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ひと月、離れて(with ポケットこもりん)19
「小森くんも、いい夢をね」
「はぁい」
管野くんの胸元に潜り込むと、またドキドキしてきました。
さっきポケットの中で無の境地から戻ると、声が聞こえたのです。
どうやら、お電話中のようでした。
しきりに「宗吾さん、宗吾さん」と呼んでいます。
それなのに声の主が瑞樹くんだと、すぐに気づけませんでした。
それ程までに普段と違う上擦った甘い声だったのです。
瑞樹くんの声はどんどん高まっていくので、僕はまるで雲の上をふわりふわりと歩いているような心地になりました。そして花の甘い蜜に包まれるような高揚を感じ、うっとりしました。
いよいよ切羽詰まった声と共に少しの水音が響き、恥ずかしくなりました。
その時になって……瑞樹くんが電話の向こうの宗吾さんと何をしていたのか悟ってしまいました。
ぼっ、僕も……こう見えても立派な成人男子です。
こんな小さい身体でも、ちゃんと一人前に反応するのですね。
でもこの身体では、管野くんにちゃんと触れてもらえないのです。
それが悲しくて、メソメソしてしちゃいました。
もう……元に戻して欲しいです。
戻りたいです!
管野くんとちゃんと触れ合いたいのです。
そうだ! こんな時は『もしもし相談室』の流さんに聞いてみよう。
最初はそう思ったのですが、直前で方向転換しました。
どうしてもご住職の声が聞きたくなりました。
道に迷った時や悩んだ時、いつも僕を導いて下さるお師匠さま!
優しいお声で励ましていただけて、勇気と元気が出ました。
あれれ? ちょっと待って。
元気が出過ぎちゃった?
下半身がジンジン痛いですよ。
「か……かんのくーん」
「んー どうした? こもりん……あんこが足りないのか」
「違くて……さみしいのです」
「寒いのか、よしっ」
ヒョイと寝惚け眼の管野くんが僕の首根っこをつかんで、パジャマの中に入れてくれました。
わぁー! あったかい。
素肌のぬくもりが気持ちいいです。
管野くんの肌からは、せっけんのにおいがしますよ。
嬉しくなってコロンコロンと胸もとを転げ回っていると、コリッとしたものにあたりました。
「あ……これって……ちくびさん」
今の僕の小さな手でも、これならぴったりサイズです。
かんのくんが恋しくなってペロッと舐めてしまいました。
「んっ……」
舐める度に、管野くんが気持ち良さそうな声を出してくれます。
うれしくなって、もっとペロペロ。
住職さまの助言通り、小さな僕にも出来ることがありましたよー!
「ううっ……なんかヤバい……なんだ……このムズムズ感は……」
管野くん、もっともっと気持ち良くなってくださーい。
ちゅちゅちゅと吸い上げ続けると、管野くんが突然ガバッと起き上がりました。
僕はその拍子に、床に転がり落ちてしまいましたよ。
イタタ……っ!
「ん……ヤバい……もう限界だ。つらっ」
ベッドの下まで落ちてしまったので、もう管野くんの声しか聞こえません。
でもこの声って……まるで、さっきの瑞樹くんみたいです。
管野くんの黒い影が上下に揺れています。
息づかいが荒くなってきます。
「風太…… 風太……っ」
あぁ……管野くんが切羽詰まった声で、僕を呼んでいます。
なのに……
声を出したいのに、声が出なくなっていました。
僕はここにいるのに。
****
「おはよう! 芽生くん」
「あれ? お兄ちゃん、今日は元気いっぱいだね!」
「うん、来週の今頃はもうそっちだと思うと嬉しくてね」
「もう来週なの?」
「そうだよ。運動会の前にはちゃんと戻るから、朝練、頑張っておいで」
「やったー! やったー!」
芽生くんが電話を放り出して、ぴょんぴょんしているようだ。
くすっ、可愛いね。
全身で喜びを表現してくれて。
「芽生、そんなにドンドン跳ねるな。下から苦情がくるぞ」
宗吾さんの声がする。
「瑞樹、おはよう!」
「おはようございます」
「よく眠れたか」
「あ、はい……あの後は……流石にぐっすりでした」
小森くんに全て聞かれてしまったのは、内緒にしておこう。
彼にかけられた魔法が壊れてしまいそうだ。小森くん自身の力で、封印を解かないといけないような気がするから。
「もうカウントダウンだな。今日も1日気をつけて過ごせよ」
「はい! 宗吾さんも」
ポケット芽生くんを作業服に忍ばせていると、管野が焦った様子でやってきた。
「瑞樹ちゃん、どうしよう」
「どうした?」
「こもりんが、またしゃべれなくなった。それに眠ったままなんだ」
「え?」
「床にこれが……」
昨日あれから何があったのだろう?
……
心配しないでください
僕は修行に集中しています。
あとは御守りに徹します。
大丈夫です。
これは僕が元に戻っていく過程なのですよ。
……
「こう書いてあるが、心配なんだ」
「……本気なんだね。彼は元に戻るために本気なんだよ。きっと一週間以内に元の大きさに戻れるよ」
「どうして分かるんだ。こもりん、どうしちゃったのかな?」
「そうだね……愛の力が漲っているんだよ」
「み、瑞樹ちゃん、なんか……朝からカッコいいな」
「そう?」
昨日、電話で宗吾さんとシタからとは、絶対に言えない!
三週間溜め込んでいたものを吐き出せたせいか、身体も軽く、頭の中もすっきりしている。まるで一皮剥けたような気分だった。
あぁ……こんなこと宗吾さんに聞かれたら、喜ぶだけだよね。
「あれ? そういう管野も、妙にさっぱりした顔をしているな」
「そ、それは言うな~って‼‼」
「え?」
管野は真っ赤になって、自分の手の平で、火照る顔を扇いでいた。
朝日に照らされたパビリオンで、今日も一日、僕達は汗水垂らして働く。
本社の内勤や店舗の助っ人では味わえない達成感だ。
僕、この一ヶ月で少しタフになった?
心も身体も鍛えられた気がするよ。
病院に新設した薔薇のアーチの報告に行くと、カーテンの中に籠もっていた彼に泣かれてしまった。
「すごい……君、すごいんだな。俺のイメージ通りだ。あ……ありがとう。最初は悪かった。君がここまで俺の仕事を大切に考えてくれ、寄り添ってくれるなんて……あ……アイツにも早く報告したいのに……なんでだよっ」
一緒に事故に遭った同僚は、まだ昏睡状態だと聞いている。
「悪いが……アイツの枕元に、この写真を置いてきてくれないか。見せたいんだ。俺たちが2年がかりで準備した情熱が花咲いている様子を」
「えぇ、分かりました」
僕はまだ意識の戻らない男性の枕元に立った。
点滴とモニターの微かな音しかしない部屋。
交通事故は本当に怖い。
一瞬で全てが消えてしまうから。
この世に命を繋ぎ止められたのなら、どうか……どうか目を覚まして下さい。
みんなが、あなたを待っています。
彼が……待っています。
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