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ひと月、離れて(with ポケットこもりん)29
月下庵茶屋の包みを抱えて一段抜かしで石段を駆け上ると、翠が立っていた。
いつからそこにいたのか。夜風に乱された髪が色っぽいと思った。
「流、お帰り」
「あぁ、帰ったぞ!」
「ありがとう、沢山買って来てくれた?」
「お望みのままに」
「きっと喜ぶね。あの子はあんこが大好きだからね」
翠が蕩けそうに甘い笑顔を浮かべる。
あーあ、翠は一番弟子の小森に滅法弱いから、仕方ないか。
「なぁ……翠が好きなのは、なんだ?」
それでも負けじと身を乗り出して意地悪く聞くと、翠が目を泳がす。
「今……それを聞くの?」
「あぁ、今すぐ聞きたい」
「ん……流だよ。僕が好きなのは……流だ」
「翠、ありがとう」
和菓子の名でも上げれば済むのに、俺の名をきちんと呼んでくれる翠。
逃げずに甘やかしてくれる翠が、大好きだ。
「そうそう、小森は今日は寺に泊まらせよう」
「いいの?」
「あぁ、一ヶ月の修行を終えてヘトヘトだろう。俺が新横浜まで車で迎えに行って連れてくるよ」
「ありがとう。僕は寝床を用意しておくよ。それにしても流石、流だね。流は本当に気が利くし優しいね。」
翠が手放しで褒めまくるので、擽ったいぞ。
「なぁ……時々、小森って俺たちの子供みたいな気分にならないか」
「あ……流も同じことを? あの子が15歳の時から寺で育てているせいかな? すっかり情が移ってしまったよ。それに僕の教えを素直に吸収できる賢い子だから、つい肩入れしてしまってね」
いつも中立、平等の翠がそこまで靡くのは、小森の人徳のなせる技なのか。
「翠、なぁ……俺にも肩入れしてくれよ」
わざと口を尖らせると、翠がたおやかに微笑んだ。
「流には……これを」
辺りをちらりと見渡してから、そのまま闇に紛れて優しく唇を吸ってくれた。
「いいかい? これはお駄賃だよ。さぁもう行くよ!」
「おぅ!」
俄然元気になる‼
****
風太は新幹線に乗ると、すぐに眠りについてしまった。
俺と手を繋いで、すやすやと可愛い寝息を立てている。小動物のような愛くるしさは、小さくても大きくても変わらない。
「本当に良かったな、風太」
手から伝わる温もりと俺にもたれる身体の重みに、心から安堵した。
行きはマスコットみたいに小さく変身して俺のポケットにいたのが懐かしい。あれは結局……何の現象だったのか……夢か幻か、いや確かに現実だったが……今となっては、もうどうでもいいことだ。
風太が対等に愛し合える大きさに戻ってくれて、傍にいてくれることが重要なのだから。
「この世に存在してくれて、俺の大切な人になってくれて、ありがとう」
あらためて感謝した。最初は風太がポケットサイズになり、今までで一番近くで過ごせる一ヶ月がやってきたと喜んだが、暫くすると、もどかしさが増した。風太が遠い世界に行ってしまったようで怖かった。このまま元に戻らなかったらという不安は、日が経つにつれて……俺と風太を苦しめた。
人は目の前に大事な人がいてくれるのに慣れると、つい相手を蔑ろにしたり、甘え過ぎてしまうことがある。大切な人が目の前にいてくれる。それがどんなに有り難いことかを忘れずに初心をもって、いつまでも君を大切に想うよ。
「風太、おーい、そろそろ着くぞ」
「えぇ! もうですか」
「俺は東京までだから、寂しいが一旦ここでお別れだな」
今日は日曜日、明日からはまた仕事だ。仕方がないとはいえ、かなり名残り惜しかった。
「ぐすん……僕も寂しいですよぅ……このまま管野くんのお家までついて行きたい気分ですが、今日は小森風太、ぐっと我慢します。ご住職様に満願成就の報告をしに行かないとなりません」
「そうだな。きっと月影寺のメンバーも心配しているだろう」
あどけない風太を一人下車させるのは心配だったが、その不安はすぐに解消された。新幹線のホームに、よく見慣れた人影を発見したから。
作務衣姿で堂々とそびえ立つのは、月影寺の副住職、流さんだった。
「あー! 副住職自ら迎えに来てくれましたよ」
「良かったな。本当に可愛がられているんだな」
「ありがたいことです、南無~」
「風太、1ヶ月ありがとう!」
「僕の方こそですよ! 管野くん」
瑞樹ちゃんも目を覚ましたらしく、皆で明るく元気に見送った。
風太は達成感いっぱいの顔で、ニコニコと手を振っていた。
流さんが抱える風呂敷に、ちらちらと流し目を送りながらだけど。
「ははっ、あの中には絶対にあんこが入っているな」
「ですよね。めちゃくちゃ気にしていました。どうやら、これからあんこまみれのご褒美タイムのようです」
宗吾さんと俺は、肩を揺らして笑った。
「やっぱり小森風太は、こうでなくちゃ!」
****
「ただいま!」
一ヶ月ぶりに帰って来た宗吾さんのマンション。
玄関を開けると、ようやく肩の荷を下ろせた。新横浜までぐっすり眠ったおかげで、身体の疲れはだいぶ取れていた。
「お兄ちゃん、おかえりなさーい」
「瑞樹、お帰り! 待っていたぞ」
両頬にキス!
熱烈な抱擁を受けて、擽ったい気分になった。
ここは僕の大切なマイホーム。
今の僕には、ちゃんと帰ってくる場所がある。
ようやく戻ってきたことを肌で感じ、じわりと感激してしまった。
「はい……帰って来られました。ちゃんと、ここに……」
「さぁ、上がった上がった。この後、やることが一杯だぞ。情緒もへったくれもなくて悪いが」
「はい、僕は洗濯物を入れてきます」
「俺は風呂を洗ってくるよ」
「ボクは、学校のじゅんびをしてくるね」
僕が一ヶ月間不在だった部屋は……埃にまみれていた。
「宗吾さん? あの……掃除機、ちゃんとかけていました?」
「あー、まぁ……たまーになぁ~」
「もうっ」
靴下の裏にへばりつく灰色の綿埃に苦笑しながら、寝室を開けるとまた絶句した。
ありとあらゆる衣類が、ベッドに山積みになっていた。
これじゃ寝る場所がない。
これは流石に……もの申さないと!
宗吾さんは掃除に関して、あまりにルーズ過ぎる!
芽生くんが子供部屋にいることを確認し、扉を閉めて低い声を出した。
「宗吾さん……あのですね。ここに泥棒でも入ったんですか」
「あー、大阪行きを思い立ったのが急だったから、ドタバタでさぁ」
「もう、しかも……パンツばかり、どうしてこんなに散らかして!」
「あぁ、一番君好みの物を履いて行きたかったんだ」
「も、もう……」
何を言い出すのかと脱力しそうになったが、宗吾さんの目にグッと力が宿る。
狡い、そんな風に見られたら……僕……口が滑ってしまいます。
「もう……パンツなんかより……僕には宗吾さん自身が一番です。あぁ……もう宗吾さんに……早く抱かれたい」
はっ、僕、今、何を口走って……!?
今のは心の中の……独り言だったのに……
自分の口から出たとは思えない甘ったるい台詞に動揺した。
流石に宗吾さんもドン引きでは?
恐る恐る目を開けると、宗吾さんが珍しく赤面していた。
うわっ、僕……どうしよう?
「いやぁ……君は本当に瑞樹か。少し離れているうちに大胆になってくれたんだな」
「ち、違います、あれは……心の声であって。も、もう……さっきの台詞は忘れて下さい!」
「忘れるものか! 最高に嬉しい誘いだったぞ。そう来たら、俺が言えることは一つしかないよ」
「な……なんですか」
「俺には瑞樹がいないと駄目だ! 瑞樹……早くこの手で君を抱きたい」
何も飾らないストレートな言葉に、僕は射貫かれてしまう。
好きです、大好きです。
離れている間に膨らんだこの気持ちを、早く届けたい。
僕の身体の昂ぶりは、もう宗吾さんには筒抜けだ。
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