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実りの秋 37

 皆で一旦、潤の家に向かった。 「ここだよ」  ギシギシと鳴る外階段を上がり、年季の入ったドアを開けると錆びた音がした。  二間しかないアパートで、元々菫さんといっくんが暮らしていた部屋なので、親子三人で暮らすには手狭だとは聞いていた。  和室に敷き詰められた二組の布団は家具に押され窮屈そうで、子供のおもちゃも少なく……どことなく寂しい印象だった。  それに加えて抜け殻のように盛り上がった掛け布団から、かなり焦って救急車に乗ったことが伝わり、切なくなった。  本当に……本当に、菫さんと赤ちゃんが無事でよかった。  もう誰かを失うのは耐えきれないんだ。  だから新幹線の間、必死に祈り続けた。   「菫さん、疲れたでしょう。私も潤の時に似たようなことがあったのよ」 「お母さん……すみません……せっかく運動会に来て下さったのに、直接観てもらいたいのに、私に付き合わせてしまって」 「あらぁ……私は菫さんにも会いに来たのよ。だから遠慮なく甘えてね。あなたは大切な娘なんだから」 「はい……」 「それにね、勇大さんの写真は臨場感があってすごいのよ。望遠レンズで一瞬の表情も捉えてくれるの。だから一緒に観ましょう。ここが最高の特等席よ」 「ありがとうございます。心強いし嬉しいです」  いいね……とてもいい。  お母さんと菫さんの会話に、ほっこりするよ。    お母さんなら、二人の息子を妊娠出産した経験があるから安心だ。    みっちゃんの時も感じたが、娘という存在はお母さんにとって特別なようで、女性同士の気兼ねのない時間は、きっと楽しいものになるだろう。 「菫さん、さぁ横になってくれ」  潤が布団を整え、菫さんを寝かした。 「ありがとう。でも……起きていても大丈夫なのに」 「いや、今日は安静にって言われただろう。それに母さんを頼って欲しいんだ」 「ありがとう。本当に甘えちゃって、いいのかな?」 「もちろんさ!」  潤と菫さんが手を握り合って、頷き合っている。  まだまだ新婚夫婦だが、夏に会った時よりも更に結束が固くなっている様子に、僕も嬉しくなった。 「おっと、もうこんな時間だ。支度して運動会に行かないと」 「ちょっと待って、潤たち、朝ご飯食べてないんでしょう?」 「あぁ、それどころじゃなかった」 「新幹線でサンドイッチを買ってきたのよ」 「助かるよ」 「そうだ! ちょっと台所を借りるぞ。潤くん、牛乳あるか」 「はい!」     お父さんが背負ってきたリュックから缶詰を取りだして、あっという間にコーンスープを作ってくれた。 「少し温かいものも飲んで落ち着こう。みーくんもこっちに座れ」 「お父さん、すごい……」 「ははっ、北海道のコーン缶詰を牛乳でのばしただけだよ」 「あ……懐かしい味がします」  優しい味は、故郷の味だった。   「みーくんが小さい頃、よくこれを俺がスプーンですくって飲ませたんだよ」 「そうなんですね。美味しい……」 「いっくんもこれしゅき! おじーちゃんのすうぷ、おいしいよ」 「おぉ、そうか。いっくんはみーくんの小さい時に似ているな」  いっくんが潤の膝に座ってスープを飲ませてもらう様子を、お父さんと一緒に目を細めて見つめた。 「パパぁ、あーん!」 「もう少し冷ましてからな」  いっくんが安心しきった顔で、潤にもたれる様子もいいね。  いい親子だよ、潤といっくんは……もう。  潤と目が合うと、照れ臭そうに笑ってくれた。  その笑顔に、ようやく明るい兆しが見えてきた。   「兄さん、家が狭くて驚いただろう? 今日のことで決心がついたよ。安定期に入ったら、もう少し広い所に引っ越すよ。もう目星はつけているんだ」 「そうだね、それがいいかも」 「オレ……夢があって……菫さんにふかふかのベッドを買ってあげたいんだ」 「いいね、きっと喜ぶよ」  潤はすっかり頼もしい大人になった。    僕が宗吾さんの家に引っ越した時、宗吾さんにカーテンやデスクなど色々揃えてもらったのを思い出した。あの頃、まだボロボロだった僕を、宗吾さんは丸ごと引き受けてくれたんだ。  ほんの数年前のことなのに遠い昔のように感じるよ。  それほどまでに、僕は宗吾さんに幸せにしてもらった。  そして今は宗吾さんと芽生くんと一緒に幸せを育てている最中だ。   「潤……引っ越すのなら何か手伝わせて欲しいな。お祝いも贈りたいし」 「サンキュ、オレ、正直……まだまだ力不足だから助かるよ。兄さんに少しだけ甘えていいのか」 「もちろんだよ、じゅーんにはお兄ちゃんがついているから大丈夫だよ」  優しく告げると、潤はハッとしていた。 「どうしたの?」 「小さい頃も、そう言ってくれたよな。オレ、すっかり忘れていて……」 「……そうだったかな?」  運動会にお母さんがいないと泣く小さな潤の肩を、僕が抱いてあげた。  広樹兄さんのように、心の支えになりたいと願って。  そんなことも、僕と潤の間にはあったんだ。 「ありがとう、兄さんは、今も昔も心強い存在だ」 「じゅーん、なんだか照れ臭いよ」 **** 「みてみて、ひとりでおきがえ、できたよ!」 「いっくん、偉かったわね」 「ママぁ」  いっくんね、たいそうぎにおきがえしたよ。  これから、パパとうんどうかいにいくんだよ。  でもママぁ、だいじょうぶかな? 「いっくん、パパと運動会を楽しんできてね。ママはおばあちゃんと仲良くししているから」 「うん、うん……ママぁ、いいこ、いいこでいてね」 「まぁ、いっくんってば」 「ママぁ……ちょっとだけ……だめ?」 「大丈夫よ。おいで」  ママのよこにまるまると、やさしくあたまとせなかをなでてくれたよ。  ママのおててって、きもちいいんだよ。  だーいすきなママだもん。 「いっくんは可愛いママの子よ。今日はがんばってきてね」 「うん! いってくるね」 「いっくん、遅刻しそうだ。ビューンするぞ」 「うん!」 「よーし、お父さんと兄さんも行こう」  みちで、おともだちとあったよ。 「いつき~ おはよう!」 「おはよう!」 「ねぇねぇ、あれ、だれ? パパはわかるけど……あとは? みたことないひとだよ」 「えっとね、おじいちゃんと……おじ……ちゃん?……うううん、みーくんだよ」 「へぇ、みーくんってかっこいいな。いつきと、ちょっとにてんな」 「ほんと? いっくんね、みーくんだいすき、おじいちゃんもだいすき、パパがだーいすき」  みんなにきこえるようにおおきなこえ、だしちゃった。  だって、だって……だーいすきなんだもん! 「いつきのだいすきが、いっぱいきてくれて、よかったな」 「うん!」

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