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ひと月、離れて(with ポケットこもりん)10
月影寺
「流、ねぇ、小森くん……今日は遅いね」
「あー、アイツなら修行に出た」
「え? 一体どこに?」
小森くんが定刻になっても現れないので心配すると、流があっけらかんとした様子で答えた。
「……翠は昔読んだ『一寸法師』を覚えているか」
「もちろん覚えているけれども、それと小森くんの修行と何の関係があるの?」
「そうだな……あ、じゃあ『可愛い子には旅をさせよ』は?」
「はぁ?」
さっきから何を言っているのだろう?
ん、待てよ……修行と一寸法師と旅を結びつけると……
「流、つまり……小森くんは小さくなって修行の旅に出たって言いたいの?」
「そうそう! やっぱり俺の翠は聡いなぁ~」
「ちょ……」
冗談だと思ったのに、本気らしい。
「危ない目に遭いそうで怖いよ」
「大丈夫だ。騎士がついている」
「なんだ、菅野くんと旅行に行ったのか。それならそうと最初から言えばいいのに」
「いやいや、彼等の出張に同行したんだよ。ついでに天使もついている」
「え? 瑞樹くんも一緒なの? 大切な仕事なんだろう? お、お邪魔じゃないの?」
「……翠が仕込んだ子だ。そこはわきまえているさ。手塩にかけて育てた秘蔵っ子だろう」
「そ、そうだけど……弟子を持ったことはなかったので……小森くんが最初の弟子なわけで……僕……上手に育てられたのかな?」
「もちろんだ。翠……頑張ったな」
「……流」
流に褒められるのは心地良い。
流にだけは甘えられるから。
しかし……話がすり替わった気もするが、流が案じていないということは、このままで良いのだろう。
「というわけで、アイツは1ヶ月帰って来ない」
「えっ、1ヶ月も?」
「というわけで、日中……もれなく、こんなことが出来る」
「えっ」
目を見開くと、流が唇を押しつけてきた。
「りゅ、流!」
「翠、心配するな。一回り大きくなって帰ってくるよ。アイツは外の世界を知らなすぎる」
「そうだね……菅野くんと瑞樹くんが一緒のようだから、お任せしようかな」
「流石、俺の翠は悟りが早いな」
「さっきから、褒めてばかり……」
「当たり前だ。俺の翠なんだから……可愛いな」
熱心な口づけに、僕も応じていく。
****
仕事の合間にふと思い浮かんだのは、瑞樹の可憐な顔だった。
時計を見ると11時過ぎ。
今頃、大阪で前任者と引き継ぎ中か。
朝、瑞樹に助言してやったことは、役に立っただろうか。
引き継ぎ相手はパビリオンの企画から設営を担った人物だ。大事に育てた事業を、道半ばで泣く泣く誰かに渡すのだから、相当気が立っているだろう。
気が立っている相手というのは、時にとんでもない言葉を投げつけてくる。本心とは裏腹に悪意の塊になってしまうこともある。
俺が玲子から離婚時に浴びた罵倒も、そんな一つだったと思う。
そんな相手に……言い返したり、やり返そうとするのは駄目だ。
同じ土俵には立つな。
君はいつものままでいればいい。
ありのままの君は素直で可憐で、どこまでも大切にしたくなる人だ。
すぐに気付いてもらえないかもしれないが、きっと気付いてくれる。
花を愛する人ならば、きっと。
****
「今日の読み聞かせは『一寸法師』ですよ~」
図書の時間にボランティアのお母さんたちが、絵本の読み聞かせをしてくれたよ。
今日は『いっすんぼうし』だって。
小さくなって旅をするのって、どんな気分なのかな?
でも、昔じゃないから車にひかれたりしそうで、こわいよ。
そうだ! ポケットにはいったらいいかも!
入るなら……パパかお兄ちゃんのどっちがいいかな?
お兄ちゃん、もう大阪にいるの?
本当に1ヶ月もあえないの?
10月まで会えないなんて、本当はね、すごく……さみしいよ。
あーあ、ボクも小さくなってポケットに入って、ついていきたかったなぁ。
ずっとずっと一緒にいたいんだ。
大好きだから。
****
大阪市内、病院
「何もかも……俺みたいに台無しになってしまえばいい! 君だってそう思っているんだろう? 面倒な仕事を押しつけられたって思っているくせに。もう引き継ぎなんてしなくていい。全部枯れてしまえばいい!」
投げやりな言葉は、正直これ以上聞くに堪えなかった。
結局……僕の言葉は何一つ届かなかったのだろうか。
手をギュッと握りしめ、俯いたまま動けない。
すると菅野が一歩前に出た。
「今を生きているんです! あなたも花も……そして俺たちも……俺のここには……すべてを諦めて、逝かなくてはいけなかった人がいるんです」
菅野がドンっと胸を叩く。
あぁ、菅野の心の奥に残る悲しみが見える。
知花ちゃんは成仏したが、菅野の心の片隅には思い出として住んでいるんだな。
僕にも分かるよ。
大切な思い出は手放せない。
「みんな、いろんなことを抱えて生きています。どうか……心を整えていきませんか」
「……うっ……」
怪我をしていない方の手で、彼は目頭を押さえた。
「こっ、怖かったんだ……もう駄目だって……絶対に死んでしまうと……」
「あっ……」
彼の虚勢に隠れた恐怖が見えて来た。
死の恐怖と直面したからなのだ。
僕にも分かる。
あの瞬間、僕も天に召されたと思ったから。
「生かされているんです、生きているんです、花もあなたも……僕たちも」
僕はそっと肩を震わせ涙をこぼす彼の肩に手を置いた。
「すみません……あんなこと言うつもりじゃ……興奮したら止まらなくなって」
「いいんです。誰だってそうなります。僕だって、菅野だって……」
昂ぶっていた感情の波が、すうっと凪いでいくのが分かった。
よかった。僕も感情的になって言い返さなくて……菅野も冷静に対応してくれて。
和やかな場とは、勝手にやってくるものではない。
双方の思いやりと気遣いが、見えない部分で作用しているのだと気付く。
そうだ! そもそも『引き継ぐ』という言葉がしっくりこないのだ。
「あの……僕たちは……あなたの仕事を引き継ぐのではなく、手助け させて下さい。あなたの花の話を沢山聞かせて下さい。どんな子ですか」
「うっ……うちの秋桜 は美人だが、少し相手が大変なんだ。クレチマスは優雅な子なんだけど、気まぐれで……」
優しく投げかけると、優しい言葉が返ってきた。
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