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新緑の輝き 16

「潤、奥さんと息子さんは帰ったのか」 「あ、はい!」  東京の薔薇を植える予定のスペースに膝をついて、土壌の具合を手で直接確かめていると、ローズガーデンのオーナーがやってきた。 「奥さん、身重だったんだな」 「はい、予定日は5月中旬です」 「そうか、いい季節に産まれてくるな。軽井沢はまさにその頃が芽生えの季節だ」 「はい!」  ポンっと肩に手を置かれる。 「本当に良かったよ。ここに来た当初は正直ちゃんとやっていけるのか不安だったのに、大きく成長したな」 「……すみません。いや、オレを雇ってくれてありがとうございます」 「放っておけなかったんだ。私の弟みたいでね」 「オーナーに弟さんがいらしたのですか」  奥さんと二人で経営しているのは知っているが、ご兄弟の姿は見たことがない。 「いたんだよ、かつて」 「あっ、失礼しました」 「いや、少し君に昔話をしても……」 「オレでよければ」 「作業をしながら聞いてくれ」 ……  私には10歳も年の離れた弟がいた。  やっと授かった第二子だったので両親に甘やかされ、善悪の区別が付かなくなり、高校時代から自由奔放で遊びまくっていた。何度警察に補導されたことか……成長するにつれ悪い遊びを覚えて、女遊びにギャンブルに溺れ、結局「東京に行く」と言って、行方知らずになってしまったんだ。 ……  オーナーの話に出てくる弟さんは、まるでオレのようだ。 「それで、その後は?」 「死んだよ。東京で珍しく雪が降った日に、バイクで転んであっけなくね」 「そうだったのですか」 「薬もやっていたので自業自得だった。誰も巻き添えを食わなくてよかったと思っている。事故現場に散らばっていたのは、煙草だけだった。バラ園の息子に生まれたのに、バラを一度も愛さずに逝ってしまったんだ」  その情景を思い浮かべると、涙が滲んだ。 「だから東京の薔薇など見たくないと反対してしまったんだ」 「そうだったのですか。でもオレ、今の話を聞いて逆に覚悟が決まりました。大都会東京に咲く、純白の清らかな薔薇を探してきます」 「そんな薔薇があるのなら見てみたいな。弟に手向けてやりたい」  オーナーの話は、もしかしたらオレが歩んだかもしれない人生だった。  あのまま改心できなかったら、犯罪に手を染め続けていたのでは?  怖い……  兄さん、怖いよ。  あの事件は、兄さんが身を挺して、オレが堕落していくのを止めてくれたようなものだ。  兄さん……  本当に申し訳ないことをしました。  兄さんがいる方向に向かって頭を下げると、胸元のスマホが鳴った。 「もしもし……」 「潤! 今、大丈夫?」 「あぁ」  気が付くともうオーナーは遠くにいた。  オレひとり『エンジェルズ・ガーデン』に佇んでいた。  兄さんの優しい声が、そよ風にようにささくれた心を癒やしてくれる。 「ん? どうした? 元気ないね」 「あ、いや、何でもない」 「じゅーん。お兄ちゃんには何でも話して」  なんて、なんて、優しい人なんだ。  こんなに優しい人を邪険にしていたなんて、オレは大馬鹿者だ。  昔だったら「いちいち五月蠅い!」と突っぱねていた。  だが今のオレは違う。  兄さんに甘えてしまう。 「あのさ……声が……ちょうど聞きたかった。そしたら電話がかかってきて驚いたんだ」 「そうか……うん、僕も潤の声が聞きたかったよ。それから良い知らせがあるんだ」 「何?」 「先日話していた『エンジェルズガーデン』のことなんだけど、東京の薔薇はもう決まってしまった?」 「いや、まだだ。なかなかイメージに合う薔薇と出逢えなくて」」 「どんなイメージーを抱いているの? この前は漠然としていて掴めなかったけど」  先程のオーナーとの会話で、オレのイメージは固まっていた。 「清らかで慎ましい、それでいて可憐な純白の薔薇がいい」 「潤……それ本当?」 「あぁ、このイメージで揺らがないよ」 「そうなんだ。驚いたな。僕、今、白金の薔薇園にいるんだけど、まさに潤の理想の薔薇が目の前にあるんだ。ちょっと待っていて。あの、この薔薇の写真を撮ってもよろしいですか?」  兄さんが誰かと喋っている。  仕事モードの余所行きの声もいい。  清らかで慎ましい、それでいて可憐な人。  兄さんこそ、オレがイメージする東京の薔薇だ。 「潤、今、画像を送るね」  送られてきた白薔薇の写真に、オレの心がガッツリ掴まれた。 「兄さん……これ、理想だ」 「だよね。僕もそう思ったんだ。この薔薇は東京の白金だけに咲く薔薇なんだけど、将来を見据えて安心できる場所に株分けしたいそうなんだ。潤、引き受けてくれるか」 「喜んで! オレ、頑張るよ」  人生にまた一つ張り合いが出来た! 「潤に任せたい」 「ありがとう! 早速オーナーに話してくる」 「うん」  オレはスマホを片手に『エンジェルズ・ガーデン』の中をゆっくり歩くオーナーの元に駆け寄った。 「オーナー! これです。これがオレの探し求めていた東京の白薔薇です!ええっと、『柊雪』という名前だそうです」  オーナーは雷に打たれたようにその場に立ち尽くした。 「あの、お気に召しませんでしたか」 「あの日……事故現場に駆けつけると、散らばった煙草の上に、雪が積もっていた。雪の花を咲かせて……それから弟の名前は……『柊路(しゅうじ)』だったんだ。大きさや正しさ、重要な地位などを意味する路と柊を合わせた名は……道を踏み外すことなく危険を避けて人生を歩くことができようにと願って亡き両親がつけたんだ。まさか弟の名前が入った薔薇を持ってくるとは……潤、お前はすごいよ」  オレはすごくなんてない。  きっとこれは最初から全て決まっていたことだ。 「すべては巡り合わせ、ご縁だと……オレは思います」 「そうだな、潤を雇ってよかった。これからも、ここで薔薇をしっかり育ててくれ」 「はい!」    

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