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青い車に乗って・地上編 5
宗吾さんが、僕を誘ってくれる。
一緒に家を建てようと。
一緒に夢を実現させようと、声をかけてくれる。
まるで幼い子供が将来の夢を見るように、僕は大空をキャンパスに夢を描きたくなった。
夢は……あの瞬間どんなに願っても叶わないものに成り果てたのに、今はもう違う。
それが嬉しくて、今日も視界が滲んでいく。
あぁ……水彩画のような世界に建つ家が見えるよ。
森の中に佇む僕たちの家だ。
天上の世界からもよく見えるように、愛情色の赤い屋根がいいな。
それは、いつしか抱くようになった僕の希望。
「瑞樹、屋根は赤にしないか」
「え?」
「やっぱり目立つ色がいいよな! それからテラスにはデッキチェアを置こう」
「いいですね。芽生くんが帰って来た時、一番に『お帰り』と言えますね」
「あぁ、それで一軒家に移り住んだら犬を飼わないか」
「それも素敵です。芽生くんも飼いたがっていましたし」
「賑やかになるだろうな。子犬から育ててみようぜ」
「可愛いでしょうね」
「俺と瑞樹と芽生の家……楽しみが出来たな」
「はい」
素直に嬉しい。
「俺たちの終の住み処になるのだな」
「えっ、あ……あのっ」
「なんだ?」
「今、なんて……」
聞き間違えでなければ、『終の住み処』と?
「俺と瑞樹が生涯を過ごす家だ。芽生が巣立った後もずっと二人で生きていきたい。こんなの……重たいか」
「嬉しい……嬉しいです。ずっと一緒なんですね」
「あぁ、離さないよ」
「離れたくありません」
「大丈夫、俺はずっといるよ」
「はい」
優しい秋風が吹き抜けていく。
切なさを跳ね飛ばして残るのは、確かな愛だけだ。
無性に芽生くんに会いたくなった。
「瑞樹、そろそろ芽生を呼びに行くか」
「僕もちょうどそう思っていました」
「この案、芽生にも聞いてみよう」
「はい」
森に向かって声をかけると、すぐに返事があった。
「芽生くんー、どこにいるの?」
「お兄ちゃん、ここだよ-」
一目散に駆けて来た芽生くんが、僕を見つけるとニコニコと可愛い笑顔を振り撒いてくれる。
この笑顔が大好きだ。
守りたい笑顔だ。
「芽生くん、楽しかった?」
「うん、そうくんとしゅんくんとたくさん遊んだよ」
「よかったね。あっ……髪に落ち葉がついているよ」
髪に黄色い葉っぱが絡まっていた。よく見ると洋服にもいっぱい土と葉っぱがついている。これはかなりやんちゃに遊んだようだ。
元気いっぱい、健康でありがたいよ。
「えー どこ? どこ? お兄ちゃん~ とって」
最近……芽生くんが甘えた幼い口調になるのは僕限定だ。それが密かに嬉しかったりする。
「うん! ここと、ここ……」
「えへへ、ありがとう。あのね……さっき……パパと何を話していたの? なにかたいせつなお話だった?」
芽生くんのトーンが少し下がったので焦った。
どうやら芽生くんはよく周りを見ているから、内緒話かと不安にさせてしまったようだ。
「芽生くん、抱っこしてもいい?」
「うん! してほしい」
芽生くんを抱き上げて、僕はログハウスの景色を360度ぐるりと見せてあげた。
「あのね、お兄ちゃんとパパ、ここがとても好きになったんだ」
「わぁぁ、ボクも! ボクもだいすき。お空がきれいに見えるから」
「だからね、いつかこんな所に住んでみたいなってお話をしていたんだよ」
「なんだぁ、そうだったんだね。よかったぁ」
芽生くんがほっとした表情で、僕にしがみついてきた。
「どうした?」
「お兄ちゃんが……出て行ってしまうのかもって、ちょっとこわくなったよ」
「そんな……」
「……ママもある日、大切なお話をしたあと、いなくなったの」
「……ごめん、ごめんよ。不安にさせて」
「ううん、ボクこそ……ごめんなさい。ヘンなこと言って」
宗吾さんも隣で、苦しげな表情を浮かべていた。
「芽生くん、その逆だよ。ずっとずっと一緒に暮らしていこうって話していたんだよ」
「ほんと?」
「お兄ちゃん……いつか芽生くんが巣立っても、帰って来る場所になってもいいかな?」
「わぁ……パパとお兄ちゃんはずっといっしょなんだね」
「うん、その約束をしていたんだよ。だから芽生くんにお知らせしたくて呼んだんだ」
まだ8歳の芽生くんがどこまで理解出来るか分からないが、ありのままを伝えたいよ。
僕の希望……誓い……願いのすべてを。
「ボク、まだ子供なのに、おしえてくれるの?」
「当たり前だよ。芽生くんは僕の家族なんだから」
「うれしい! だからお兄ちゃんって、だいすき!」
宗吾さんが僕たちの会話を聞いて、今度は安堵の溜め息を漏らした。
「ふぅ、ありがとうな。あー 冷や冷やしたよ。瑞樹がいるだけで、世界が丸く収まるよ」
「そんな、大袈裟ですよ」
「いや、本当にそう思う。芽生と二人だけだったら、こんな穏やかな時間はなかっただろう。瑞樹、改めてありがとう」
「それを言うなら、僕こそ……僕を見つけてくれてありがとうございます」
「全てはあの公園から始まったんだな」
「はい」
あの日、一馬が出て行った部屋を見渡して息を呑んだ。
一緒に住んでいたマンションには左右に六畳の部屋があり、ひとつは僕、もう一つは一馬が使っていた。一馬の結婚が決まり、アイツの部屋から少しずつ部屋から荷物が消えていっているのは知っていた。数日前には引っ越し屋がきて、全てを運び出していったのも見ていた。
それまでバランスの取れていた部屋は少しずつ傾き、深い海に沈没していく難破船のようになっていた。
怖くて息が出来なかった。
このままここにいたら、もう二度と浮かび上がれなくなりそうだ。
これ以上の悲しみに溺れたくなくて、僕は逃げ出すように部屋を飛び出した。
あいつの結婚式を密かに見送り、最後の未練と決別した。
結婚式場から、あてもなく歩いた公園へ続く道。
あの道を歩かなければ、今はなかった。
「瑞樹……あの時……泣いていたな」
「あの時はどうしていいのか分からなくて……でも芽生くんが声をかけてくれて、宗吾さんもすぐに駆けつけてくれました」
「覚えているよ。今でも一部始終を……」
宗吾さんも、あの日を邂逅しているようだ。
するとあの日のように芽生くんが明るく声をかけてくれた。
「お兄ちゃん、これ見て!」
目の前に見せてくれたのは、ハート型の落ち葉だった。
「よつばは今日はないけけど、幸せの葉っぱを見つけたよ! パパとお兄ちゃんにあげる! いつまでもアチチでいてね!」
あの日のように、僕たちを結びつけてくれるんだね。
やっぱり芽生くんはすごい。
君は、僕の地上の天使だ。
「うん、ずっといるよ」
「よかったぁ」
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