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光の庭にて 8

「さっちゃん、どうした? まだ写真を眺めているのか」 「あ……勇大さん」 「どれ? 俺にも見せてくれ」 「えぇ」  ベッドに横になってからも……スマホに届いた写真を穴が空くほど見つめてしまった。 「レインコート、芽生坊にぴったりのサイズだったな。よく似合っている」 「えぇ、えぇ、それに……横に立つ瑞樹もとっても可愛いわ。あの子ってば、こんなに可愛い私服を着ているのね」 「スズランの柄なんて、みーくんにぴったりだな。この甘い笑顔、また見られて嬉しいよ」 「本当にそう思うわ」  目を閉じると浮かんでくるのは、小さな瑞樹。  黄色いレインコートを着ているのは芽生くんなのに、瑞樹が着ているように錯覚してしまうの。  瑞樹は引き取った当初、目の前で両親と弟を失ったショックで、いつも悲しい瞳をした切ない子供だった。放っておいたら朝の露のように消えてしまいそうで……だから……当時5歳だった潤の面倒を全面的に頼んだの。無理にでも人と関わらせることによって、この世に生きることに執着して欲しくて。  でも結果的には、まだ10歳だった瑞樹に大きな負担を掛けてしまった事に気付いたのは後の祭りだったわ。父親を知らずに生まれてきたのが不憫で、つい甘やかして育てた潤に、かなり手を焼いているようだったのに、うまくフォロー出来なかった。  それにしても……あの日、黄色いレインコートはいらないと言われた時、この子はもしかして……と不安な気持ちが過ったのが、今も忘れられない。 「さっちゃん、また過去を振り返っているな。また自分を責めているのか」 「あっ……ごめんなさい」 「なぁこの写真を見てくれよ。芽生坊は名前の通り生命力で溢れた子だぞ」 「えぇ、えぇ、この笑顔。黄色がよく似合って、まるで瑞樹を照らしてくれる太陽みたいね。宗吾さんと芽生くんと瑞樹が巡り逢えて、本当に良かったわ」  男同士ということは、私には大きな問題ではなかったの。  瑞樹を生かしてくれる存在に、深く感謝したあの軽井沢があって、今がある。 「さっちゃん、俺たちの息子と孫は、今日も幸せそうだな」 「勇大さん、私も幸せだわ。こんな風にゆったり過ごす日々は、まだ慣れないけれども、心が穏やかだと、私の日常にも小さな幸せが溢れていることに気付けるのね」 「俺もだよ。さっちゃんが幸せだと、俺も幸せだ」  優しい抱擁、続いて深い抱擁。  勇大さんの広い胸の中は、ようやく肩の荷を下ろせる場所。  私……ずっと疲れていたのね。  ここは暖かくて優しくて、ほっとするわ。    **** 「あれぇ? 今日も晴れなの?」 「芽生くん、そうだね。梅雨はどこにいってしまったんだろうね?」    せっかく新しいレインコートと長靴が届いたのに、翌日から雨がぴたりと止んで、もう三日も晴れ間が続いている。うーん、良いのか悪いのか。 「レインコート、早く着たいなぁ」  芽生くんが窓の外を見て、ふぅと溜め息ひとつ。だから僕も一緒になって溜め息ひとつ。  ベランダには、大量の洗濯物が風に吹かれ、宗吾さんのパンツもひらひらと揺れている。  結局……彼のパンツ、間に合ってしまったな。ベッドの下の小さな虫たちの地下帝国(かもしれない場所)、あそこに突入するのは週末でないと無理だ。かなり大がかりな捜索になるだろう。 「お兄ちゃん、どうしたの? もう行くよー」 「あ、ごめんごめん。行ってらっしゃい。気をつけてね」 「うん、いってきます!」  明るい笑顔と揺れるランドセルを見送ってリビングに戻ると、宗吾さんが窓に向かって伸びをしていた。   「おー、いい天気だな。今日は洗濯物がよく乾きそうだぞ。ははっ、瑞樹のパンツと俺のパンツが袖を振り合っている」 「……」    宗吾さんが生き延びたような顔をしているのが憎たらしいような可愛いような。(何度も思うが、僕は宗吾さんに甘過ぎる!) 「宗吾さん、週末、このまま晴天が続いたら、寝室の大掃除ですよ」 「つ、ついにやって来るのか。瑞樹は掃除に関しては容赦ないよな。いつもの柔らかい優しさはどこへ」 「それは宗吾さんが……汚すぎるからです!」 「瑞樹、お手柔らかに頼む、なっ」 「もう……くすっ」(憎めない人だ、宗吾さんって。芽生くんと一緒で天真爛漫だな) 「機嫌直ったな、ついでに、朝のキス、リターン!」 「リターンってなんですか」 「もっとしたいってこと。お代わりくれ」 「あ……ん……っ、……んっ……」  窓に押しつけられるように宗吾さんに腰をしっかり掴まれて、キスをされる。僕も宗吾さんの背中に手を回して夢中になって応じていると、固定電話が鳴った。  こんなに朝早くから、誰だろう? 「もしもし」 「あ……瑞樹くん?」  この艶っぽい声って……! 「洋くん?」 「瑞樹くん、久しぶりだね、朝からごめんね」 「ううん、大丈夫だよ。元気だった?」  電話の主は、北鎌倉の月影寺に住む張矢洋くんだ。葉山の海で偶然出会い、そこから家族ぐるみで交流を深めている友人だ。  春に会おうと言っていたが音沙汰がなかったので、久しぶりの連絡だ。   「あのね、春は忙しくて連絡出来なくてごめんね。実は瑞樹くんに頼みがあって」 「何かな?」 「梅雨の大雨のせいで……お寺の宿坊の雨漏りが酷くなってきたので、今度こそ全面的に改装工事をすることになって……そうしたら、いろいろと不要なものが出て来たんだ。よかったら芽生くんと宗吾さんと遊びに来ない?  古いものだけど、まだまだ使えるものが沢山あるんだ。芽生くんが喜びそうなものもあるし」  なんだかワクワクするお誘いだ。でも週末は芽生くんと時計を買いに行く約束をしている。さて、どうしようかな? 「あの、ちなみに……古いものって何かな?」 「うーん、例えば……宿坊の備品の目覚まし時計が何個もあって」 「え? 目覚まし時計って、もしかして長針と短針のあるアナログの?」 「あぁそれ。今回のリフォームを機に、もっとモダンな物にするって流さんが張り切っているんだ」  なんてタイムリーなんだ!   「ちょっと待って、宗吾さんに聞いてみるね」  宗吾さんに掻い摘まんで話すと、大きな丸を頭上で描いてくれた。(パンツの捜索から逃れられることを喜んでいるようにも見えるが……) 「三人で伺うよ」 「よかった! あ、でも週末は雨の予報だけど、大丈夫?」 「雨? 嬉しいよ!」 「えっ?」  つい子供みたいにはしゃいでしまった。僕ってば……テンション高過ぎ? 「えっと……芽生くんがレインコートを着たがっていたから」 「そうなんだ。子供って無邪気で可愛いね。瑞樹くんは何だか前よりも明るくなったね。そうそう、鎌倉は今、紫陽花が見頃だよ」 「そうかな? うん、そうかも……紫陽花、綺麗だろうね」  また月影寺に遊びに行けるなんて。  二年前……紫陽花に囲まれた寺庭で、僕と宗吾さんは和装姿で指輪の交換をした。  あの場所に行けるのが、素直に嬉しい。    僕の幸せな軌跡を辿ろう。  そこには……幸せな未来へと続く道がある。 「瑞樹くん、俺……君に報告したいことがあって」 「あ……僕も」 「ふっ、一緒だな」 「うん」  今の僕には、近況を話せる友人がいる。  それも嬉しいよ。 あとがき(不要な方は飛ばして下さい) **** 突然ですが、今日から『重なる月』のメンバーと、じわじわとクロスオーバーしていきます。毎年恒例の楽しい話に最終的にはしていきたいです。 どうぞよろしくお願いします。『重なる月』が未読の方にも通じるように書いていきますね。 他のサイトで申し訳ありません。『重なる月』→https://estar.jp/novels/25539945  

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