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実りの秋 33

 宗吾さんと甘いキスを交わしていると、次第にお互い夢中になってしまった。  ふわふわした心地になって、止まらなくなる。 「あ……もうっ」 「悪い、つい。そろそろ芽生を起こして、風呂にいれないとな」 「今日は泥ん子ですものね」 「あぁ、泥ん子は、君もだけどな」  宗吾さんが大きな手のひらで僕の頬をそっと包むので、急に照れ臭くなってしまった。  今日は校庭を走り回り、泣いたり笑ったり大忙しだったから。  頬もガサガサだ。  更に首筋に顔を寄せてくるので、焦ってしまった。 「だ、駄目ですって……僕、汗臭いし……汚い」 「んなこと気にしないさ! おっともうこんな時間か。今日は芽生と3人で風呂に入るか」 「はい、じゃあ起こしますね」  芽生くんをゆさゆさ揺らして起こすと、珍しく機嫌が悪かった。    お母さんの言った通り、疲労困憊のようだ。   「いや、ねむいよぅ、もうねるー おふろなんてめんどくさいよー」 「ううん、でも今日はドロドロだから入らないと」 「やだ、やだぁ」  腕の中でむずかる赤ちゃんのように手足をバタつかせている。  夏樹もやんちゃな子だったから、こんな風に暴れていたなぁ。  そんな時、お母さんはどうしていたかな?  あぁそうだ、こんな誘い文句だったね。   「じゃあ、特別に赤ちゃんみたいに洗ってもらうのは、どうかな?」 「え、ほんと?」  突然、目を輝かす。   「くすっ、うん、いいよ。今日はいっぱい頑張ったからね」 「うん! うん!」  芽生くんが嬉しそうに僕に抱きついてきた。  今日は大勢の観客の前で緊張もしただろうし、多少気疲れもあっただろう。  こんな風に甘えてくれる芽生くんを見ていると、僕はもう芽生くんの家族なのだなぁと改めて嬉しくなるよ。    宗吾さんと目が合うと、「頼む」と両手を重ねていた。  宗吾さんも、すっかりお父さんの顔をしている。 「瑞樹、先に入って来ていいよ。オレは部屋を片付けておくから」 「でも……」 「いいから、任せろ」 「はい」    トロンとした芽生くんを連れてお風呂に行き、洋服を脱がしてあげる。そのまま僕も急いで服を脱いで、黒ずんだ膝小僧、砂のついた足を、よく泡立てたスポンジで綺麗に洗ってあげた。 「サッパリしたかな?」 「うん、お兄ちゃん、ありがとう」 「どういたしまして! ほら、すごく綺麗になったよ」  髪も身体も泡だらけにしてゴシゴシし、シャワーで流してあげると、芽生くんはスッキリしたらしく、そのまま浴室から飛び出しそうになった。   「もうあがる~」 「待って! ちゃんと湯船に浸からないと、疲れが取れないよ」 「でもぉ、あついんだもん」 「じゃあ一緒に10数えようか」  運動会で思い出したお母さんとの約束。  僕もやってみようかな? 「お兄ちゃんといっしょ?」 「うん、おいで」  僕が先に湯船につかり、芽生くんを抱っこしてあげた。 「いち、にぃ……」 「お兄ちゃん、玉入れみたいに、ひとつ、ふたつ、みっつがいい」 「くすっ、じゃあ何を数えようか」 「えっとね、今日うれしかったこと!」  湯船の中で、芽生くんは幸せそうに目を閉じて、幸せの在処を教えてくれた。 「ひとーつ、ひとつめのしあわせはね、あさおきたらおいしそうなにおいがしたこと」 「そこからはじまるんだね」 「うん。ふたーつ。ふたつめはね、みんながきてくれたこと」 「一番大人数だったかもね」 「みーっつ。みっつは、ボクがうんどうかいにでられたこと」 「……去年は大変だったよね」 「よっつ、かけっこをがんばれたことかなぁ」 「いつつめは……ふわぁ……」  芽生くんはボクの胸にもたれて、沢山の幸せを次々に教えてくれた。聞いている僕の方がポカポカになるよ。 「やっつ……ここのつ……とぅ…」 「えらかったね。そろそろあがらないと、逆上せちゃうよ」 「ん……むにゃ……むにゃ」  僕の胸で再び眠ってしまったので困っていると、宗吾さんがバスタオルを広げて迎えにきてくれた。 「瑞樹、芽生の寝かしつけはやっておくから、君もゆっくり風呂に浸かれよ」 「……ありがとうございます」  赤ちゃんのように真っ白なバスタオルに包まれる芽生くんを見て、また懐かしさが込みあげてくる。  …… 「みーくん、そんなところで何をしているんだ?」 「くましゃん! あのね、あかちゃんをねかせてるの」 「あぁ、あかちゃんごっこか」 「……ママのおなかのあかちゃんがうまれたら、ボクもだっこしたいから、れんしゅうをしているの」  くまのぬいぐるみを白いブランケットで包んで遊んでいると、くまさんに話しかけられた。 「かわいいな、ん? 中身はくまか」 「そう、くまの赤ちゃんだよ。あれれ? そういえば、くまさんにはあかちゃん、いないの?」  くまさんは目を丸くして、それから豪快に笑った。 「ははっ、うーん、この先もたぶん縁はないだろうな。ここが居心地良すぎてなぁ。それに俺にはもう可愛い子供がいるしな」 「え? どこ? どこに、あかちゃんがいるの?」  キョロキョロしていると、白いブランケットごとくまさんに抱っこされた。 「ここだよ。ここにいる、みーくんベイビーだ」 「わ! くましゃん」 「みーくんは、もう俺の子供みたいなもんさ」 「くまのおとうしゃん?」 「はは、大樹さんに怒られるかな」  そこにお父さんがやってくる。 「怒りはしないぜ。しかし熊田は瑞樹が大好きだな」 「そういう大樹さんこそ」 「バレたか。お前は何でも知っているんだな」 「大樹さんと澄子さんのこと、いつも見守っていますから」 「お前は、シマフクロウみたいだな」 「ふくろう? 俺はどっちかというと熊ですよ?」 「昔の北海道にはシマフクロウがたくさん生息していて、シマフクロウは人間の国を見守る神様だとアイヌの人々は考えていたのさ」  そこからお父さんが真顔になる。 「頼むよ。俺……瑞樹のことが無性に可愛いんだ。なんでだろうな? 沢山の愛情を注いでやりたくて、焦ってしまうよ。こんなの変だよな?」    小さな僕には、まだ理解出来ない大人の会話だった。    その中で、今でも心に残っているのは……  くまさんが、あれからずっと僕を見守ってくれていること。  お父さんは僕が大好きで……いっぱい愛してくれたこと。 **** 「パパぁ、おやくそく……してね」 「あぁ、絶対行くよ」  そんな約束の指切りを交わしたまま眠りにつく、いっくん。  まだ小さな指がいじらしくて泣けてくる。  きっと、運動会の度に寂しかったのだろう。  オレも父さんは死んじゃったし、母さんは忙しかったし……いつも寂しい運動会だったんだよな?  いや、待てよ。寂しくはなかったぞ?  それは……瑞樹兄さんがいつも来てくれていたからだ。  気になってしかたがない、きれいで可愛くてカッコいい兄さん。  みんなうわさしていたよ。  王子様みたいなお兄ちゃんだと。  嬉しいくせに素直になれなくて……  それでも運動会では、とても嬉しくて。  ぎこちないながらも大人しく隣に座って弁当を食べた。 「じゅーん、海苔を巻いてあげるよ」 「うん! ありがと!」  にっこり微笑む兄さんに、オレもちゃんと笑顔で答えられていたのか。  いつも酷い暴言を吐いていたと思ったが、違うのか。  そこにはちゃんと子供らしい純粋な笑顔もあった。  兄と弟の交流があった!  すごい!  いっくんのお陰で、優しい思い出が蘇ったぞ!  やっぱりいっくんは特別だ。  幸せを呼ぶ天使だ。        

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