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光の庭にて 3

 五月下旬の爽やかな結婚式から月日は巡り、今は梅雨真っ盛りだ。  駅を出ると小雨が降っていたので、傘を差した。  ジューンブライドということもあり、僕の部署は大忙しだ。今日はそれに加えて店舗の応援にも入ったので、もう21時を回っている。 「ふぅ……予定よりずっと遅くなってしまったな」    小雨が降る道すがら、高い湿度にじわっと背中に汗をかいた。 「ただいま! 遅くなりました」 「おー! 瑞樹、残業お疲れさん」  夜遅くに帰宅した僕を、黒いエプロン姿の宗吾さんが玄関で出迎えてくれる。  宗吾さんの笑顔に触れると、あぁ僕の家に帰ってきたんだと、安堵感に包まれる。 「すみません。急に店舗の方に手伝いに入って……」 「そんなの、お互い様だよ」 「ありがとうございます。あ……手を洗ってきますね、芽生くんは?」 「あぁ子供部屋で宿題をやっているよ、2年生なると急に増えるんだな」 「そうなんですね、大変ですね」  洗面所で手を洗って、そのまま湿度でベトベトになった顔をさっと洗って、タオルに顔を埋めると、後ろからギュッと抱きしめられた。 「ん……宗吾さん……? 今日は蒸し暑かったから……僕、薄汚いですよ?」 「いや、瑞樹はいつでも清楚だよ。それに……くんくん……あ、やっぱり今日は花の匂いが濃いな」 「も、もう―― それは……さっきまで花に触れていましたので……いつも言っているのに……」  首筋に顔を埋められると、僕の胸もキュンと震える。 「あ……あの、もう離して下さい」 「いやだ!」 「え?」 「はは、冗談だよ。夕飯、まだだろう? 今出すよ」 「ありがとうございます。今日は何ですか」 「肉じゃがと冷や奴と小松菜のお浸しと……」 「わぁ、美味しそうですね」 「俺には瑞樹の方が美味しそうだぞ? 仕事帰りでちょっとやつれているのが色っぽい」  宗吾さんの愛情表現はいつだって直球勝負だ。くすぐったくも恥ずかしくも聞えることを、躊躇いもせずに言ってのける宗吾さんらしさも好きなんだ。 「宗吾さん……」 「瑞樹……」    目を細めて見つめ返すと、洗面台に押しつけられるようにキスをされた。 「ん……」 「ほらな、やっぱり美味い」 「くすっ、僕は……お腹が空きました」 「おぅ! まずは瑞樹の胃袋を満たさないとな」 「お願いします」  宗吾さんが支度をしてくれるというので、僕は芽生くんの部屋を覗いてみた。  トントン―― 「芽生くん、入ってもいいかな?」 「あっ、お兄ちゃん! たすけてよぅ……ううっ、ぐすん」   あれあれ? 芽生くんが涙目になっている。 「どうしたの?」 「しゅくだいがね、ぜんぜんおわらないの~」 「どれ?」  消しゴムカスが積もったプリントを見ると、時計の問題だった。  丸い時計の絵が並んでいるよ。 「はじめてからおわりまでのジカンをこたえるの、わかんないよぅ。なんで6じ30ふんの6はここなのぉ? もうぜーんぜん、わかんないよ~」  芽生くんが手足をバタバタして、机に突っ伏してしまった。  うんうん、時計って確かにややっこしいよね。  潤もここで躓いていたなぁ。  懐かしい光景が浮かんで来るよ。 「なんだ芽生は騒いで。そこなら、さっきパパが教えただろ?」 「だってだって……よくわかんなかったんだもん」 「だからプリントをよく見ろって! もう、どうしてこんなことがわからないんだ? こんなの簡単じゃないか」 「ぐすっ、わかんないもんはわかんないんだよぅ!」  あーあ、二人のやりとりは、いつものパターンだ。   「よし、芽生くん、お兄ちゃんとおうちの時計を見てみようか」 「おうちのとけい?」 「そうだよ、見慣れた時計だと理解しやすいんだよ」 「そ、そうなの?」  宗吾さんも合点がいったようで、壁にかけてあった時計を下ろしてくれた。 「芽生くん、この時計の時間は分かるよね」 「うん! 今は9じ15ふんだよね」 「あってるよ。あのね、ここを回すと、長い針と短い針が動くんだよ」 「わぁ~ おもしろい」 「じゃあ、6時半にしてごらん」 「うん! あれあれ……ほんとうだぁ……みじかいはりさんもすこしうごくんだね」 「プリントを見てごらん」 「あ! おなじだー! やっと、わかったよぅ!」    芽生くんの顔がキラキラと輝く。  新しい発見をした時の顔っていいね。 「じゃあ、プリントを1問1問、丁寧にやっていこうか」 「うん! あっ、わかるよ。これは9じはんだね。こっちは10じ40ふんだ」 「そうそう、その調子」  芽生くんの鉛筆を持つ手が、スムーズに動き出す。 「瑞樹、サンキュ! 助かったよ。俺はついカッとしちゃうんだよなぁ」 「いえ、潤も時計が苦手で大騒ぎでしたから」 「えー! 潤のヤツ~ こんなに優しく教えてもらっていたのか。羨ましいな」 「え? そこですか」  宗吾さんが真顔になる。 「そうだよ。俺なんて兄貴のスパルタに滅多打ちされてたんだから」 「あはっ、憲吾さんなら理論的に教えてくれたでしょうね。憲吾さんの切れるところもカッコイイですよね」 「えー 瑞樹、俺の兄貴にもブラコンかぁ」 「え? もう、いやだな。そんなつもりでは……僕は……兄弟が好きなんですよ。きっと」  夏樹はもういないが、今の僕には兄も弟もいてくれる。  みんな大好きだから、つい甘くなってしまうのかな? 「ほら、食べろ」 「あ……はい。いただきます」  目の前に並べられた夕食を見たら、お腹がきゅるると鳴った。 「わ、すみません」 「お腹の音も可愛いんだなぁ」 「はずかしいです」  お箸で肉じゃがを食べると、味がよく染みていた。   「ははっ、俺もだいぶ腕をあげただろ?」 「はい! とっても美味しいです。この肉じゃが、優しい味ですね」 「だろ? 母さんに教えてもらったんだ。途中で一度火から下ろして冷ますんだよ」 「そうなんですか」 「煮物は冷める事で浸透圧により味が沁みこむんだってさ。だから弱火で煮てから、一度冷まして味を滲み込ませて、更にまた弱火で煮るのがポイントなんだってさ」  宗吾さんって、イクメンだ。  僕と出会った頃よりも、家事能力、特に食事の腕前が更に上がっている。 「宗吾さんのご飯……本当に美味しいです」 「そうか、瑞樹と芽生が美味しそうに食べてくれるから、張り切れるんだ」 「嬉しいです」  仕事を終え帰宅し、こんな風に家族で会話する時間が好きだ。  心が和む。  心が弾む。 心が癒える。  心って不思議だな。  身体の疲れよりも、早く復旧するよ。 「そうだ、瑞樹、お父さんから宅急便が来ていたぞ」 「お父さん……あっ、くまさんからですか」 「そうだ。ほら、中身は……アルバムと書いてあるぞ」 「あ……潤の結婚式の写真が出来たのかも!」 「よーし、食べたら見てみよう」 「わぁぁ、いっくんもうつってる? ボク宿題ビューンって終わらせるね」 「うん」  こんな時間が大切だ。  こんな時間があるから、穏やかな心地で眠りにつける。 あとがき(不要な方は飛ばして下さい) ****   久しぶりに、日常の一コマでした。 またこんな風に……彼らの日常を丁寧に追っていきますね。 小さな幸せを探してみてくださいね🍀

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