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誓いの言葉 33
「イテテ!」
「潤っ!」
いっけねぇ! 兄さんの手捌きに見惚れて、薔薇の棘に指先を引っかけた。
兄さんが血相を変えて近づいて来る。
「指、見せて!」
「大丈夫だって、手袋してるし」
「でも一応」
あまりにも兄さんが不安そうな顔をするので、手袋を取って見せてやる。
「ほらな! 血も出てないよ。こんなの日常茶飯事さ」
「あ……潤の手、いつの間に……こんなに傷だらけになって」
「仕事は楽じゃないさ。オレはまだ新米だから、たまにケガしたりはするよ」
「そうか……気をつけて……でも、すっかり職人の手になったんだな」
兄さんの目元がうっすら赤く染まる。
透明感のある色白な肌だから、感情が露わになりやすい。
「待て待て、ここで泣くなよ」
「あぁごめん。成長したなって……つい感激して」
兄さんが手の甲で目を擦ろうとしたので、慌てて制した。
「あー そんな汚れた手で擦るなよ。バイ菌が入るだろ!」
「あっ、そうだね。くすっ、潤はすっかりお父さんモードだね」
「いっくんによく言っているからか、口癖になってるかも。兄さんだって職人の手だろ。プロの……」
ふと兄さんの指先を見ると……
ガラス片で深く切った時の傷痕が、まだうっすらと残っていたので、自分が仕出かしたことへの後悔が募り、急に息苦しくなった。
「潤? どうした?」
「……兄さん……手の傷痕……残ってしまったんだな」
「そう? もう普段は気にならないほど薄くなったよ」
「ごめんな……ごめんなさい」
ガバッと頭を下げると、兄さんは困った様子だった。
「馬鹿だね、潤、さぁ顔を上げて」
「でも、オレのせいで……」
「じゅーん、いつまでそうやって自分を責めるの?」
「兄さん」
「あのね……ここは……もう本当に痛くも痒くもないんだよ。それにね、こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけれども……この傷のおかげで、僕は素直に人に甘えられるようになったんだ。だから悪くないなって……くすっ、あぁ、やっぱり不謹慎だね」
兄さんが悪戯っ子のように笑う。そんな明るい笑顔は見たことがなくて、ポカンとしてしまった。
「じゅーん、ほら、手が止まっているよ」
「あ、ごめん」
再び作業に没頭していると、優しい口調で話し掛けられた。
「……もう本当に大丈夫なんだ。逆に潤がいつまでもそんな顔をしていたら、僕の方が辛いよ。潤には今日からは守るべき大切な人が出来るんだ。どうか菫さんといっくんをしっかり支えてあげて欲しい。潤にも幸せになって欲しい。それが僕の願いだよ」
「兄さん……ありがとう。オレ、父親になる。そして兄さんのお陰でお父さんと呼べる人が出来るんだ」
熊田さんを連れてきてくれたのは、兄さんだ。
兄さんが恋のキューピットなんだ!
「お父さんと呼ばれる日と、お父さんと呼ぶ日が一緒に始まるなんて素敵だよね」
「兄さんも嬉しい?」
「うん、お父さんとお母さんがいてくれるのが嬉しいよ」
いつのまにか菫色のブーケーとブートニアが完成していた。
丸い形に縁を感じ、菫色に深い愛情を感じた。
今まで見たどんなブーケよりも上品で美しく、心を鷲掴みにされた。
「どうかな?」
「最高だ……本当にタダで作ってもらって、いいの?」
「もちろんだよ! 僕からのご祝儀だと思ってくれればいいかな。あ……そうだ! ご祝儀を預かってきたんだ」
「えっ誰から?」
「宗吾さんのお母さんとお兄さんからだよ」
「マジ? 本気でオレに?」
「うん」
宗吾さんの実家は、オレが瑞樹にしでかしたことを知ったいるはずなのに、祝福してもらえるのか。
「本当に……い、いいのかな?」
「嬉しいよね。お気持ちが……僕は宗吾さんと同居しているだけの存在なのに……僕の身内のお祝いまで、して下さるなんて」
「ン? ちょっと待てよ。兄さんは同居しているだけの存在なんかじゃないだろう。もう滝沢ファミリーの一員だろっ!」
「じゅーん……」
「ごめん。声を荒らげて」
「ううん。そっか、そんな風に考えてもいいのかな?……おこがましくないのかな?」
兄さんは相変わらず控えめで謙虚な性格のままだ。そこが可愛い部分だが、もどかしい部分でもある。
「当たり前だろ、瑞樹。あーもう、君は相変わらず謙虚過ぎる!」
「宗吾さん!」
「瑞樹はとっくに俺の家族の一員なんだ。みんな瑞樹が大好きだ。さぁ自信を持って顔を上げてくれよ」
「あ……はい」
宗吾さんは流石だ。
兄さんがふらつくとすぐに支えてくれる。
兄さんには絶対に宗吾さんが必要だ。
「宗吾さん、ありがとうございます。これからも兄のことよろしくお願いします」
「潤……」
「瑞樹のことは任せておけ。潤くんは菫さんの良き夫に、いっくんの良きパパになるんだぞ」
「はい! ……あれっ芽生坊は?」
「あぁ、菫さんといっくんが到着したので、一緒に遊んでいるよ。作業が終わったのなら、一度花嫁さんに挨拶に行くといい」
「潤、ここはもう大丈夫だから、行っておいで」
「でも」
兄さんがふっと微笑んで、オレの背中をトンっと押してくれた。
「じゅーん、今日は潤が主役だよ」
「緊張するよ」
「大丈夫……潤は南国の王子様なんだ」
「えー、そこかよ」
「ふふっ、そうそう、その笑顔!」
綺麗な形の唇をキュッと上にあげて、甘い雰囲気で微笑む兄さん。
寂しく乾いた微笑みしか出来なかった兄が、今はこんなにも眩しい笑顔をオレに振りまいてくれる。
それが嬉しくて、嬉しくて――
****
「パパぁ、お兄ちゃん、がんばっているかな」
「あぁ」
「あー! いっくんだ!」
「お、今日の主役の花嫁さんとキューピットの登場だな」
軽井沢には一緒に行けなかったので菫さんとは初対面だが、すぐに分かった。写真で見た通りの可憐な女性と、可愛い坊やが仲良く手をつないでやってきた。
「いっくんー!」
芽生が元気よく叫ぶと、いっくんも顔をあげて、天使スマイルだ。
「めーくん!」
いっくんがママの手から離れて、一目散に芽生のもとに走ってくる。
といっても、まだまだ三歳児、なかなか進まないのも愛らしい。
「いっくん、すごくあいたかったよ」
「めーくん、いっくんも!」
ふたりはまるで本当の兄弟のようにじゃれ合っている。
そんな和やかな光景に、思わず目を細めた。
「あの、あなたが芽生君のパパですか」
「はい、芽生の父であり、瑞樹のパートナーの滝沢宗吾です」
「わぁ、想像通りの方ですね。素敵な人だと瑞樹くんが話していましたよ」
「えぇ? 瑞樹がそんなことを」
「はい。あの……私が樹の母、菫です。今日はわざわざありがとうございます」
菫という名前通りの、感じがいい女性だな。
「今日はおめでとうございます」
「私は再婚なので……でも、潤くんのためにもよいお式にしたいと思っています」
「再婚とかそういうのは関係ないさ! 大切な人と幸せになりたい気持ちが一番だ」
「ありがとうございます。あ……潤くんは?」
「あ、瑞樹の手伝いをしていて、おそらくそろそろ終わるだろうから呼んできます」
「じゃあ、私は芽生くんを見ていますね」
「ありがとう」
作業部屋を覗くと、ちょうど実家から預かったお祝いのことを話しているようだった。
「滝沢ファミリーの一員……そんな風に考えてもおこがましくないのかな?」
瑞樹が謙虚に躊躇うように放った言葉を、俺はしっかりキャッチした。
君が少し弱気になってしまう時に、後ろから支えるのが俺の役目だからな。
俺がいる。
だから大丈夫だ。
そんな安心感を、俺は瑞樹にいつも届けたい。
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