは知らなかったのか」 「もう一度言ってくれ」  オレの聞き間違いではないよな。 「驚かせてごめん」 「いや、嬉しいニュースだよ。大歓迎だよ」  以前の幼いオレだったら……母さんを取られたと癇癪を起こし、違う反応をしただろう。だが今のオレは……母さんには肩の荷を下ろして、自分の時間を持って欲しいと心から思っている。  その気持ちは函館で母さんと熊田さんが仲睦まじく話しているのを見た時から、何も変わらない。 「二人は付き合い出して……将来入籍する約束も交わしているんだよ」 「結婚するのか」  ついさっきまで……オレ自身の結婚について反芻していたので、これには驚いた。 「そこまでもう進んだのか。母さん、良かったな」 「うん……僕も嬉しくてね……母さんとくまさんが夫婦になってくれるなんて」  そうか、熊田さんは瑞樹にとって父親代わりのような存在だ。  そんな人が母さんと再婚するって、ある意味すごいな。 「じゃあ、兄さんの本物のお父さんになるんだな」 「……あのね……潤……潤のお父さんでもあるんだよ」 「え……」  そういう発想はなかった。  母さんの再婚するってことは、オレにも父親が出来るってことなのか。 「……父さん?」 「そうだよ、じゅーんにも、お父さんが出来るんだよ!」 「えっと……」  オレには父さんとの記憶に残る思い出は、何一つない。産まれてすぐ亡くなってしまったから。  だから……オレが……オレみたいに父親の存在を知らずに育った人間が、いっくんの立派な父親になれるか不安だった。菫さんにその不安を漏らすと、「誰でも最初は初めてなのよ。一緒に過ごすうちに実感が湧くものよ」と励ましてもらえた。  でも心の中では密かに望んでいたんだ。父さんと呼べる人が欲しいと―― 「父さんかぁ」 「そう! くまさんはね、潤と僕と兄さんの父さんだよ」 「それって結構、嬉しいもんだな」  もう強がらない。  弱音を吐こう。 「オレ……本当は父さんが欲しかったんだ。小さい頃からずっとずっと……兄さんが父さんの代わりをしてくれたのは嬉しかったけど、兄さんだって本当は父さんがいたら甘えたかったはずだ」 「じゅーん、僕もだよ」  兄さんは優しい風のようだ。 「僕も欲しかったんだ。だからね……二人は遠慮しているけれども……潤の結婚式に皆がせっかく集まるのだから……母さんにブーケを渡して、くまさんにはブートニアを渡そう思っているんだ」 「いいな。それ! サプライズだな」 「うん、潤の大切な結婚式の合間にどうかな?」 「合間なんて言わないで、最初にしてくれよ」 「え? 最初って……」  電話の向こうの兄さんが息を呑む。 「オレの結婚式を両親揃って見守って欲しくて。なぁダメか。最初じゃ……」 「ダメじゃないけど……菫さんの意見も聞いてみないと」 「わかった! 聞いてくる!」 「え? あ……ちょっと待って……菫さんに会いに行くのなら」 「ん?」 「潤にして欲しいことがあって」 「何?」  兄さんの声が弾む。 「あのね、ウエディングベールって、そっちで手配できる?」 「母さんのか」 「うん。ベールだけでもあると、雰囲気がでるかなって」 「そういうのは菫さんが得意だ。全部聞いてくるよ」 「ありがとう。潤!」  俺たちの手で母さんを祝福できる。  オレに父さんが出来る。  どちらも最高に嬉しいことだ! 「兄さん、後でかけ直すよ」  オレは電話を切って、寮を飛び出した。  ブーンと世界を飛び回る飛行機と同じくらい勢いづいて、菫さんといっくんの待つ家に駆け出した。  息が弾めば、心も弾む。  幸せなサプライズって、考える方もジャンプするほど楽しいことなんだな!

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