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青い車に乗って・地上編 2
後部座席で、芽生くんがしきりに目を擦り出した。
これはかなり眠たい合図だ。
「芽生くん、少し寝ていいよ」
「……でも……」
「今日は頑張って早起きしたから、さぁお兄ちゃんに寄りかかっていいよ」
「わぁ……うん!」
芽生くんと触れ合う部分に、小さな日溜まりが生まれる。
僕も小さい頃はいつも途中から眠たくなって、お母さんにもたれたよ。温もりに触れると、ほっとしたのを覚えている。夏樹が生まれてからは、高めの体温を感じるのも好きだったな。
ウトウトしだした芽生くんの背中を優しく撫でていると、想くんのお母さんに話しかけられた。
「瑞樹くん、ありがとう」
「え?」
どうしてお礼を言われるのか分からず、キョトンとしてしまった。
「私ね、何故か分からないけれども、あなたに会えて嬉しいの」
「あ……ありがとうございます。僕もです。想くんのお母さんだからお優しい方だろうと想像していて……その通りで……それから、まるで……」
『まるで僕のお母さんのようです』とは言えなかったが、お母さんが生きていたらこんな風に優しく話しかけてくれたかと想像すると、胸が一杯になり言葉に詰まった。
言葉を上手く繋げられなくて困っていると、宗吾さんが助けてくれた。
「瑞樹、想くんの青い車は乗り心地は最高だな」
「はい、想くん今日は本当にありがとう」
目的地に着くと、青山くんがブンブン手を振っていた。
青山くんと想くんが並ぶと甘い空気が醸し出され、本当に初々しいカップルだなと微笑ましく思った。駿くんが堂々と「俺たち恋人同士でいいよな?」と宣言するのも清々しかった。
彼を見ていると、僕ももっと堂々と振る舞いたくなる。
「そうくーん、あーそーぼ!」
「うん! じゃあまずはログハウスに行こうか」
「わぁい!」
目覚めた芽生くんが想くんと手を繋いで元気に歩き出したので、僕と宗吾さんはゆったりと後に続いた。
森の木漏れ日、小川のせせらぎ、小鳥のさえずり。
ここはとても心が落ち着く不思議な所だ。
「瑞樹が好きそうな土地だな」
「はい、とても。宗吾さんもですか」
「あぁ、大好きだ」
爽やかな秋風が紅葉した木々の間を通り過ぎていく。
頭上でガサッと物音がしたので見上げると、青い鳥が飛び立ったように見えて、思わず目を擦ってしまった。
青い鳥は、まるで天上を駆けた青い車のようにも見えた。
以前、夢で天国にいる母を助手席に乗せてドライブしたことがある。お父さんにも夏樹にも夏樹の恋人にも会ってきた。まるでその続きを見ているようだ。
やがてログハウスが見えて来た。写真でも感じたが、やはり無性に懐かしい。
僕はここを知っているような気がする。
いつ、どこで? それは思い出せないが……
「あの……駿くん、この建物はいつから建っているんですか」
「ここは中古で買った家で、俺が家を出た後に引っ越したので詳しい経緯は……でも母なら知っていると思いますよ」
駿くんのお母さんが登場すると、また雰囲気が明るくなった。
「まぁ今日は可愛いお客様なのね」
「こんにちは! ボクはタキザワメイ、8さいです!」
芽生くんがハキハキと受け答える様子に、宗吾さんと顔を見合わせて笑った。
「うん、カエルの子はカエルだな」
確かに! 僕は小さい頃は人見知りで俯いてばかりだった。
「メイくんって、可愛いお名前ね」
「ありがとうございます。えっとボクのパパと、ボクとパパが大好きなお兄ちゃんです」
「まぁ、うふふ」
わわ! そんな風に僕を紹介してくれるの?
照れ臭いのと嬉しいのが混ざって、真っ赤になってしまった。
宗吾さんと僕も続いて自己紹介をし、ランチタイムになった。
想くんのお母さんが差し出してくれたサンドイッチは、ハムと玉子に切り込みを入れて花のように見立て、薄い食パンで包んだものだった。
それを受け取った瞬間、ずっと封印していた光景が一気に蘇った。
「あっ、これは……」
「あら? こういうの好きじゃなかった?」
「いえ、違うんです」
駄目だ、駄目だよ。
もう堪え切れない。
この花束のサンドイッチは、あの日……ピクニックで食べたの。
……
「瑞樹、夏樹、そろそろお昼にしましょう」
「はーい、お母さん、手伝うよ」
「ありがとう。今日はあなたの好きな鮭おにぎりと夏樹の好きなツナサンドよ」
「わぁ、僕の大好きなのも作ってくれたの?」
「そうよ、瑞樹が大好きだから」
お母さんがレジャーシートを広げながら微笑む。
僕はお母さんが大好きだから、それだけで蕩けそうになる。
ずっと幸せしか知らない世界で生きてきた。
何重もの愛情に包まれて……
「それからみんなの大好物のアレもあるのよ」
「あ……もしかして花束サンド?」
「そうよ、パパもみーくんもなっくんも大好きでしょ?」
「うれしい!」
お母さんが目の前で具材を載せた食パンをくるりと巻いて、綺麗な花束を作ってくれた。母の器用な指先が魔法のようで見蕩れてしまう。
「はい、瑞樹の分よ」
「お花みたいでキレイ! お母さん、ありがとう」
「一緒に食べましょう! みーくん」
「うん、お母さんも食べてね」
小さな頃のように呼ばれ、くすぐったくも嬉しくなった。だから僕はお母さんの横にちょこんと座って、微笑みあってモグモグ食べた。
その後だった。
真っ黒な雨雲が稲光と共に、頭上にやってきたのは。
だから……
それが母の最期の食事となってしまった。
……
「瑞樹くん、大丈夫? 顔色が悪いわ」
「すみません。僕の亡くなった母も同じ物を作ってくれたので」
「まぁ、そうだったのね」
「僕はこれが大好きでした。ピクニックの定番メニューで……まさか今日ここで食べられるとは」
「ごめんなさい。悲しいことを思い出させてしまったのね」
「いえ、嬉しいです。今は……もう怖くないんです。それより……またこれを食べられることが嬉しくて……うっ」
もう二度と食べられないと思った。
いや二度と食べたくないと思っていた。
だが……違った。
もう逢えない母が恋しくなったタイミングで差し出されたサンドイッチ。
そこには母の愛情がたっぷり詰まっていた。
「お……かあさん……」
か細く吐き出した言葉は、すぐに宗吾さんと芽生くんが拾ってくれた。
僕の震える肩を抱き寄せて、手を握ってくれた。
「瑞樹、大丈夫だ。みんな、ここにいる」
「お兄ちゃん、だいじょうぶだよ。お兄ちゃん、だーい好きだよ」
想くんのお母さんが教えてくれる。
僕が欲しかった言葉を届けてくれる。
「これは私が若い頃に少女雑誌に掲載されて大流行した『花束サンド』よ。瑞樹くんのお母さんと私は同世代だったのね」
「そうだったのですね。はい、そうだと思います。きっと生きていたら、今でもこんな風に作ってくれたかと思うと泣けてしまって」
違うと分かっているのに、どうしても母の面影を重ねてしまう。
そんな僕の気持ちが通じたのか、想くんのお母さんは、まるで母のように僕に優しく触れ、涙で濡れた頬を拭ってくれた。
「瑞樹くん。あなたはお母さんに沢山愛されて育ったのね。だからしっかり記憶が残っているのよ。あなたの中に眠る記憶は『お母さんの愛』そのもの。記憶というカタチで今もあなたを包んで愛してくれているのよ」
まるで魔法の言葉だ。
「そんな風に考えたことはありませんでした。お母さんは今でも僕に愛を注いでくれているのですね」
僕の記憶の中には、しっかり母が残っていた。
その記憶を呼び起こせば、心の中で、会いたい人の顔や姿をいつでも見ることが出来るということなのか。
僕は『記憶に残る愛』を受けて育った子供だから。
****
私の身体はもう地上には戻れないけれども、今でも出来ることがある。
成長した息子の記憶の中で、笑って、愛して、抱きしめてあげられるの。
瑞樹は……私が去った世界で、今日も懸命に生きている。
だから空から守ってあげる。
記憶の中でも守ってあげる。
『みーくん、こわがらないで、大丈夫、大丈夫よ。お母さんがいるから』
もうかけてあげられない言葉だって、きっと届くわ。
『記憶に残る愛』の存在に、気付いてくれたから。
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