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ムーンライト・セレナーデ 12 (月影寺の夏休み編)
お盆の四日間、菩提寺の僧侶が檀家の家を訪れ読経することを、棚経《たなぎょう》と言う。棚経自体はごく短時間で終わるが、お盆に欠かせない大切な仏事の一つだ。
そんな理由でお盆時期の月影寺は目の回る忙しさで、僕は朝な夕なと流の運転の車で、北鎌倉~鎌倉を移動している。
今日は午前中に5軒、昼食と休憩を挟んで午後は8軒と、かなりのハードスケジュールだ。
棚経の度に、檀家さんに冷茶と和菓子を出していただくので、少しずつ口を付けているとお腹が一杯になってしまう。だから後半は持ち帰らせて頂く。小森くんのお土産になるしね。
「それでは、本日はこれにて失礼致します」
「ありがとうございます。これをお納め下さい」
帰り際に、ずしりと重たい箱を渡された。
箱には、山梨産の特選白桃と書いてある。
「ご住職さまは特に桃がお好きだと聞いたので、特別に手配しました」
「それはそれは……お気遣いありがとうございます。本堂にお供えさせていただきます」
車に乗り込んで、苦笑してしまった。
「流、これで何箱目だろう?」
「今日は妙に被るな」
「幸い今日の月影寺は賑やかだ。きっと皆、喜んでくれるだろう。それにしても、いつ僕が桃が好きだと言ったのかな? 確かに好きではあるけど……」
首を傾げていると、運転席の流が「くくっ」と肩を揺らした。
「悪ぃ、俺が好きだと言ったのが、いつの間にか住職に変換されたようだ」
「呆れたな。まぁ、そんなことだろうと思ったよ」
「俺は桃が大好きだ。ついでに翠が大好きだ! さぁあと2軒だ、頑張ろう」
「うん、今日は終わった後に楽しみが待っているしね」
「あぁ、なんなら夜までフルコースでどうだ? 離れで……」
「だ、駄目だって! 明日もお盆なんだから」
「だよなぁ」
****
潤さんとバトンタッチしてプールから上がると、潤さんの奥さんとバッチリ目があった。
なんか気まずっ――
水着にTシャツを羽織って縁側に座ると、「どうぞ」と麦茶を差し出された。
「ありがとうございます」
参拝客は別として、この寺の内部で女性を見かけることは滅多にないので不思議な気分だ。菫さんはオレの父さんと流さん、丈さんと洋さん、宗吾さんと瑞樹くんのことを、受け入れてくれた人だから、好感は持っている。
父さんの妹みたいな存在なのかな? それとも、おばさんと呼ぶには若すぎるから、オレの姉貴みたいなポジション?
なんとなく気になって、ちらちらと見てしまう。
すると菫さんもオレをじっと見つめていた。
「あの、何か」
「あ、ごめんなさい。あまりにご住職さまにそっくりだから」
「父さん似だって生まれてからずっと言われていますよ」
「ごめんなさい。気に障った?」
「……んーっと、昔はあまり嬉しくなかったけど、今は嬉しいかな」
菫さんに向けて、ふっと微笑んだ途端、菫さんのテンションが変わった。
「やだ! 薙くんってすごくモテるでしょ!」
「え? そう来る?」
「うん、そう来る!」
「ははっ、菫さんって面白いな」
「そうかな? 薙くん、素敵なお父さんで良かったわね。私もさっきお話して、本当に肩の荷が下りたわ。月影寺のご住職さまの癒やしパワーは絶大だわ」
父さんを、そんなに褒めてくれるのか。
前は何も関心が持てなかったことだが、嬉しいもんだな。
「ありがとう。オレの自慢の父さんなんだ」
「お父さんという存在がいるって、やっぱり良いわね。うちの樹もお父さんが出来て大喜びよ」
「いっくんって、メチャクチャかわいいですね!」
「ありがとう。いっくんも薙くんみたいなイケメンになるといいな」
「ははっ、なりますよ」
「わ! ほんと?」
菫さんって案外気さくだな。どう接していいのか去年のキャンプ時はよく分からなかったが、今年はずっと話しやすい。
「あの、オレも赤ちゃんを抱っこしても?」
「もちろんよ。槙もイケメンになるようにエキス分けてもらわないと」
「エキス?」
「ふふっ」
「菫さんって面白いな!」
「ありがとう!」
****
「あー 気持ちいいな」
宗吾さんがプールの中から、青空を押し上げるように大きく伸びをする。
僕はつい宗吾さんの上半身に見惚れてしまった。
筋肉質な身体は、今日も男らしく凜々しい。
丈さんや流さんには申し訳ないけど、この中で宗吾さんが一番凜々しい気がする。それは僕の贔屓目かもしれないが、それでいい。
「瑞樹、そろそろ上がるか」
「そうですね。いっくんも眠たそうですし、芽生くんもずっとはしゃいでいたので、そろそろ休憩させましょう」
「芽生、ほらバスタオルだ」
「いっくん、ふきふきするぞ」
潤と宗吾さんが真っ白なバスタオルを広げると、二人ともそこにピョンっと飛び込んできた。
まるで天使のよう!
水分補給、糖分補給をした後は、お昼寝タイムだ。
いっくんは潤の膝枕でくーくーと可愛い寝息を立て、芽生くんも僕にもたれて、うつらうつらし出した。
「芽生ってさ、いつも眠くなると瑞樹にくっつくよな。無意識の行動なんだろうけど、瑞樹は良い匂いもするし肌当たりが柔らかいもんな」
「そうでしょうか」
体力も体格も宗吾さんには敵わないけれども、芽生くんのオアシスになれて嬉しい。
僕がここにいる意味がある。
「瑞樹……俺にも肩を貸してくれ」
「はい」
僕の両肩に、芽生くんと宗吾さんの重みを感じる。
僕をいつも抱きしめてくれた人と、慕ってくれた人とお別れをした日から、何年が経っただろう。
またこんな風に、僕は人から愛され、人を愛し生きている。
人との交流は素晴らしい。
人の温もりはいい。
心を落ち着かせ、心を満たしてくれる。
やがて日が傾き、月影寺の庭がオレンジ色に包まれていった。
竹林から漏れる木漏れ日が色づくと、胸がトクンと鳴った。
まるで母の胸に抱かれているような優しい時間の到来だ。
人はこれを夕凪の時と呼ぶらしい。
僕は懐かしくあたたかい気持ちになれる場所に辿り着きました。
心の中でそっと報告した。
雲の上の家族へ――
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