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ひと月、離れて(with ポケットこもりん)30
新幹線が見えなくなるまで、僕はピョンピョン跳ねながら手を振り続けました。途中で流さんが抱えている風呂敷の中身が気になって、少し横目になってしまいましたが。
「よし! 俺たちも帰るぞ」
「はい!」
良かった~ 僕が帰る場所は月影寺でいいのですね。
1ヶ月もお寺をお留守にしてしまったので、居場所があるか心配でしたよ。
「流さん、あのあの、その風呂敷の中身は?」
「あぁお前の大好物の『満月最中』だ」
「やったー!」
「なんだ。思ったよりも元気そうだな。疲れ果てていたら、これを餌に歩かせるつもりだったが」
「大丈夫ですよ! お持ちします」
久しぶりに『満月最中』の匂いを嗅いだら、ほっとしました。
僕にとって故郷の味です。
「ほら着いたぞ」
「先に行っていいですか」
僕は我慢出来なくなり、石段を駆け上がりました。
「おい、そんなに急いだら、また転ぶぞ」
「一刻も早くご住職様に会いたいんです! 沢山報告したいことがあるんです!」
なんと! 石段を上がると目の前に、ご住職さまが立っていました。
「小森くん! お帰り」
「ご住職さま! お会いしたかったです」
僕は子供みたいに抱きついてしまいました。お着物に焚かれた上品なお香の匂いが懐かしいです。
「わっ! どうしたの?」
「僕……僕……っ」
どこから何を説明したらいいのか、分かりません。とにかくここに戻って来られて嬉しいのです。
「小森くん……よく頑張ったね。偉かったね」
慈悲深い静かな声が心地良く降ってきますよ。
「ご住職さまぁ、お会いしたかったですぅ」
「僕も君がいなくて寂しかったよ。あぁ、こんなにボロボロになって……早く身を清めて、あんこを一杯食べよう。ねっ」
「はい!」
着の身着のまま過ごした1ヶ月。小坊主衣装は何度か洗濯はしましたが、もうボロボロです。
取りあえず風呂場に直行しましたよ。
扉の外で住職と副住職が何やら話していますよ。
「やれやれ、さっきは盛大な再会シーンだったなぁ」
「流が迎えに行ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」
「いや……翠の役に立ったのなら、それでいいいんだ」
「流にも、後で甘いものを届けるね」
「やった! 俺の好物は知っているよな」
「う、うん」
ほぅほぅ~ 流さんも甘党なんですよね! 僕と一緒ですね!
脱衣場に、ご住職さまがやってきました。
「小森くんの着替え、今はこれしかなくて……まだ入るかな?」
「懐かしいです。それって僕が中学生の時に着ていたジャージですね」
「そうだよ。中学卒業してすぐに仏門に入った君が、入門修行時に着ていたものだよ」
15歳の僕が小豆色のジャージを着て、長い廊下を雑巾がけしている姿が見えるようですよ。
あの頃知らなかったことを、今の僕は知っています。
切なさも、恋しさも、もどかしさも……この1ヶ月の間に、何度も胸に宿りました。
ジャージに着替えて部屋に行くと、ご住職さま自ら布団を敷いてくれていました。
「あぁいいね、よく似合っているよ。さぁ今日はここでゆっくり休むといい。その前に沢山これをお食べ」
ちゃぶ台の上には、満月最中とどら焼きが山積みです。勢いよく手を伸ばした時、大切なことを思い出しました。
「あ、あの、僕から皆さんにお土産があります。大阪風月庵の抹茶餅です」
あれあれ? 二人が顔を見合わせて驚いていますよ。
「ど、どうした小森! 熱でもあるのか」
「ちょっと流、茶化してはいけないよ。小森くん、ありがとう。嬉しいよ。僕たちのことを考えてくれたんだね」
「はい、ご住職さまと流さんと、薙くんと丈さんと洋くんの分で5個です」
「ん、君の分は?」
「皆さんの喜ぶ顔を見たいのです」
「……小森くんは徳を積んだんだね。『一寸法師の修行』はさぞかし辛かっただろう」
「はい。途中からとても怖くなりました。元に戻れないかもと不安になりました」
あれあれ? ぽとり、ぽとりと畳に涙が落ちていきます。
「小森くん、君は小さな身体で善行を積んだんだね。流石、僕の愛弟子だ」
手放しで褒められ、僕は嬉しくてご住職さまのお膝に顔を伏せて、とうとうわんわんと泣いてしまいました。
「うううっ……ぐすっ、わーん!」
「よしよし。小森くん、満願成就おめでとう! 僕は自分の能力や個性を上手く活かすことが出来れば、置かれた苦しい状況をも変えられると思っているんだ。だから何ごとも諦めずに出来ることがないか考えてみるのが大事だよ。君はそれを小さな身体になって実行してきた。その証に元の身体で戻って来られたんだよ」
その後、僕は勧められるがままに、あんこを食べ続けました。
「どうしよう。美味しくて止まりません。腹八分目でやめないといけないのに」
「そうだね、余力を残す心がけも大切だけれども、今日は満腹までお食べ。これはご褒美なのだから」
「では、お言葉に甘えて」
「おめざも枕元に置いておこうね」
『おめざ』って子供が目を覚ました時に与えるお菓子のことですよ?
小森風太は、もう二十歳ですよ。
まるで二人の息子のようで擽ったいです。
でも嬉しいです。
大事にして下さって、ありがとうございます。
その日は僕が寝付くまで、ご住職さまがお経を唱えて下さいました。
「むにゃ……むにゃ……」
****
「きゃ――‼」
寝室で、宗吾さんと甘い雰囲気で見つめ合っていると、芽生くんの甲高い悲鳴が聞こえた。
「どうした?」
「芽生くん!」
僕と宗吾さんが慌てて駆けつけると、芽生くんが部屋の片隅で手を合せてブルブルと震えていた。
「あ……今、ヘンな虫がいたの」
「どんなの?」
「黒くて、ギラギラ光ってたよ」
「‼」
とうとう、ここにも憎きGが出現してしまったのか!
北海道ではあまり見かけなかったが、大学の古い学生寮にはよく出没した。
花につく虫には慣れている僕でも、Gだけは苦手だ。
「芽生、ソイツはどこに行った?」
「パパたちがいたおへや!」
「‼」
駄目だ! あそこは綿埃《わたぼこり》だらけで見失ってしまう!
芽生くんはGに慣れていないようで、顔を引き攣らせていた。
「芽生くん、こっちにおいで」
「う……うん!」
優しく抱き上げてあげると、ギュッとしがみついてくれた。
あっ……よかった。
大阪ではずっといい子過ぎて、心配したよ。
僕の状態が良くなかったから、甘えるタイミングを逸してしまったんだね。可哀想なことをした。
「よーし、俺に任せろ! 退治してくるよ」
「いいですか。僕も苦手で……お願いします」
寝室を覗くと、黒くて憎いあいつが床をシュッと走り回っていた。
「きゃー こわいよ!」
「あっ、そこは……」
「まずい!」
ベッドの下に、ゴールイン(違う!)
「おぃ! そこか!」
「えぇ……そこですね」
宗吾さんがベッドの下を覗くが、灰色の埃がふわふわしていて、見失ってしまったようだ。
「参ったな。出てこないぞ」
「……養分たっぷりですものね」
「ううう、瑞樹がナンカ冷たい」
「宗吾さんがここをちゃんと掃除するまで、僕は寝室は使わないことにします」
その言葉に芽生くんが目を輝かした。
「じゃあ、じゃあ……お兄ちゃんとパパは、今日どこでねむるの?」
「……そうだね、僕は芽生くんのベッドで一緒に眠ろうかな? 宗吾さんは僕のベッドでどうかな?」
「うん! うん! うれしい!」
芽生くんがピョンピョン跳ねてくれた。
宗吾さんは口をへの字に曲げていた。
「瑞樹ぃ~ さっきまでの君がいい!」
「くすっ、全部、僕ですよ……あの、駄目ですか」
もちろん僕だって、今すぐ宗吾さんに抱かれたい。
でもそれは……家のお手伝いを頑張り、沢山我慢してくれた小さな芽生くんに愛情をたっぷり注いでからでも、いいですか。
「まぁそうだよな。明日も仕事だしそうしよう! とにかくこのままアイツを野放しには出来ないから退治してくるよ」
「宗吾さんだけで大丈夫ですか」
「あぁ、任せろって。俺は怖くないさ。さぁ、二人は先に風呂に入ってくれ」
宗吾さんが、すぐに僕の提案を受け入れてくれた。
今までだったら、こんな風には言い出せなかった。
心の奥に少しだけ……僕は間借りしている立場だからと寂しい気持ちを抱いていたのを認めよう。
この愛は消えない。
この家族は揺らがない。
僕の居場所はここにある。
1ヶ月離れて気付けたことが、支えになっている。
「瑞樹、芽生の気持ちを汲み取ってくれてありがとうな。大事にしてくれてありがとう」
宗吾さんがすれ違いざまに、優しい言葉を贈ってくれた。
ホッとする!
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