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Brand New Day 10

「勇大さん、早く! 早く行かないと」 「さっちゃん、落ち着けって」 「ごめんなさい。飛行機は夜便なのに……でも潤が不安がっているし、いっくんも寂しがっていると思うから、気持ちが急いてしまうの。きゃっ」 「危ない!」  ログハウスの玄関先で躓いて転びそうになると、勇大さんが逞しい腕をさっと回して支えてくれた。  まだ部屋にいたはずなのに、いつの間に駆けつけてくれたの? 「あ、ありがとう」 「ほらほら、焦るとろくな事がないぞ。ひとまず安心出来るニュースが届いたよ」 「えっと、どういう意味?」 「今、電話があってな、みーくんたちが軽井沢に駆けつけたそうだ」 「瑞樹が?」  だって今日は平日よ。どうしてそんなこと出来るの? 「薔薇のフェスタで連休中働いたから、会社からそれぞれ代休をもらえたそうだ。芽生くんも休みで家族で家にいたら、潤から電話がかかってきたそうだ」 「まぁ、そうだったのね」 「君の息子たちは仲良しだから、タイミングが合ったんだな」    少しだけ心苦しかった。  勇大さんには、まだ全部話せていないの。  瑞樹を引き取ってからの日々に起きたことを。 「あのね、二人は昔はとても仲良しとは言えない関係だったの。あの子たちはお互いに馴染めずにいて……勇大さん、ごめんなさい。私の目が行き届かなかったせいで瑞樹は人の顔色ばかり伺って遠慮ばかりする子になってしまったの。あの子、いつも悲しい瞳をしていたわ」  そこまで話すと、涙が滲んでしまった。  泣いてはいけないと顔を上げると、勇大さんに優しく口を塞がれた。  温かい空気が流れ込んできて、心が凪いでいく。 「さっちゃん、それはもう何度も聞いたよ。それより今の二人の話をしよう」 「あ……ありがとう。そうね、そうよね」 「そうだ。ほら深呼吸して」  勇大さんは逞しくて頼もしい。  いつも一人で自問自答していたことに、返事をくれる人。  こんな素敵な人と巡り会えたのは、瑞樹のお陰よ。  瑞樹との縁がなかったら、今の私は寂しく年老いていくだけだったわ。 「さっちゃんにとって、皆、自慢の息子だよな?」 「えぇ、えぇ、そうよ! その通りよ」 「よし、ここは軽井沢はみーくんたちに任せて大丈夫そうだから、俺たちは焦らず行こう。せっかく空港に行くのなら、久しぶりにもう一人の息子に会いにいかないか」 「えぇ、えぇ……広樹に会いたいわ」      車から葉山フラワーショップが見えてくると、遠目にも賑わっているのが分かった。 「勇大さん、待って、ここで少し眺めていても?」 「あぁ、もちろん」  あの人が亡くなってから、手をかける余裕がなく鄙びた花屋は、数年前、宗吾さんの協力もあって、都会的な可愛らしいフラワーショップに生まれ変わったの。  それから花たちも見違えるように生き生きとして、お客さんがひっきりなしになったわ。ほら、今日も若いお母さんが花を買い求めに来ている。  広樹とみっちゃんは自身の子育て経験を生かしてか、子育て中のママを応援する『ママと花ちゃん』という名の『ミニブーケ頒布会』を立ち上げて、それが人気なのよね。  忙しいママに、季節の花で癒やしとエールを送るのがコンセプトだそうよ。  まるで過去の私も応援してくれているようで、嬉しくなるわ。 「あ……広樹よ」 「広樹はすっかり立派な店主になったな」 「そうね、あの子は頑張ってくれたわ。私はあの子がいなかったら挫折していたわ」 「広樹が君を生かしてくれたんだな」  広樹は私達に気付くと、嬉しそうに手を振ってくれた。  亡くなった主人に兄弟の中で一番顔が似ているので、一瞬ドキッとした。 「母さん、お父さん! どうしたんですか」  手を止めて歩み寄ってくれる息子を見上げて、私は幸せだと思った。 「広樹の顔を見に来たのよ」 「……俺? 俺の顔なんて見ても面白くないよ。それより母さん、幸せそうで良かった。安心するよ」    またドキッとする。  まるであの人に言われているような心地になったから。  あの人が、今の私を受け入れてくれている。    そう思えるから。 「それより、どうしたんだ?」 「それがね、潤の所に赤ちゃんが生まれそうなの」 「予定日よりだいぶ早くないか」 「そうなの、来週から行くつもりだったんだけど、破水から始まったみたいで……今、どんな感じかしら?」  そこに瑞樹から連絡が入った。 「瑞樹、あなたがすぐに駆けつけられて良かったわ。菫さんの様子はどうなの?」 「お母さん、さっき無事に生まれました! 潤がお父さんになりましたよ。男の子のパパです」  瑞樹の報告に、一気に高揚したわ。  あの潤が、お父さんになったのね。  お父さんを知らずに育った潤が、お父さんになったのね。 「あの……僕たち、お母さんが来るまでここにいられるので、焦らずに来て下さいね」 「まぁ、瑞樹もお父さんと同じことを言うのね」 「えっと、僕もお父さんの子ですから」  瑞樹が可愛らしく答える。 「まぁ、そうね、そうよね。でも到着はかなり遅くなってしまうわよ」 「実は……今日は潤の家に泊らせてもらいます。僕たち明後日まで休みを取っているので、お母さんゆっくりで大丈夫ですよ」 「そうなのね、じゃあ今日は任せても大丈夫ね」 「はい、任せて下さい」  瑞樹の明るい声に、私の心も一気に明るくなった。  瑞樹は今を生きることを楽しめるようになったのね。  積極的に今の環境を受け入れている姿に感動したわ。  電話を終えると、広樹が心配そうに駆け寄って来た。 「母さん、潤のところ……無事に?」 「えぇ、潤もお父さんになったわ」 「潤がお父さんか……あぁ良かったな……どっちかな?」 「男の子よ」 「そうか、うん……良かった。本当に良かった。あぁ久しぶりに潤に会いたいな。潤の赤ちゃんにも会いたい。だが……店があるから行けないのが残念だ」  広樹……あなたはいつだって年長者だからと我慢ばかりして……そして、私も我慢ばかりさせていたわね。  待って……瑞樹がいてくれるのならチャンスじゃない? 「そうだわ! 広樹がお父さんと一緒に、まず行ってらっしゃいよ」 「えぇ?」 「瑞樹がね、数日滞在できるそうなの。瑞樹がいればいっくんのお世話大丈夫でしょう。私は菫さんが退院してからの方が役に立てると思うの。2日ほどお店番をしているから、お父さんと一緒にいってらっしゃいよ」 「そんなこと……俺には出来ないよ。せっかくだけど遠慮するよ。母さんだって早く孫の顔が見たいだろう」  広樹が全力で遠慮していると、みっちゃんがやってきて、私の考えに同意してくれた。 「ヒロくん、こっちは大丈夫よ。だから行ってきて。お父さんと旅行出来るチャンスだし、私はお母さんと久しぶりにお店に立てるのが嬉しいわ」 「え……そんな。優美もいるのに」 「お母さんがいるから大丈夫よ」  勇大さんも私の気持ちを汲んでくれる。 「広樹、父さんと旅行だと思って付き合え」 「……お父さんと旅行?」 「そうだ、前に約束しただろう?」 「それはそうですが……でも」  もうとっくに成人しているけれども、優美ちゃんにとってお父さんであるけれども、私にとっては大切な息子なの。  広樹だけがずっと我慢して来たわ。  その立ち位置から、解き放ってあげたいの。  私の手で―― 「あなたの大事な弟たちと会って来て。こんな時こそ兄弟の仲を深めて欲しいわ」 「だが……母さん……俺だけ……こんな贅沢をしていいのか」 「広樹、あなたを行かせてあげたいのよ。いってらっしゃい」 「あ、ありがとう。みっちゃんもお母さんもありがとう。お父さん、宜しくお願いします」 「よし、行くぞ。広樹、俺の息子」 「は、はい!」  こうして、広樹は勇大さんと夜の飛行機に乗った。  潤、すぐに駆けつけられなくてごめんね。  でも……今のあなたなら、私の気持ちを分かってくれるわよね。  そう信じられるわ。  それにね、菫さんが赤ちゃんを連れて退院してからが大変なのよ。  女手が必要になるわ。  私の出番はそこからよ。  さぁ、あなたの元に二人のお兄ちゃんが集結するわ。  兄弟、仲良く過ごしてね。  母として出来ることには限りがある。  限りがあるけれども、出来ることがあるのならしてあげたい。    それが親心。    

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