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ひと月、離れて(with ポケットこもりん)28
「うわぁ~ ここは、かの有名な大阪風月庵の抹茶餅では!」
「あんこ党には有名らしいな。さぁ今日は瑞樹が世話になったし、俺が奢るから好きなだけ食え」
「す、好きなだけー!」
宇治抹茶とあんこの相性は抜群ですし、中のホイップクリームのミルキーな味わいも最高ですよ。あぁぁ外は柔らかい羽二重餅なんですね。
もぐもぐ!
「お、美味しいですー もう1個いいですか」
「おう、何個でもいいぞ」
「わぁい」
もぐもぐ、もぐもぐ!
「やっと腹八分目ですよ。満腹まであと5個です!」
「お、おい……そんなに食べて大丈夫なのか」
「大丈夫です。すぐお腹が空くので。最近あんこを断っていたので嬉しいです」
「こ……こもりくん、あのね」
ん? 芽生くんが真剣な目で僕を見ていますよ。
「どうしたのですか」
「おばちゃんが言っていたよ。『はらはちぶんめにいしゃいらず』って」
「え? 難しい言葉を知っているんですね」
「んっとね、少しゆとりをのこしておくとね、いいんだって。めいいっぱいだと、もうほかのしあわせがはいってこないって」
『腹八分目に医者いらず』は知っていますが、その後の言葉にドキッとしましたよ。
詰め込みすぎると余裕がなくなって、せっかくの幸せも入る余地がないということですね。
「芽生くん、それは素晴らしい説法ですね。僕、目が覚めました!」
「えへへ、だからね、あと5こは、おみやげにしたらどうかなぁ?」
五個と言えば……住職と副住職に薙くん、丈さんと洋くんでぴったりです。
こんなに小さな芽生くんでも気付くことなのに、僕ってばあんこに夢中になりすぎて恥ずかしいです。
「そうします……僕、がめつかったですね」
少ししょんぼりしてしまった。すると宗吾さんが……
「そんなことないさ! 見ていて気持ち良かった。子リスみたいな爆食いは爽快だ。まぁ芽生が言ったことは一理あるかもな。君が健康で元気でいてくれないと泣く人がいるだろう。相手の顔を思い浮かべれば、自然と行動できるさ。それに月影寺では……きっと今頃あんこを沢山買って、君の帰りを待ち侘びている人が居るよ。その人のためにも、腹にゆとりを持っておいた方がいいかもな」
宗吾さんって、すごいです。
なんだかとっても前向きになれますね。
「瑞樹くんは幸せものですね」
「え? いきなりどうした?」
「あ……あの、仏教の説法は心を穏やかにしてくれますが、宗吾さんの言葉は、人を元気にするパワーを持っています。まさに心の栄養剤ですね」
住職からの教えを思い出しました。
『小森くん……いいかい? 言葉にはくれぐれも慎重におなり。君が放った何気ない一言で誰かが大きく傷ついたり、たった一言で元気になれたりと、言葉にはとても大きな力があるんだよ。君はまだ幼い。不安な時は、あんこを食べておきなさい』
ん? そこで、あんこ?
僕は住職に甘やかされていたのですね。
「小森くんに言われると照れるな」
「いえ、僕も芽生くんに一つ学びました」
「君の長所は素直なところだ」
「はい! ご馳走様でした!」
****
新大阪駅・新幹線ホーム
「遅いな」
「ギリギリまで仕事だったのでしょう」
「パパ、遅れちゃったらどうするの?」
「なぁに、来るまで待つさ、自由席で帰ればいい」
「そっか! よかった」
ゆったりとした気持ちで待っていた。
瑞樹が来るまでの時間に、この1ヶ月にあったことを思い返した。
最初の1週間で挫折したことも。
玲子と離婚した直後の芽生はまだ3歳と小さく、俺も家事経験がなくボロボロだった。だが今回は違う。家事にも慣れて芽生も小学校2年生だ。出来ることも増えたのだから、父子で1ヶ月なんて楽勝だと過信していた。
人間って欲深いな。出来ることが増えると何でも出来る気がして、いい気になって最初の一歩を疎かにしがちだ。慣れから生じる弊害がある。
『ヒューマンエラーは、慣れた時に起こる』
教習場で習った言葉は日常生活にも言えることだ。免許を取りたての頃は運転に慣れていないので交通ルールを守って安全運転するが、運転に慣れてくると、自分を過信したりルール違反をしたりして、交通事故を起しやすい。
人と人も同じだ。俺と芽生もまさに言葉の事故を起してしまったのだ。
母と兄の助けがなかったら、もっと大きな事故を起こしていたかもしれない。
言葉の事故では命は失わないかもしれないが、確実に信頼を失ってしまう。
この一ヶ月の経験は、決して無駄じゃなかった。
この先……瑞樹と暮らす月日が続けば続く程、生じる慣れもあるだろう。
そんな時、この離れて暮らした一ヶ月を思い出そう。
「あ、お兄ちゃんだ」
「あ、菅野くんだ」
新幹線のホームを走ってくる二人は、大きな仕事をやりとげた達成感に満ちた顔をしていた。
「宗吾さん! お待たせしました」
「お疲れさん、全て終わったのか」
「はい! きちんと終わらせてきました」
肩で息をしながら甘い吐息と共に存在感を示す瑞樹からは、やはり花のようなよい香りがした。
「あ……芽生くん、これね、加々美さんから」
「なぁに?」
「四つ葉のお礼だって」
「わぁ、クローバーだ」
それは三つ葉のクローバーだった。
「幸せはいつも身近にあるんだねって言っていたよ。芽生くんがそれに気付かせてくれたって……芽生くんはすごいね、偉かったね」
瑞樹が芽生の視線と合わせて手放して褒めると、芽生も破顔した。
「お兄ちゃん、ボク……お兄ちゃんがいなくてさみしかったよ。お兄ちゃん、もうお家に帰れる?」
「うん、一緒に帰ろう。迎えに来てくれてありがとう」
「わぁい、ボク……お兄ちゃんにほめてもらうの、だーいすき!」
芽生の弾ける笑顔に、俺の心もポカポカだ。
瑞樹がようやく戻って来てくれる。
優しい君から生まれる言葉は、俺たちのかさついた心に潤いを与えてくれ、爽やな気分にしてくれる。
「宗吾さん、帰りましょう!」
「あ、あぁ」
瑞樹が帰る場所がある。
そこが俺の元だということに、改めて感謝を。
初心を忘れずに、丁寧に優しく交流していこう!
新幹線が静かに動き出す。
もう外は真っ暗で景色は見えないが、所々に見える外灯が、俺たちの心みたいだった。
「宗吾さん……僕……やっと帰れるのですね」
瑞樹は嬉しそうに目を閉じて、俺の肩にさり気なくもたれてくれた。
愛しい人の温もりが、心に届いた。
「お疲れさん、少し休め」
「ほっとして……眠くなってしまいました」
「眠っていいよ。俺が連れて帰るから」
「はい……」
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