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心をこめて 35
普段使っていない押し入れを整理していると、奥の方から懐かしいボードゲームが出てきた。
「これ……まだあったのか。いや、絶対に捨てられないと奥にしまったんだ」
これを母がくれたのは、瑞樹がやってきた最初のクリスマスだった。
俺が10歳の時に父が亡くなり、母がひとりで花屋を切り盛りするようになった。それからはクリスマスを家族で祝うような雰囲気ではなくなったが、その年は違った。
母なりに、夏前に我が家にやってきた瑞樹を気にかけたいたのだろう。
着の身着のままで我が家に連れてきた瑞樹。
荷物はランドセルだけだった。
ランドセルの中に入るだけの必要最低限の服しか、持って来られなかったのだ。
一度瑞樹の家に母が荷物整理に行ったが、狭い我が家に瑞樹のおもちゃを持ってくることは出来なかった。
そんな罪滅ぼしも込めてだったのか。
ケーキもご馳走もない食卓だったが、母が「広樹、瑞樹、潤、みんなで遊べるかなと思って選んだのよ」と言って、笑顔で渡してくれた。
潤は「こんなのいらない! オレがほしかったのはへんしんベルトだよー」とむくれて、ふて寝してしまった。俺も本当は友達が持っているゲーム機に憧れていたが、そんなの最初から無理だと思っていた。
瑞樹の反応だけは、違った。
いつになく頬を紅潮させ、嬉しそうな様子だった。
その笑顔に、俺はワクワクした。
この子、笑うとえらく可愛いんだな。
もっともっと笑わせてやりたい。
「瑞樹、もしかして……持っていたのか」
「ううん……初めて見たよ」
過去を思い出すものではなく、初めてだったから、反応が良かったのか。
「一緒にやってみようぜ。ルールを教えてやるよ」
「兄さんは分かるの?」
「昔、友達の家にあったから、早速やってみようぜ」
「うん!」
控えめで大人しい瑞樹の笑顔が、何よりのクリスマスプレゼントだった。
そんな瑞樹が溺愛する芽生坊が、病気で入院したと聞いて驚いた。
同時にどんなに瑞樹が心を痛めているかと思うと、苦しくなった。
母達が手伝いに行くと聞いて、瑞樹の大好きな花で癒やしてやりたいと思いつき、アレンジメントとハーバリウムを用意した。
「みっちゃん、空港までお見舞いを届けてくるよ」
「あ、待って! ヒロくん。これも持って行くつもりだったんじゃないの?
「あ……」
押し入れから出したままになっていた、古いボードゲーム。
「……これはいつか優美が遊ぶかも」
「優美にはまだ早いわ。今、必要な人に届けるべきよ」
「……みっちゃん」
「そう言えば、瑞樹くんとヒロくん、これでよく遊んでいたわよね」
「覚えているのか」
「うん、お店の奥で遊んでいるのが見えたのよ。仲良し兄弟だなって思ってた。これ届けたら、瑞樹くんも喜ぶわ」
「そうか、じゃあそうしてもいいか」
「ヒロくんの自由にして欲しいのよ」
「ありがとう」
あの頃の俺にはなかった自由がいまここにある。
「優美が大きくなったら今度は俺が買ってやるよ。可愛い色のを」
「一緒に選びましょ!」
「あぁ」
芽生坊が早く元気になって、このボードゲームで遊べる日が来ますように。
遠い函館から祈っているよ。
店があるから見舞いには飛んでいけないが、俺の気持ちよ、届け!
入院は大人でも大変だ。
俺は父の入院生活を見守ってきたので、分かる。
芽生は俺の大切な甥っ子だ。
全力で応援している。
****
「兄さん……ありがとう」
「瑞樹、疲れてないか」
「実はね、今はお父さんとお母さんに甘えているから、そうでもないんだ。もちろん最初はヘトヘトだったけど。本当に何もかもやってくれるので、僕は仕事と芽生くんのことだけを考えていられるんだ、有り難いよ」
瑞樹からの電話。
疲れよりも、満たされているように感じた。
「兄さんがくれた四つ葉のハーバリウム、とても素敵だね。僕の机に飾ったよ」
「そうか、気に入ってくれたか。俺のセンスで悪いが」
「大草原を知っている兄さんだから作れる世界だよ、大らかな雰囲気がいいね」
瑞樹は褒め上手で、可愛い弟だ。
瑞樹と話していると、いつも優しい気持ちになれる。
「瑞樹を癒やしてやりたくて、実は大沼の原っぱで見つけた四つ葉なんだよ」
「え?」
「押し花にしておいたのを、加工してみたのさ」
「すごい! 兄さん、僕……今の話を聞いて感動したよ」
「そうか。喜んでもらえて嬉しいよ」
「ありがとう。兄さん、大好きだよ」
「瑞樹……」
この言葉だけで、天にも昇る心地。
デレ顔になっていると、みっちゃんに笑われた。
「ヒロくん、うれしそう。また瑞樹くんに持ち上げてもらったのね」
「あぁ、そうなんだ」
「ふふふ。あなたたち兄弟のその感じ、やっぱりいいわ! 高校の頃から何もかわってないわね。待って! 変わったわ。瑞樹くんがぐっと明るくなったわね」
「さすがみっちゃんだな」
ずっと傍で、俺たち家族を見守ってくれた、みっちゃんだから言える台詞。
「みっちゃん、大好きだー」
「ふふっ」
****
病室に入る前に主治医の先生の呼び止められた。
熱は下がったが炎症を起した血管は完全に鎮静化してわけではないので1週間ほど経過観察をすると言われ、気が引き締まった。
まだ浮かれている場合ではないということか。
瘤が出来ていないか引き続きエコーなどで検査を続け、可哀想だが血液検査も定期的にするそうだ。
もう見た目はかなり元気そうに見えるのに。
少し凹みながら病室に入ると、芽生が楽しそうにボードゲームをしていたのでホッとした。
昨日までの病室とは雰囲気もガラリと変わり、明るい雰囲気だ。
こうやって1日、1日元気になって欲しい。
ぶり返さないように、焦らずコツコツでいい。
「あ、パパ!」
「芽生、具合はどうだ?」
「今日はね、ちょうしもよくて、いっぱい遊べたよ」
「そうか、よかったな」
芽生の頭を撫でてやる。
もうすっかりいつもの利発そうな顔つきになっていた。
「勝負はどうだった?」
「おじいちゃんのかち!」
「いやいや、芽生も強かったぞ」
「おじいちゃん、またやろうね」
「あぁ、おもしろかったな」
「うん! ボク、いつもおうちだとテレビばっかり見ちゃうけど、こういうのも楽しいね」
そうだな、家だとついDVDばかり見せてしまっていたよな。
「でも、そろそろ退屈だろ? DVDが観られる機械を買ってやろうか」
「うーん、テレビはおうちでみるのが、いいなぁ」
「じゃあ今流行のゲーム機はどうだ? みんな持っているんじゃないのか」
「うーん、それも、いいけど……ボク……今、とても欲しいものがあって」
芽生の欲しい物は、一体なんだ?
「何でも買ってやるぞ」
「それがね、買えないものなんだ」
「ん?」
話を聞いていたくまさんが、鞄から何かゴソゴソ取り出した。
「芽生くんが今欲しいものって、もしかしたら、これか」
「あっ! どうしてわかったの?」
「俺も寂しい時に見ていると、元気が出るものだからさ」
それは、俺たちと芽生の家族のアルバムだった。
くまさんが撮ったものに加えて俺たちから送ったものまで、綺麗にまとめられていた。
「わぁ……パパもお兄ちゃんもいっぱいいる! ボク、今よりちょっとちいさいね」
「芽生くん、素敵なアルバムだね」
「うん! これ、これがほしかったんだ」
芽生が両手でアルバムを愛おしそうに抱きしめた。
なんだ、そうか……あぁ、そうなのか。
どんなおもしろい映画やゲームよりも、まず目の前の人なんだな。
芽生が俺たちを大切にしてくれているのが伝わってきて、嬉しかった。
「明日は、これを見て、思い出をお絵かきしようかな」
「そうだね、色えんぴつとかなら持って来ているから、夜に見せてね」
「うん!」
くまさんと芽生が何か話している。
「パパ、お兄ちゃんにはこれをプレゼントするよ」
「何かな?」
「ボクだよ、全部ボクなんだって!」
くまさんがまとめてくれたアルバムには、芽生が一杯だった。
芽生、芽生、芽生が輝いていた!
「パパもお兄ちゃんもさみしくなったら、これ見てね」
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