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心をこめて 49

「芽生の退院が決まったのか! おめでとう! 良かったな」 「兄さん、いろいろありがとうございます」 「いや、私は……たいした事は……その……コホン、あの子は邪魔になっていないか」 「うさぎですか。それはもう芽生が可愛がって毎晩抱きしめて眠っていましたよ」  宗吾との電話。  それは待ちに待った嬉しいニュース!  私の可愛い甥っ子、芽生の退院を告げるものだった。  今度は退院祝いを送ってやりたい気持ちが、また沸き起こる。  最初のお見舞いには、散々迷って、瑞樹くんによく似たぬいぐるみをプレゼントした。  今度は何がいいか。  今晩にでも自宅へ駆けつけたい気分だが、退院したばかりの芽生は疲れているだろうし、宗吾も瑞樹くんも家族水入らずで過ごしたいだろう。  仲良し家族だから、お祝いは三人が和気藹々と楽しめるものがいいだろう。  その翌日、即日配送してくれる家電量販店に、私はまた姿を現した。  この私が、こんなに頻繁に買い物にやってくるなんて、自分でも驚く。  今まで贈り物をすること自体、エゴを押しつけるようで苦手だった。だから必要に迫られれば、金一封で合理的に済ましていた。何でも自由に好きな物が買える現金が、一番だろうと決めつけていた。  それはそれで一理あるが、幼い芽生の退院。そのお祝いをそれで済ましてしまうのは、どうにも味気ない。  味気ないか……  私の人生は少し前まで、とても無機質なものだった。  完璧だが味気ない世界を生きていた。  白い紙と黒いインク、大量の書類や分厚い本に埋もれる世界だった。  昔からタイプが違いすぎて、だんだん分からなくなってきた弟。  弟の息子というだけで、突き放してしまった小さな甥っ子。  そこに差し込んだ光りは、瑞樹くんが色づけてくれた花の色だった。  改めて見渡すと……  何でもそつなくこなす宗吾も、人として弱味を持っていることに気付いた。  宗吾も不器用な人間だった。そこが可愛く見えた。  そして、芽生はなんて利発で愛らしく、優しい甥っ子だったのか。  私の心はどんどん解れてきた。  宗吾と瑞樹くんが織り成す『歩み寄る恋』の刺激を受け、冷めきっていた夫婦仲も息を吹き返すほどに!  人を愛する方法に手引きはない。  指南してくれる書物もない。  全ては『こころ』だと、初めて知った。  人生に遅いはない。  気付いた時から始めればいいのだ。  『心をこめる』  丁寧に相手を見つめ、自分のことのように大切に捉えていけば、自ずとすべきことが見えてくる。  相手が喜ぶ顔が見たくなる。  そのためには……  おもちゃ売り場をぐるりと歩き、私は上りのエスカレーターに乗った。  ふと最上階にあるレストラン街の看板が目に飛び込んできた。  湯気の立ち上るラーメンにお好み焼きか。  そういえば芽生は入院生活では熱々の物を食べられなかっただろう。冷めたご飯ばかりで味気なかっただろうな。  なんでも出来立ては美味しいぞ。  そうか、確か……  ふと病室で、芽生に絵本を手渡した時の会話を思い出した。  絵本のタイトルは『くまのパンやさん』で、宗吾に似たくまと瑞樹に似たうさぎが切り盛りするパンやさんが、いろんなお客さんと触れ合う話だった。 …… 「わぁ、くまちゃんがやくパン、こんがりしていておいしそう! いいなぁ」 「焼き立てパンか、なんでも出来立ては美味しいからな」 「うん! パンって、こんなにしゅるいがあるんだね」 「芽生は何が好きだ?」 「ボクはね、食パンだよ! ふわふわなのすき!」 「焼き立てか。あれは美味しいよな」 「タイインしたら焼き立ての食パンを食べたいなぁ」 ……  焼き立てパンか。  ご飯の炊きたては、炊飯ジャーで予約すれば出来るだろう。  もしかしてパンにも同じようにタイマーをセットすれば、焼き立てが食べられるマシーンがあるのでは?  家庭の調理家電に何があるのかなんて今まで全く興味がなかった。  全部妻任せで一緒に選らだことすらない。  そんな私が調理家電売り場にやってきたのを美智が見たら、また目を丸くするだろうな。 「いらっしゃいませ。何かお手伝いしましょうか」 「うむ……焼き立てパンを作るマシーンはこの世に存在するのか」 「は? あぁホームベーカリーのことですね」 「あるのか!」  思わず身を乗り出してしまった。  ~こんなのあったらいいな~  そんな子供のような素朴な願いが叶うなんて!  案内されたコーナーを見て、また驚いた。  参ったな。いつの間にこんなにいろんなメーカーで展開していたのだ?    その中で一際目を引いたのは、クリームパンみたいな蓋のホームベーカリーだ。 「これを、即日配送してもらえますか」 「都内でしたら可能です」 「都内です!」 **** 「お兄ちゃん、これ……おもちゃじゃないよね」 「うん、本物のパンが焼けるみたいだよ」 「すごいね、こんなのあるんだね」  みーくんと芽生くんは、ホームベーカリーの取り扱い説明書をワクワクした顔で覗き混んでいた。  なるほど、いい物をもらったな。  なんでも出来立てはいいぞ。  食べ物の一番美味しい瞬間をいただくってことは、それだけパワーが漲るものさ。 「ここに書いてあるけど、材料をセットしたら、朝焼き立てパンが食べられるんだって」 「うわぁー うわぁー ケンゴおじさんがくれた絵本みたいな、ほかほかのパン?」 「そうだよ。あぁ、僕もドキドキワクワクしてきたよ」 「おーい、パンの材料なら一式揃えてあるから使うといい。ピザを焼くのに買い揃えたのさ」 「くまさん、ありがとうございます」 「今日の夕食は作ってあるから、それを食べるといい」  大きな鍋には北海道の牛乳をたっぷり使ったホワイトシチュー。一緒に黒パンも焼いておいたし、さっちゃんがカラフルなサラダも作ってくれた。 「それからピザを作って何枚か冷凍しておいたよ。焼くだけだから簡単だ。さてと俺たちはそろそろ行くよ」 「え! おじいちゃん、おばあちゃん、もう帰っちゃうの?」 「芽生くん……可愛いことを言ってくれるんだな」 「だって、さみしいよ」  芽生くんがぎゅっと俺の足にしがみついてくれた。  みーくんがよくこんな風に俺を引き止めてくれたのを思い出す。  幼いみーくんはいつもうるうるとした瞳で、一瞬の別れも寂しがってくれた。そんなみーくんが、大樹さんたちと離れ離れになったショックは大きかっただろう。なのに……俺は自分のしでかしたことに打ちのめされて、生き残ったみーくんの存在を忘れてしまった。  すまない……  謝っても謝っても、取り返しがつかないことだ。  だが、みーくんは俺と向き合い、俺に再び歩み寄ってくれた。  だからこれからは俺が出来ることを何でもしてやりたい。みーくんの大事な芽生くんのことも、祖父というポジションでドンと大きく深く包んでやりたい。 「また来るよ。少しおばあちゃんと旅行してくるだけさ」 「きっとだよ。きっと来てね。まってるよ。いっしょにパンたべようね。れんしゅうしておくね」 「あぁ、楽しみにしているよ」    帰り際に宗吾くんが水族館のペアチケットをくれた。 「へぇ、江ノ島にあるのか。ちょうど行ってみたいと思っていたんだ、ありがたく頂戴するよ」  まずは家族水入らずの時間を過ごして欲しい。  ギュッとくっついて、笑って過ごして欲しい。  仲良し家族は、いつも一緒にいて欲しい。  それが冬眠を終えた森のくまさんの願いだよ。      

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