1212 / 1651

実りの秋 25

 芽生坊の小学校の運動会に、大沼から駆けつけた。  さっちゃんはきっと子供の運動会にゆっくり参加出来ず、働き詰めだったろう。俺にはみーくんとの楽しい運動会の思い出があるが、もしかしたらないのかもしれない。そう思うと、どうしても運動会を一緒に観に行きたくなった。  さっちゃんが今まで出来なかったこと、我慢していたこと、後悔していることがあるのなら、それを払拭してやりたい。  俺が連れて行いくよ、さっちゃんの翼となって。  大樹さんたちが消えてから、ずっと重たくて動けなかった身体が、今は嘘みたいに軽いから。  大樹さんの一眼レフ、お前も久しぶりに撮りたくないか。  校庭にいる、みーくんの姿を。  みーくんを驚かせようと前日の最終便に乗って、都内のホテルに1泊し、朝一番に小学校に駆けつけた。  子供達の競技をレジャーシートに座ってのんびり見ていると、ふと懐かしい思い出が転がってきた。  あれはまだ、みーくんが幼稚園の時だ。  澄子さんが妊娠初期で安静が必要だったので、俺と大樹さんで駆けつけたことがあった。  一番の思い出は『親子動物借り物競走』で、親が動物の仮面をして参加する競技だった。  ……  事前に先生が描いたお面をランダムに配られた。  大樹さんが受け取ったお面は熊だった。  しかし熊だけ妙に怖い顔をしているぞ。  これって子供が見たら泣かないか? 「なぁ熊田、これ……誰が描いたんだ? ずいぶんリアルだな」 「ですよね。あ、裏に園長ってサインが」 「はははっ、あのおじいさんか。じゃあ仕方がないか」    大樹さんと顔を見合わせて、苦笑した。   「これ……瑞樹が見たら泣きそうだな」 「ですよね」   お互い可愛いみーくんが「熊」を引かないことだけを祈った。 「……熊田、このお面、やっぱりお前が被れ」 「えぇ? これは父親の役目では?」 「ははっ、だが熊のお面なら、熊田の方が似合っているよ。俺は瑞樹の写真を撮りたいから、なっ、頼むよ!」  全く……俺が大樹さんの頼みを断れないのを知って。  熊のお面で顔を隠して校庭に立つのは、気恥ずかしかったが、大樹さんのために頑張った。  やがて子供達が紙を片手に、必死な様子で園庭を走り出した。 「うさぎさん、みーつけた!」 「ひつじさん、ぼくときて~」 「リスさん、こっちこっち!」  可愛い動物と可愛い子供が手をつないで走る様子が、心温まるものだった。  さてと、みーくんはどこかな?  ぐるりと見渡すとが、見当たらない。  おーい、早くしないと競技が終わってしまうぞ。 「ひっく……ぐすっ……」  微かに聞こえる泣き声に振り向くと、みーくんがしゃがんで泣いていた。  いやな予感に慌てて駆け寄ると、手には「くまさんをつれてきてね」と書かれた紙を握りしめていた。 「ひっ、こわい……こわいよぅ」  みーくんが潤んだ瞳に、涙をいっぱい溜めていた。 「熊田、頼む!」  観客席から大樹さんが必死のジェスチャーを送ってくる。  早くお面を取れと言っているようだ。 「あぁ、みーくん、泣くな。怖くないよ。俺だ。くまさんだよ」 「え……もりのくましゃん……なの?」 「そうだぞ。ほらっ」  お面を取って笑顔を見せてやると、みーくんが目を丸くして、それから笑顔を浮かべて飛びついてきてくれた。 「くましゃん……くましゃん、もりのくましゃん」  涙と笑顔の混ざった表情が切なくて……この子に涙は似合わない。いつも、いつも笑っていて欲しいと願った。 「そうだぞ。だから怖くないだろう」 「うん! よかった~」 「よし、行くぞ!」  俺はみーくんを片手で軽々と抱き上げ、幼稚園の園庭をすごい勢いで走り抜けた。  途中でお面が吹っ飛んだが、気にしない。  みーくんにとって『くまさん』は、いつもずっと俺だから。  大樹さんも嬉しそうに、カメラを構えて観客席を併走してくれた。 ……  あの時のみーくんはまだ小さくて片手で抱っこ出来たんだよな。  懐かしいな。  あの時の写真はどこにいったのか。  もしかしたら大樹さんの部屋を探せば出てくるかもしれない。    大樹さん……あなたはまるで、いつかこうなるのが分かっていたかのように、いつもみーくんの写真を撮ることに夢中でしたね。  折しも、次の競技は借りもの競走だそうですよ。  天国の大樹さんに話し掛けてみた。  あの日のように動物借り物競走ではないので俺の出番はないが、ワクワクしてくるよ。 「勇大さん、瑞樹よ」 「あぁ、何を引くかな?」 「簡単なのだといいけど……あの子、難しいものだと動揺しそうで心配だわ」 「そうだな」  さっちゃんもまた、みーくんのことをよく理解している。  それがまた嬉しくて、心が温まる。 「瑞樹は足が速いのよね」 「そうだな。昔からリレーの選手に選ばれていたよ」 「まぁ、じゃあ芽生くんの足の速さは瑞樹譲りなのね」 「もちろん、そういうことだ」  もう俺たちの中では、芽生くんはすっかりみーくんの息子という位置づけなので、自然とこんな会話も溢れてくる。  それがまた嬉しかった。 「あら? 瑞樹がこっちに来るわ」  もしかして……さっちゃんを連れに?   そんな期待でワクワクしていると、みーくんが俺の手も引っ張るので驚いた。  まさか、また熊ではないよな?  みーくんの手には「ラブラブな新婚さん」と書かれた紙が!  途端に顔が真っ赤になった。さっちゃんも真っ赤になった。 「お父さん、お母さん、早く! 早く!」  みーくんが興奮した顔で急かすのが可愛かった。  みーくんも今を楽しんでいる。ならば俺たちも楽しもう!  山奥で鍛えた身体はこの歳になってもピンピンしているし、さっちゃんも花屋で鍛えた体力が健在だ。 「みーくん、思いっきり走ろう!」 「瑞樹、お母さんと走るの初めてね」 「はい!」  俺たちは三人並んで、颯爽と校庭を走り抜けた。  苦しかった過去を乗り越え、寂しかった時間も超えて……  今という時間を一緒に走ろう!  これからは、これが俺たちの世界だから。  大樹さん、雲の上から見ていますか。    心のファインダーで覗いて下さい。  俺たちの笑顔を沢山撮って下さい。  これからは俺たち、笑顔で満ちていきますよ!    

ともだちにシェアしよう!