1385 / 1737
新緑の輝き 11
いっくんを抱っこした潤くんと共に、ローズガーデンの中に入らせてもらった。
「あ、入場料払わないと」
「家族だから大丈夫だよ」
『家族』という響きが新鮮だった。
中に入るのは、久しぶり。
ここで潤くんと巡り逢い、ここで潤くんと結婚の誓いをしたのね。
軽井沢にも遅い春がようやくやってきた。
木々は芽吹き、花壇にはカラフルな花が咲いている。
「薔薇は6月が見頃だよ」
「そうなのね、その頃また来たいな」
「赤ちゃんが生まれたばかりだよ?」
「そうだったわ。薔薇が咲く頃には、家族が増えているのね」
「そう考えると、もうすぐだな」
「うん」
いっくんを高く抱き上げた潤くんが明るく笑う。
1年中日焼けした小麦色の肌が眩しかった。
あなたのこと……『私の南国の王子様』と、夢みる少女みたいに密かに呼んでいるのは内緒よ。
暫く話をしていると、遠くから『潤、こっちを手伝ってくれ』と呼ぶ声がした。
仕事中だったのに、引き止めちゃった。
「潤くん、私たちゆっくりローズガーデンを巡るから、もう行って」
「パパぁ、もういっちゃうの?」
いっくんが少しだけ寂しそうに、潤くんの首元に顔を埋める。
大好きなパパだもんね。
「いっくん、パパがお仕事している間、葉っぱの騎士さんとして、ここでママを守っていてくれ」
「キシさんって、しってる。めーくんがおとなになったら、なりたいことだよ。いっくんもなる!」
いっくんをベンチに座らせて、潤くんがしっかり視線を合わせてくれる。
「オレの息子は頼もしいな」
「パパのこだもん!」
「頼むぞ。じゃあ、行くよ」
白いベンチで、私たちは暫く休憩した。
いっくんは黒目がちの目を大きく見開いて、潤くんの仕事ぶりを見ていた。
あちこち動き回り、重たい土や植物を運び、休む暇がないわ。
来園したお客様に、声を掛けられることも多かった。
んん?
女性率が高くない?
まぁ、あんなにカッコいいガーデナーがいたら、声を掛けちゃうわよね。
ふむ……
少しだけ、お客様に妬いちゃった。
私って贅沢すぎるわ。
すると、いっくんが頬を染めて呟いた。
「パパ、かっこいいねぇ」
「パパ……もてるのね」
「だいじょうぶだよ。ママだけのパパだよ。あんしんちて!」
いっくんが力説してくれるのが微笑ましかった。
「まぁ、いっくんってば」
「ふふ、いっくんもママだいしゅき」
「ママも、もてるのね」
「おなかのあかちゃんもママしゅきだって」
「ありがとう」
「いっくんはね、パパもママもおなかのあかちゃんもしゅき。なんてよぶのかたのしみだな」
「産まれてきたら……お顔を見て一緒に考えようか」
「いっくんもかんがえていいの?」
「もちろんよ、いっくんのきょうだいよ」
いっくんは幸せそうに、微笑んでくれた。
「ママ、パパだけでなくきょうだいもできて、にぎやかになるね」
「うん、そうね。でもね……いっくんとふたりだけの時もママにとっては大切な時間だったのよ」
本当にそう。
いっくん、あなたがいなかったら生きてこられなかった。
いっくんとの時間は生涯忘れることのない、大切な時間よ。
「いっくんもだよ」
****
「加々美花壇の葉山瑞樹です、会議に呼ばれて参りました」
「お待ちください。お調べいたしますので」
受付で名乗り、また心臓が高鳴った。
宗吾さんの外部イベントの助っ人をしたことはあるが、社内に入るのは初めてだ。
「お待ちしておりました。こちらが企画チームの通行証です。ミーティングは27階のC会議室です」
「ありがとうございます」
通行証をタッチしてゲートを開き、中へ入る。
僕の会社とは桁違いの近代的なビルに度肝を抜かれる。
宗吾さんって、本当に超大手の広告代理店の営業マンなんだな。
加々美花壇も日本屈指の老舗だが、規模の差に呆気にとられる。
なんだか僕、さっきから変だ。
心がザワザワしている。
落ち着かないと……
宗吾さんは宗吾さん、僕は僕だ。
会社の規模なんて関係ないのに、馬鹿だな。
上層階へ向かうエレベーターの中で、ふぅと一呼吸。
心を整えて、花と向き合おう。
余計なことは考えない。
硝子張りのエレベーターの一番奥で外を眺めていると、花の香りが急に漂ってきた。
「あ……」
ハッとして振り向くと、雪也さんが立っていた。
「やぁ、瑞樹くん」
「いらしていたのですか」
「うん、ミーティングに僕も呼ばれたのでね」
「あの、僕を指名して下さったのは雪也さんですよね。ありがとうございます」
お礼を言うと、雪也さんは微笑まれた。
「どうしても『柊雪』の良さを知り尽くしている人に携わって欲しくてね」
「ありがとうございます。心を込めて接します」
「その……社内ではやりにくいだろうが、白金ではもう少しのびのび出来るはずだよ」
雪也さんがウインクしたので、ドキッとした。
雪也さんはシルバーグレイの素敵な紳士なので、その動作が似合っていて。
「どうした? 変だったかな」
「いえ、とても自然でカッコよかったです」
「今のはね、僕の憧れの海里さんの真似だよ。兄さまの王子さまだったからね」
「素敵な方だったんですね、海里さんって」
「白金のお屋敷に来たら、また話してあげよう」
「楽しみにしています」
27階で雪也さんは降りなかった。
「僕は社長室に寄るから、後で会おう」
「はい!」
雪也さんと別れて廊下を歩き、会議室の前でもう一呼吸、置いた。
トントン。
心をこめてノックすると、少し上擦った宗吾さんの声が中からした。
いよいよ顔合わせだ。
「どうぞ!」
「はい、失礼します」
いきなり目を合わすのは恥ずかしく伏し目がちに入室すると、宗吾さんではない女性の黄色い声が会議室内に鳴り響いた。
「きゃ! きゃ~ 本物の王子様登場だわー!」
場違いな声に、宗吾さんが焦っている。
「おい、お前、今、仕事中だぞ」
「あ、あぁ、そうだったわ。ひゃあ~」
王子様って……僕のことを言っているのか。
これは一体どうリアクションしていいのか。
変な汗が出てくる。
僕の一挙一動を宗吾さんが心配そうに見守っている。
と、とにかく心証を悪くしたくないので、平常心でスマイルを心がけないと。
「かっこいい、かわいい、可憐! すごいわ! 三拍子揃ってるわ」
「お前は、そろそろ黙れぇー」
「あ、席、席を作らないと。きゃー」
女性がバタバタと立ち上がると、机に置いてあった文房具が一気に落下した。
宗吾さんの同僚? なのかな。
コロコロとボールペンが足下に転がってきたので、僕はそれをしゃがんで拾い上げた。
「あの……加々美花壇の葉山瑞樹と申します。どうぞ宜しくお願いします」
ボールペンを差し出しながら、ニコッと微笑みながら丁寧に挨拶をした。
これで正解かな?
ともだちにシェアしよう!