1213 / 1651

実りの秋 26

「借りもの競走の一位は、え……えっと……こちらの『ラブラブな新婚さん』でしたー!」  大きなアナウンスに一瞬場が静まりかえったが、僕は恥ずかしがらず顔をあげて、自ら声を出して拍手をした。 「お父さん、お母さん! やった! おめでとう!」  すると僕に誘われるように、ゴール付近にいた観客が温かい拍手を送ってくれた。そこから一気に場が和んで、優しい風が吹き抜けた。 「瑞樹ってば、もう恥ずかしいわ。でも……ありがとう」 「みーくん、やるなぁ。そんな風に場をしきれるようになったのか、うんうん、これは宗吾さんのお陰だな」  そこに観客席から声がかかる。 「瑞樹ー! こっちだ! お父さん、お母さん、こっちを向いて下さい」  振り返ると、お父さんの一眼レフを構えた宗吾さんが立っていた。  逞しい腕をブンブン振って、凜々しくって明るい笑顔を弾けさせて。 「あっ!」 「あ……そうだったのか」  僕とくまさんは同時に声をあげた。  とても自然に宗吾さんに、天国のお父さんの姿を重ねていた。   (みーずき! こっちだ! お父さんの方を向いてごらん) (おとうしゃん!)  僕はお父さんとは違う男性の、逞しい腕にしっかり抱っこされていた。  一体、誰に?  目を閉じて耳を澄ますと、遠くから声がした。   (熊田、ありがとう! 瑞樹を笑顔にしてくれて! お前に任せて正解だったな!)  あぁ、そういうことだったのか。    「……宗吾くんは、大樹さんみたいだな」 「今日はお父さんみたいです。昔、あんな風に観客席から大きな声で呼ばれたことがありました。とても小さな頃です。その時、僕はもしかして……」  そこまで口に出すと、くまさんが大きく頷いて肩を組んでくれた。 「それが俺だ! ずっとみーくんのことを大樹さんと同じ視点で見守ってきたのは、この俺だ。おーい、宗吾くん、いい写真を頼むよ!」  くまさんの言葉に、胸の奥がじわっとした。   「じゃあ……僕は森のくまさんと、今日みたいに運動会に出たことがあるんですね」 「あぁ思い出したのか。熊のお面を被って、みーくんと走ったよ」 「おぼろげですが熊のお面が怖いと泣いたら、くまさんだったので、ほっとしたんです」 「あれは幼稚園の『親子動物借り物競走』さ。幼い君を、この手で抱いて走った日があったんだよ。みーくん、君は本当に大きくなったな!」  幼い頃の僕を知り一緒に運動会に出てくれた人が、この世にいてくれる。  今は僕のお父さんとなり、肩を組んでいる。  僕の成長を喜んでくれる! 「撮るよ!」 「はい!」  青空の下の笑顔は、あの日と一緒だ。  何もかもあの日を境に変わってしまたと嘆き悲しんだが、一番大切な笑顔は、あの日も今日も変わらない。  生きていれば、いつか大切な人と別れる日が来るだろう。それがいつかは誰も分からないし、自分が先か相手が先かも分からない。でも、どんな未来が待っていようとも、豊かな感情を共有出来た時間は、永遠に心に刻まれていく。  人はそれを忘れがたいものとして『心の思い出箱』にそっとしまっている。  思い出は会いたい人と会いたい人を、心の中で繋げる大切なもの。  「宗吾さん……お父さんとお母さんと夏樹も、天国で僕を沢山思い出してくれているのですね」 「あぁ、みーくんとの間には大切な思い出が沢山あるからな」  10年しか一緒に過ごせなかった家族だから思い出が少な過ぎると嘆いたこともあったが、今はそうは思わない。 「くまさん、思い出って、数や量ではないんですね」 「……そうだな。一つ一つの思い出をどれだけ大切に想うかによって、輝きを増していくのさ。みーくん、俺たちもいい思い出を作っていこう」 「はい。僕にとっては、今日という日も大切な思い出になります」 「俺もだ。可愛い息子と運動会で活躍出来るなんて最高だ!」    青い空を再び見上げると、白い雲が楽しそうに弾んでいるように見えた。   ****  瑞樹が晴れやかな笑顔で、熊田さんとお母さんと走る姿を見ているうちに、俺の身体も自然と動いた。  熊田さんの座っていた場所に置き去りにされた一眼レフを握りしめ、走り出していた。  瑞樹のお父さん、あなたも見たくありませんか。  息子の笑顔、息子を託した人たちの笑顔を。  思わず一眼レフに、心の中で話し掛けてしまった。  まだこのカメラには、瑞樹のお父さんの心が残っている気がするよ。  事故直前まで握りしめていたカメラだからか。  あなたが残した数々の写真に感激したからか。  あなたはもういないけれども、沢山の思い出を瑞樹に残してくれたことが有り難く感無量だ。  俺は瑞樹の笑顔が枯れないように、毎日水を注ぎます。  あなたが注ぎたかった愛情の分も忘れずに。  校庭のゴール付近まで行くと、瑞樹と熊田さんが肩を組んで笑っていた。その前には頬を染めた函館のお母さんの姿もあった。  周囲の温かい拍手を浴びて、瑞樹は日溜まりの中で輝いていた。 「撮るぞー!」  一眼レフに不慣れなのでシャッターを押すタイミングに迷っていると、誰かが「今だよ」と教えてくれた気がした。 (よし、そうだ。そのタイミングでいい。君は筋がいいな) 「え?」  辺りを見渡すが、誰もいなかった。 「宗吾さん?」 「あぁ、もう一枚撮るぞ」 「いい音ですね。上手ですよ!」  カシャカシャと音を立て連写していくと、再び声が。 (瑞樹を任せられる人が沢山いてよかった。ありがとう! あの子をどうか頼む!)  未練も後悔も過ぎ立った世界には、ただ愛おしさだけが残り、愛おしい人の笑顔とそれを守りたい人だけが集まっていた。 「宗吾さん、ありがとうございました」 「あぁ……」 「どうしました?」 「いや、いい写真が撮れた気がして」 「僕もそう思います。さぁ次は芽生くんの出番ですよ!」  瑞樹がまた歩き出す。  前へ前へ……

ともだちにシェアしよう!