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心をこめて 36
大切な甥っ子が入院して、1週間が過ぎた。
入院の知らせを聞いて駆けつけると、芽生はまだ熱も高く辛そうだった。初めての入院におびえ点滴を嫌がり、一人の夜が怖いと泣いていた。
「お兄ちゃん! お兄ちゃんがいい」と必死に手を伸ばす様子に、切なくなった。
3歳という大切な時期に、離婚を理由に母を失った芽生にとって、きめ細やかな気配りで常に優しく自分に接してくれる瑞樹の存在は、かけがえないものだった。宗吾が瑞樹と出会い、瑞樹が芽生を愛してくれたことにより、芽生の心は落ち着き、周囲に幸せを振り撒くようになっていた。
このままスクスクと健康に成長していくと思ったのに、まさか川崎病で入院するなんて。こんな日々が弟たち家族にやってくるなんて予期しなかった。
人生は分からないものだな。
母に置き去りにされた経験がある芽生にとって、家族が離れ離れになるのは一番苦手で痛手なのは察していた。だから瑞樹に似た可愛いうさぎを探し求めて連れて行ったのだ。
仕事が立て込んであれから病院に行けていないが、今日は早く帰れそうだ。芽生は点滴も取れ熱も下がり、逆に病室に閉じ込められてるのが退屈そうだと、母から聞いていた。
さてと、今日は何をお見舞いに持っていくか。
私は今時の子供が好きなものには疎いので、部下に聞いてみた。
「君のお子さんは小学生だったよな?」
「えぇ、今8歳ですよ」
「丁度よかった。もしも急に入院することになったら、何を欲しがると思う?」
「そんなの決まっていますよ。今流行のゲーム機でしょ」
「そういうものなのか」
「泣いて喜びますよ」
「ふむ、参考にするよ」
何人かに聞いたが、皆、口を揃えて同じ答えだった。そこで量販店に寄ってゲーム機を見ると、なかなかいい値段だった。いや、値段云々よりも、これは私が気軽に与えるものではないなと感じた。
芽生が欲しがった時に、家族で相談して決めるものだ。勝手に私が入院を理由に持ち込まない方がいいだろう。
病室を覗くと、宗吾と瑞樹と芽生の、楽しそうな声がした。
「お兄ちゃん、こっち来て」
「パパは」
「えへへ、パパもこっちこっち。今日はスキーに行ったときの絵をかいたの」
芽生の明るく溌剌とした声が可愛かった。
「あー コホン、芽生、具合はどうだ?」
「ケンゴおじさん!」
「兄さん、忙しいのに寄ってくれたのか」
「あぁ、可愛い甥っ子の顔を見たくてな」
芽生は先日渡した、うさぎのぬいぐるみを見せてくれた。
「おじさん、こんばんは! あのね、見ててね」
「あぁ」
「ボクね、うさちゃんを両手でだっこできるんだよ!」
芽生がうさぎを抱きしめ頬ずりしている。ふわふわの毛に埋もれる芽生の柔らかな頬は健康的な色になっていた。
元気になって良かった。
「芽生は治療をがんばっているんだな」
「うーん、でも、やっぱりテンテキはスキじゃないよ。手がつかえないんだもん。今は両手がつかえるから、お絵かきもできるし、お手紙もかけるよ。これ、おじさんに」
突然渡された封筒を開くと、丁寧な文字で「けんごおじさん、かわいいうさちゃんをありがとう! このこがいるとよくねむれるよ」と書かれていた。
素直な言葉は、直球で心に届く。
普段難しい法律用語の中で生きているので、子供らしいあどけなさを纏った文字に目を細めた。
「芽生、今日は絵本をお見舞いに持って来たよ。絵本なんて読むかな?」
結局、量販店を出て書店に向かい、明るい色合いの絵本を思わず買ってしまった。
「わぁ! うれしい! ごぜん中たいくつしちゃうから、ご本をよみたかったんだ。」
その言葉にほっとした。
『くまのパンやさん』
宗吾に似たくまと瑞樹に似たうさぎが切り盛りするパンやさんが、いろんなお客さんと触れ合う話だった。
「わぁ、くまちゃんがやくパン、こんがりしていておいしそう! いいなぁ」
「焼き立てパンか、なんでも出来立ては美味しいからな」
「うん! パンって、こんなにしゅるいがあるんだね」
「芽生は何が好きだ?」
「ボクはね、食パンだよ! ふわふわなのすき!」
「焼き立てか。あれは美味しいよな」
「タイインしたら焼き立ての食パンを食べたいな」
芽生は病院食を食べながら、退院してからの食生活にも夢を膨らませているようだった。
「退院したらの楽しみが増えたな」
「うん、おじさん。ボクね、今、いっぱいしたいことがあるんだ。フシギだね、こんなのあたりまえだと思っていたことが、したくなるんだもん!」
「そうだな、入院は大変だったが、いろんなことに気付けたな」
「きづけなかったことにきづけるって、すごいよね」
「そうだな、物事にはいろんな視点があるんだよ」
「うん!」
芽生が明るく笑う。
その笑顔には、希望が灯っていた。
私たちを灯す、幸せな笑顔だ。
****
芽生くんの入院生活は、今日で10日目を迎えた。
宗吾さんのお母さんと大沼の両親が日中は交互に付き添ってくれ、夜は宗吾さんと僕とで、芽生くんが寝付くまで見守った。
最初は大変だったが、この生活にも慣れてきた。
それから、不謹慎かもしれないが、思いがけず大沼の両親と同居する日々を僕は味わわせてもらっている。
「おはよう、お父さん、お母さん」
「瑞樹、おはよう。あら今日は左に寝ぐせがついているわよ」
「わ、顔を洗ってくるよ。あっ、お父さん、おはよう!」
お父さんはこの時間はキッチンに籠って、熱心に朝食作りをしている。
今日は腕まくりをして、逞しい腕で麺棒を転がしているようだ。
「お父さん、何を作っているの?」
「みーくん、今日はピザに挑戦してみたぞ。食べ盛りの男二人の父親って忙しいんだな」
食べ盛りという言葉に、少しドキッとした。
宗吾さんは、確かに食べ盛りかも……って、僕、何を?
そこに宗吾さんが、ボサボサの髪でやってくる。
「おはようございます! うぉー いい匂いだな。腹減ったー」
くすっ、宗吾さんもすっかり息子モードだ。
「宗吾くんの胃袋は底なしだな。もう飢えているのか。昨日もあんなに食ったのに」
「美味しい食事だから、食欲が半端ないですよ」
「ほぅ、それは作り甲斐があるな」
こんがり焼けたピザを、宗吾さんは丸ごと1枚ペロリと平らげた。
「出来たてって、最高だな」
「はい、これも芽生くんに食べさせてあげたいですね。退院したら何をしてあげようかって、最近はそればかり考えています」
「瑞樹……きっと、もうすぐだ。もうすぐだから、頑張ろう」
「はい。芽生くん……ただ最近は病室から出られないのがかなり辛そうで」
「そうだよな……あと少しが長いんだよな」
出掛ける前に、寝室で宗吾さんと軽いキスをした。
これは、今日も一日頑張ろうのキスだ。
喜びも悲しみも分かち合うと誓った人とのキスは、僕の心を軽くしてくれる。
キスのあと一度しっかり抱きしめられ、じっと見つめられた。
「瑞樹、少し痩せたんじゃないか」
「そんなことは……」
「ごめんな、心労をかけて」
「宗吾さんこそ……」
「もうひと頑張りだ。みんなで力を合わせて乗り切ろう」
「はい!」
宗吾さんの言葉は力強い。
弱い僕の心を導いてくれる人だ。
その日の午後、菅野に声をかけられた。
「瑞樹ちゃん、芽生坊どうだ? 退院の許可、下りないのか」
「それが血液検査の数値が、まだクリア出来なくて」
「そっか……あ、そう言えば、青山からまた会わないかと電話がかかってきたんだ。芽生坊が秋に会った時、青山にサッカーを習いたいってお願いしていたらしくてさ。入院のことは俺の口からは言えなくて……その……」
「ありがとう。僕から伝えるよ」
あの秋のピクニック……懐かしいな。想くんが運転する青い車から降りると生まれ育った家の裏庭と似た景色が広がっていて、一目で気に入ってしまった。
あの土地の住所は『横浜市新緑区しろつめ草……』
暖かくなったら、また皆で遊びにいきたいな。
想くんとお母さんにも会いたいし。
あ……芽生くんが退院したらしたいことが、また一つ増えた。
「菅野、想くんは元々体が弱かったと聞いたけど、入院経験はあるのかな?」
「あぁ、白石は小児喘息だったかな。それが酷くて幼い頃から何度もしたと聞いているよ。そう言えば高校時代も一度あったな。俺、生徒会メンバーだったから、代表してお見舞いに行ったんだ」
「そうなんだね」
残念ながら……僕の入院経験は芽生くんの参考にはならない。
あれは、あってはならない絶望の入院だった。
でも、想くんなら……
幼い頃、病気を治すために入院した経験のある想くんと話がしたい。
話を聞いてもらいたい。
気が付けば、僕はその場で想くんに電話をかけていた。
あとがき
宣伝を含む内容なので、不要な方は飛ばして下さい。
****
芽生の退院まであともう少しです。
ただ、その『あと少し』が長く感じるのですよね。
芽生頑張って!
瑞樹と宗吾さんにも、軽く触れ合う余裕が出てきましたね♡
後半は『今も初恋、この先も初恋』https://fujossy.jp/books/25260とのクロスオーバーです。明日も続けてクロスオーバーしていきます。
4月2日の春庭で新刊『今も初恋、この先も初恋』を出すのですが、その中に書いた『幸せな存在』とのクロスオーバーと繋がる内容です。今回はいっくんが中学生、芽生が高校生のお話です。尚、Twitterでは現在、同人誌の発行部数アンケートをしています。よろしければご協力下さい。Twitterの固定ツイにしています。Twitter @seahope10
エブリスタのエッセイhttps://estar.jp/novels/25768518では、随時同人誌情報を更新していきます。通販(BOOTH)も、来週にはOPEN予定です。
どうぞよろしくお願いします。
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