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幸せが集う場所 14

 いっくんを抱いて東海道線に乗った。  平日の真っ昼間だからか、電車は空いている。  よかった! 最近人混みが苦手だから、助かるよ。  昔は人口の少ない街が嫌で、札幌の繁華街に遊びに出ては朝まで遊んだりしたのが嘘みたいだ。  今は静かな自然の中が落ち着く。  ガタンゴトンと揺れる電車にいっくんの温もりを感じながら座ると、ようやく一息付けた。  ふぅ、小さな子供連れで旅行って想像より大変だ。  いっくんは大人しい方だが、それでも寝てしまうと抱っこして荷物を抱えてと男のオレでも難儀する。これは菫さん一人では大変だったな。  いっくんはオレと出会うまで、旅行らしい旅行に出たことがなかったそうだ    オレとは最初は函館に挨拶に行き、それから夏は家族でキャンプにも行った。クリスマスには神奈川のホスピスへも……いっくんの世界がどんどん広がっていくのが嬉しいし、そこにいつもオレが立ち会えるのも嬉しい。 「むにゃむにゃ……」  いっくんは身体をくるんと丸め、オレにくっついて、すぅすぅと寝息を立てている。  寝顔は赤ちゃんの時のままで、またじわじわと父性が溢れてくる。生まれてくる子供も愛おしいが、今、目の前にいるいっくんが愛おし過ぎて堪らないよ。  安心しきった顔で眠る我が子を抱きしめると、いっくんがパチッと目を覚ました。 「お! 起きたのか」 「パパ、おちっこ!」 「え?」 「もれちゃう」 「あー そっか、そうだよな」  新幹線で行かなかったし在来線に乗り換える時は寝ていたので、今がその時なのか。 「おトイレいくぅ」 「え! 新幹線ならトイレもあるけど……ここは……参ったなぁ」  ドバッとヘンな汗が出て来た。  そこに兄さんのアドバイスを思い出す。 …… 「潤、いっくんはまだ小さいからおトイレタイムは不意打ちでやってくると思う。面倒臭がらずに根気よく付き合ってあげて欲しい。出来たら在来線に乗る前にトイレに立ち寄ることをおすすめするよ。でも寝ちゃったりしていたら無理して起さなくても大丈夫だよ。東海道線にもトイレあるから」 …… 「おといれ……ここには、ないの?」  いっくんがうるうるした瞳で見上げてくる。 「いや、大丈夫だ。あるよ! もうちょっとだけ我慢できるか」 「がんばるよぅ。おむつ……もうバイバイしたんだもん」 「よしよし、偉いな」  オレはいっくんを抱えてビューンとトイレに向かった。  ところが勢いよく駆け込んだトイレは想像より狭く揺れも激しい。  大丈夫か、オレ!  ここでまた兄さんからのアドバイスを思い出す。 …… 「潤、電車のトイレは揺れるし狭いから気をつけて。くれぐれも洋服を汚さないようにね。宗吾さんは何度も濡らして苦労したって」 …… 「いっくん、さぁズボンを降ろして座ろう」 「パパ、いっくん、ぜんぶぬぐの」 「脱ぐ?」 「うん、パンツしゃんとおじゅぼんしゃんバイバイ」 「あぁ、そっか、濡れたらやだもんな」 「うん!」  いっくんのズボンを脱がして、フックにかけて便座に座らせた。  するといっくんが、今度は泣きそうになった。  ど、どうした? 「パパぁ~ いやぁ、こわい。おちりおっこちちゃう」 「おぅ! パパが押さえているから、ほらっ」 「う、うん。こわくて……おちっこでないよ」 「大丈夫だ。ほら、しーしー」 「でたぁ!」 「やったな」  ふぅぅ……ちょっと宗吾さんの心境になった。  そこに電車の揺れが響く。 「パパぁ~ はやくおりたいよぅ」  いっくんが両手を伸ばしてオレによじのぼってくる。 「おう、まて、とにかくパンツ、はこうな」 「うん」  そこにノック音が響く。 「まだですかー」 「は、はい! 今出ます」  いっくんを抱えてビューンと飛び出した。  元の座席に座らせると、何かが足りない。 「パパ、いっくん、あんよがすーすーするよ」 「ズ、ズボンを忘れた!」  再び戻って、フックに駆けっぱなしになったズボンを回収した。  そういえば、ローズガーデンのトイレにもいろんな忘れものあるよな。  大変なんだけど、必死で楽しい。  そうか、これが子育てなのか。  オレ、ちゃんと参加してるんだな!  いっくんにズボンをはかせながら、上機嫌になっていた。  藤沢駅で乗り換えで、今度はいよいよ江ノ電だ。  このまま行けば予定通り到着する。  少しばかし気が焦ってしまった。 「いっくん、そろそろ歩くか」 「んーん、人いっぱい、こわいよぅ」 「あぁ、そっか、そうだよな」  オレに顔を埋めるいっくん。    確かに乗り換え駅のせいか、人が沢山だ。  こんな風にくっ付いてもらえるのも、あと何年だろう。  そのうちオレの手を離れて巣立ってしまう……  だから今は思いっきり甘えて欲しい。  オレもいっくんに甘えてもらいたい。 「いっくんね、あまえんぼうしゃん……かな?」 「んー このままでいいぞ」 「でもぉ、もーすぐ、おにいちゃんになるのに……だめだめ」 「いいんだよ。いっくんはお兄ちゃんになったって、パパの子だ。甘えたいだけ甘えていいんだよ」 「ほんと? ほんとにいいの? あとちょっとじゃないの。あかちゃんうまれたらおわりじゃないの?」 「あー もう、いっくんは……」    ヤバイ、ヤバイ、いじらしくて泣きそうだ。  そんな心配は不要だ。  もっともっと今までの分も全力で甘えてくれよ。 「旅行中はパパとふたりきりだ。いっぱい甘えてくれ」 「わぁ……うれちいなぁ、ずっとだっこがいい」 「ははっ がんばるよ」  そんないっくんだったが、江ノ島駅で芽生坊を見つけた途端…… 「パパ、おんりする! おろちてぇ、いっくん、じぶんであるけるもん!」  あぁ、その気持ちも分かる。  オレ、いっくんの気持ちが分かるぞ!  だから受け入れられる。  昔は人の気持ちなんて興味なく、お構いナシだった。  自分サイドの気持ちだけが全てで生きて来た。  オレがこんなに悲しいんだから、相手が全部悪いと決めつけて撥ね付けて……  でもさ、そうじゃないんだな。  オレといっくんに別々の二つの心があるように……  人はそれぞれ違う。  歩み寄っていかないといけないんだな。  どうしてもっと早く、このことに気付けなかったのか。  せっかく繋げてきた人の縁を、一時の感情に任せてブツブツ切ってしまうのは寂しい。外れそうになっても……もう一度歩み寄って繋いで結んでいけば、大きな円を描ける長い紐になるのにさ。 「潤、お疲れさま」  兄さんが可愛い笑顔でオレを労ってくれる。 「大変だったけど、充実した道程だったようだね」 「どうして分かる?」 「そりゃ、いっくんと潤の笑顔が物語っているよ。さぁ水族館で休憩しよう」  兄さんがそっとオレの背中に手を回してくれる。  オレより背が低いのに、なんだか頼もしく感じた。 「兄さんの言ったとおりだったよ。トイレが難関だった」 「ふふ、いっくんズボンを濡らさず到着出来たね。じゅーん、偉いぞ」 「へへっ」  やべっ、ブラコン全開だ。早くも――!  

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