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心をこめて 51

 録画していたアニメ番組のキリが良さそうだったので、芽生くんに優しく声をかけてみた。 「芽生くん、そろそろお風呂に入ろうか」 「うん! あのね、今日はみんなで入りたいなぁ、ダメ?」 「駄目なはずないよ。むしろ嬉しいよ!」  入院当初はお風呂に入ることも出来なかったので、僕が身体を拭いてあげた。それからは病院のお風呂に、短い時間でササッと入らないといけなかった。  一人きりで、慣れない風呂場。  いつも洗い残しがあって、可哀想だった。 「よかった~ タイインしたら、ぜったいみんなで入りたいなって思っていたんだよ」 「……芽生くん」  その言葉に、涙が滲む。  芽生くんの小さな願いは、僕と宗吾さんの願いだから、今日から一緒に叶えていこうね。  小さな幸せを丁寧に摘んでいこうね。  そしてまた幸せの種を蒔こう! 「よーし、芽生、パパが赤ちゃんみたいにいれてやるぞ!」 「えー お兄ちゃんがいいよぅ」 「はは、だよな。よし、俺はこの子を入れてやろう、むふふ」  宗吾さんが、憲吾さんがくれたうさぎのぬいぐるみをギュッと抱きしめた。 「わ! それは……」  僕に似ているぬいぐるみなので、少し照れ臭い。 「丸洗い出来るってタグに書いてあるし、病院で味噌汁こぼして汚れちゃったもんな」 「うん、洗ってあげたい。でもね、パパ、お口が取れたらいやだから、やさしくだよ」 「そうかぁ~ この子も案外食いしん坊みたいだぞ。意外と……」 「そ、そうごさーん!」 「パパぁー お鼻の下が……」 「わ! ヤバイ!」  端から見たら、いい大人がぬいぐるみと戯れて……と思うかもしれないが、これが僕らの日常だ。  僕らも子供だったし、子供のような純粋な心を今も持っている。  だから芽生くんに歩み寄って、僕も心から笑えるよ。  日は暮れていくが、心はどんどん色付いていく。息を吹き返していく。 「そうだ、お風呂に入る前に……」  菅野に頼んで見繕って届けてもらった花を、思い出した。 「このお花を花瓶に生けないと」 「わぁ~ キレイ。これ、なんのお花?」 「これはね、アネモネというお花だよ」 「調べてみるね、えっと……」  僕が花瓶に生けている間、芽生くんは早速僕がプレゼントした花の辞典を引いてくれた。 「あ、あった! これかな? わぁ、今度の辞典はすごく詳しく書いてあるよ」 「読める?」 「うん、ふりがなあるから大丈夫だよ。えっとアネモネはギリシア語の『風』を語源《ごげん》とし、早春《そうしゅん》のおだやかな風が吹き始めると開花《かいか》するんだって」 「そうだね。英語では『Windflower(風の花)』と呼ばれているんだよ」  風の花。  それは、まるで僕たち滝沢ファミリーのようだ。  僕たちは爽やかな風に揺れる花だ。  新鮮な空気を浴びて、生き生きと呼吸している。 「芽生くん、紫のお花の花言葉を調べてごらん」 「うん……これかな? わぁ……」  紫のアネモネの花言葉は『あなたを信じて待つ』 「芽生くんの病気、絶対に治ると信じて待っていたよ」 「お兄ちゃん、ありがとう。願ってくれてありがとう。僕のこと待っていてくれて、ありがとう!」 「当たり前だよ。お兄ちゃんはずっとここにいるよ」  芽生くんと僕の柔らかい会話を、宗吾さんが暖かい眼差しで見守ってくれていた。 「ううっ、瑞樹と芽生が並ぶと和むな~ 癒しパワー最強だ」 「パパがいると元気パワーも最強だよ!」 「おぅ! お、風呂沸いたぞ」 「うん」  僕たちはじゃれ合いながら素っ裸になった。  芽生くんは入院生活のせいで痩せてしまったが、元気いっぱいの笑顔を浮かべているので悲観的にはならない。  今日からまた沢山食べて、体重も体力も元に戻していこう。 「それ!」  芽生くんとザブーンと湯船に浸かる。 「やっぱり、みんないっしょっていいね」 「うん」  君と、いつまで一緒にお風呂に入れるのかな?  春には3年生に進級するし、ずっと一緒ではないのは分かっている。  思春期、反抗期も、当たり前のようにやってくるだろう。  だからこそ、この一瞬一瞬が愛おしい。  いつも芽生くんとお風呂に入ると、湯船が幸せの方舟のように感じる。 「パパ、ボク、いつから学校に行けるの?」 「うーん、先生は明日からでもいいと行っていたが、明日は休憩して明後日からはどうだ? もう一休みが必要だと思うが」 「うん、そうしようかな。あのね……学校、いっぱい休んじゃってお勉強だいじょうぶかな?」 「芽生くん、僕も宗吾さんも明日はお休みをいただいたから、一緒に休んでいた間のお勉強をしてみよう」 「ほんと? よかった。ボクね、ちょっと不安だったの」  夕食はお父さんたちが用意してくれた特製シチューとサラダを食べて、早く眠ることにした。  ほっとしたせいかな?  僕もとても眠いよ。  目を擦っていると、パジャマ姿の芽生くんが足にくっ付いて来た。  爛々と目を輝かせて、僕を見上げている。 「お兄ちゃん、パン、パン、パンの予約しよー」 「あっ、そうだったね」 「瑞樹、材料はこれでいいのか~」  すぐに宗吾さんが棚から粉を抱えてやってきた。流石、行動が早い! 「はい、えっと……強力粉と砂糖、塩とバター、あとはお水にミルクパウダー、イースト。全部揃っていますね」 「お父さんが毎朝パンやピザを焼いてくれたから、我が家のキッチンに見慣れぬ材料が沢山あるぞ」 「パンもピザも美味しかったですね。僕たちもホームベーカリーでやってみましょう」  芽生くんとキッチンスケールを前に、慎重に粉類を計った。  まずは強力粉を250g、それから塩を3g。 「お兄ちゃん、この粉が本当にパンに変身するの?」 「うん、このホームベーカリーが頑張ってくれるはず」 「そうなんだー ワクワクするね」 「次はお砂糖を入れよう。芽生くん15g計ってくれるかな?」 「うん! そーっとそっと」  芽生くんはパンケースを覗きこんで、ニコニコ笑っている。  楽しそう、嬉しそう!  子供の表情は、特効薬だよ。  僕と宗吾さんの看病疲れも、芽生くんの元気な風が吹いて、吹っ飛んでいく。 「あとはバターを15g、スキムミルクを8g」 「お水はいつ入れるの?」 「えっと、最後かな? 芽生くん計量カップにお水を175g入れてくれるかな」 「うん」  憲吾さんが一緒に送ってくれたレシピ本は全部gで計れるので、分かりやすい。 「おーい、ドライイーストは入れなくていいのか」 「あっ、大切なものを忘れていました」 「俺が入れてやるよ」 「パパ、それはこっちこっち。このまあるい窓に入れるんだよ」 「自動投入機能付きか、兄さん……きっと高級な機種を奮発してくれたんだな」  全てをセットすると、満足してまた眠気が…… 「タイマーは何時にする? 明日はオフだからゆっくりにしようか」 「えー でも気になるよぅ」 「じゃあ8時?」 「ううん7時!」  くすっ、子供は元気だね。  「お兄ちゃん、パパ~ はやく寝よう。はやく明日になるから!」  早く明日に?  そんなことないけど、そんなことがあるような気がしてくるよ。  明日は朝から芽生くんがいる。  1日中一緒に過ごせるのが嬉しいよ。 「よーし、眠ろう」 「はい!」 「お兄ちゃん、ボク、真ん中がいい」 「うん、空けてあるよ!」  いい夢を見よう。  いい夢を見て欲しい。  僕は、君と野原を駆け回る夢がみたい。 「焼き立てパンたのしみだなぁ」 「僕もだよ」 「俺もさ」  三人に夢はもくもく膨らんで、美味しそうなパンになっていく。  和やかで幸せな夜が更けていく。  きっと明日は、パンの焼き上がる美味しそうな匂いで目覚めるだろう。  おやすみ、芽生くん。また明日!

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