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実りの秋 24

 芽生くんの運動会を見ながら、私は過去を振り返っていた。 …… 「瑞樹、今日はあなたの運動会だけど観に行けないわ。うちは花屋だから日曜日はお客様が多いのよ。店番をしてくれる人もいないから休むわけにいかないの……どうか分かってね」  夏前に引き取った男の子は、か細い声でコクンと頷いた。 「……はい、分かっています」 「お昼はこれを食べてね」 「はい……分かりました。ありがとうございます。あの……じゃあ行ってきます」  惣菜パンを手渡すと大事そうにランドセルの中にしまって、とぼとぼと登校して行った。  そのまま消えてしまいそうな後ろ姿に、泣きそうになった。  聞き分けのいい大人しい子だけれども、寂しい思いをさせてしまっているのは、重々承知だった。なんとかして行ってあげたいと思ったけれども……この家は私が働かないと食べていけないの。だからどうか分かってね。  主人が元気な頃は、私も手作りのお弁当を持って広樹の運動会に行ったわ。午後は主人とバトンタッチしたので、全部を見ることは出来なかったし、家族が全員揃うことはなかったけれども、とても幸せで充実した日々だった。  若くして子供を遺しこの世を去った主人の遺志を継いだのはいいけれども、一人で花屋を切り盛りしていくのは、想像よりもずっと大変だった。  花の仕入れ、準備、店の切り盛り。  それに加えて、まだ幼い潤の世話。  ごめんね、ごめんね……瑞樹。  あなたが施設に送り込まれたり、心ない親戚にたらい回しにされるよりはマシかと思って引き取ったのに、寂しい思いばかりさせて。  子供時代は振り返れば一瞬で、今、この一瞬一瞬が大切なのは分かっているのに。 「ふぁ~ 母さん、ごめん。寝坊しちまった」 「おはよう。広樹、潤を起こして来てくれる?」 「あれ? 瑞樹は?」 「今日はあの子……運動会なのよ」 「あっ、そうか」  暫くして……広樹は真面目な顔で、開店準備中の私の所にやってきた。 「母さん……あのさ、瑞樹の運動会に行けないの?」 「……行きたいのはやまやまだけど、そんなの無理に決まっているでしょう」 「あっお弁当は? 小学校は親と一緒に食べるのに、どうするんだ?」 「……パンを持たせたわ」 「えっ、それはいくらなんでも寂しいぜ。俺が行ってくるよ。残ったご飯でおにぎりを作っていい?」  せめておにぎり位握ってあげればよかったと、その時になって気付いたわ。  忙しさに忙殺されるとは、このことね。 「ありがとう。そうしてあげて。広樹に頼ってばかりでごめんね」 「母さんは謝ってばかりだな。俺……瑞樹の気持ちも分かるんだ。俺も10歳の時、父さんを亡くしたから」 「あ……」  広樹も、あの時10歳だった。 「瑞樹には少しでも幸せになって欲しいから、守ってやりたいんだ。母さん、その役目を俺がしてもいい?」 「もちろんよ。お母さんがしてあげたかったことをあの子にしてあげて」 「……母さんにだって……出来るよ。いつかゆっくり瑞樹と触れ合うことが出来るさ」  …… 「そうか……今がその時なんだわ」 「ん? お母さん……何か言った?」  瑞樹が甘い笑顔を浮かべて、私を見つめてくれた。  幼い時から変わらない可憐な顔立ちに、懐かしさが込み上げてくる。 「瑞樹、親孝行してくれてありがとうね」 「僕が親孝行を?」  不思議そうに小首を傾げる瑞樹。  あの日の寂しさで彩られた瞳は、今は甘く、はにかんだ笑顔で埋められているのね。良かったわ。 「今、とても幸せなのね」 「うん、みんないてくれるから……」 「私もね……本当はずっと運動会に行きたかった。手作りのお弁当を子供達と一緒に食べたかったの」 「じゃあ……お母さんの夢も、今日叶ったの?」 「そうよ、だから嬉しいわね」 「良かった。僕の夢とお母さんの夢が揃って」  瑞樹は優しい笑顔で、私にお茶をついでくれた。 「ここは日差しが強いから、お母さんも水分をしっかり取らないと」 「ありがとう」  労り労られ、人は生きていく。 「瑞樹くん、そろそろ君の出番だよ」 「憲吾さん、ありがとうございます」  宗吾さんが隣で明るく笑う。   「まったく俺の兄貴は、スケジュールチェックに余念がないな。いいシーンだったのに」 「悪い。これは職業病だな。だが私にも出来ないことがある」 「何です?」 「……彩芽のミルクと食事とおむつの時間だけは、管理できないのだ」 「当たり前ですよ。相手も生きているんだから」 「本当に宗吾の言う通りだよ。予測不可能な中に人は生きているんだな。だからこそ相手を大切にしたくなるんだな。あっ、イタタ……」  腕をあげようとした憲吾さんが、突然顔をしかめた。   「さっきの大玉送りで、どこか痛めたんですか」 「あんなに飛び跳ねたのは久しぶりでな」 「あーあ、兄貴は頭ばかり使ってないでもう少し体力もつけないと。彩芽ちゃんの相手が務まらないですよ」 「そうだな」     いつまでも聞いていたくなる和やかな兄弟の会話だった。 「じゃあ行ってきますね」 「瑞樹ぃ~ 何を借りるんだろな? なぁ『カッコイイ男』だったら絶対に俺を選べよ。くまさんや兄貴や芽生じゃなくて俺だぞ」 「くすっ、そんな借りものがあるんですか」 「毎年人も混ざっているのが恒例だぞ。よしっ、行ってこい!」  宗吾さんにトンと背中を押されて歩き出した。  去年は芽生くん自身が運動会に半分しか参加できなかったので、一切保護者競技には参加しなかった。幼稚園の時は宗吾さんと一緒に参加したが……ひとりで門に向かうのはドキドキするな。少し怯んでしまうよ。 「お兄ちゃん、がんばって~」 「うん!」  そこに芽生くんの声がしたので、顔を上げられた。  皆が見てくれている。  僕も頑張ろう。  まるで僕が小学生に戻ったみたいだ。  僕も小さな子供だった。 『今から借りもの競争を始めます。徒競走と同じルールでスタートしお題の書かれたカードを目指して下さい。では位置について~」  僕は後方に並んでいたので、皆がカードを見てはギョッとして、辺りを見渡す様子を興味深く観察した。なるほど……眼鏡の人、帽子を被っている人などお題は様々のようだ。  僕が引くカードには、なんと書かれているのだろう?   あまり難しくないお題だといいな。  ドキドキしながらカードを開けてみると、自然と笑顔が溢れた。  僕は迷わずにお父さんとお母さんに向かって、手を差し出した。 「お父さん、お母さん、一緒に来て下さい」 「えっ、私でいいの?」 「み、みーくん、俺でいいのか」 「はい! 二人しかいませんよ」 「一体なんて書いてあったの?」 「これです!」  カードに書かれた文字は『ラブラブの新婚さん』 「まぁ!」 「た、たしかにそうだな」  照れまくる二人の手を引いてグランドを走った。  くまさんもお母さんも顔を真っ赤にしていたけれど、僕の心は弾んでいた。  こんな風にお父さんとお母さんと、校庭を走れる日がやって来るなんて! 「お兄ちゃーん、おじいちゃん、おばあちゃん、がんばってー!」  芽生くんの可愛いエールが、僕たちの進む道をキラキラと輝かせてくれた。  こんなに賑やかな運動会があるなんて。  僕は……幸せで、幸せで……堪らないよ。        

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