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ムーンライト・セレナーデ 16 (月影寺の夏休み編)
「翠、出来たぞ! どうだ! 桃尻お化けの全身着ぐるみだ」
「流石の早業だね。どれどれ?」
渡された桃の着ぐるみを手に取ると、その肌触りの良さに感動した。
「ふむ、凄く柔らかくて滑らかで、触り心地がいいね」
「おぉ、分かってくれたか! これはポリエステル生地を起毛させて短く刈り揃えた桃皮の表面のような風合いの生地で、ピーチスキンという名前だ』
まるでテーラーの職人のような口ぶりに、甘い笑みが漏れてしまう。
僕は相当流に甘いからね。
「早速、試着してくれるか」
「もちろん」
「潔いな」
「僕はね、やると決めたからにはやるよ。エンジェルズに思い出を作ってあげたいから一肌脱ぐ覚悟だよ」
「翠のそういう所、カッコいいな」
余裕の笑みを浮かべてみたが、いざ着ぐるみを着てみると、お尻の部分に違和感を感じた。
「……ん? お尻の部分だけ生地が違うような。それに妙に盛り上がってないか」
「あー 尻の部分は、桃の皮をめくって熟れた白桃をイメージしてみた」
「え!」
「ぷるんぷるんのつるんつるだろ?」
慌てて姿見に映して、驚愕した。
「なんだか……人のお尻みたいだけど?」
「気のせい、気のせい。生尻じゃあるまいし気にすんなって。それにいっくんが喜ぶぞ」
「そ……そうかな」
宗吾さんも壁際で僕達のやりとりを聞いていたらしく、腕を組んで快活に笑っていた。
瑞樹くんが顔を真っ赤にしながら近づいてきた。
「翠さん、完璧です。まさにいっくんが思い浮かべている桃汁お化けですよ」
「もっ、桃汁?」
「あ、桃尻です。すみません。僕……また」
「はははっ、よく熟れてるからなぁ」
どっちも妖しい……
「父さん、オレ、どう?」
そこにノリノリの息子が飛び込んできた。
「みたらしお化け!」
「そう、めちゃくちゃ旨そうじゃね?」
「うん、美味しそうだよ」
「これいいよなー 文化祭の出し物で借りようかな。へへへ、ちびっ子達を驚かすぞー」
「ふふ、薙も楽しそうだね」
「うん、楽しい。夏のイベントを父さんと一緒に出来て嬉しいよ」
「よし、父さんも頑張るよ」
お尻を隠しながら、僕はガッツポーズをした。
「父さんってさ、住職の時とすごいギャップだな。こりゃ流さんが大変だ」
「え?」
流は自分で作っておいて顔を赤く染めていた。
やれやれ……
「流! こらっ! これは肝試しだよ」
「分かってるって、でも桃尻お化けの翠があんまりにも可愛くてさぁ」
ストレートに褒められて、僕の方まで照れ臭い。
一方宗吾さんと瑞樹くんは何やら話合っている。
どうしたのかな?
****
「瑞樹は、これな」
「え? 僕もお化けになるんですか」
「実はさ、可愛い衣装を流に作ってもらったんだ」
宗吾さんに渡されたのは、またもやうさぎの着ぐるみだった。
「この蛍光塗料を塗った月のプラカードを持てば、お月見うぎさだぞ」
「……可愛い衣装ですね」
どうしよう。僕は実はお化け役よりも参加者になりたかったんだ。
何故かというと、いっくんと芽生くんが怪我したり迷子にならないように、そっと見守ってあげたかったから。
でも宗吾さんがせっかく衣装を頼んでくれたのに、流さんがわざわざ僕の分まで作ってくれたのに……断るのは申し訳ない。
とても言い出せないよ。
こういう時、僕はとても優柔不断になってしまう。
いろんな人の気持ちを大切にしたくて……
「……瑞樹、そうはいっても芽生といっくんはまだ小さい。やっぱり君がそっと後ろから見守ってくれるか」
「え? でもせっかく用意して下さった衣装が無駄になってしまいます」
「大丈夫! これは俺が着るよ」
「えぇ?」
「はは、俺が着た方がお化けっぽいだろ? 君が着たら、ただの可愛いうさぎちゃんだ」
宗吾さん……
「瑞樹、なんて顔してんだ? 心配ないよ。全部分かってる」
コツンと額を合わされて、顔を覗かれる。
宗吾さんの頼もしい笑顔に、胸の奥がキュンとする。
「宗吾さん……ありがとうございます!」
僕は背伸びして、宗吾さんを抱きしめた。
翠さんや流さんと薙くんが近くにいたけれども、宗吾さんの気持ちが嬉しくて――
ところが……
可愛く手を繋いで出発したエンジェルズから少し離れて歩き始めると、予想外に暗い道に怖くなってしまった。
しっかりしろ、瑞樹。
自分から買って出たことじゃないか。
いい歳をした大人が、暗闇が怖いなんて情けない。
だが一人きりの暗黒の世界は、僕が幼い頃感じた絶望を彷彿させる。
足が震える。
手が強張る。
呼吸が苦しい。
そこにポンっと背中を叩かれた。
「兄さん、一緒に行こうぜ!」
****
「パパぁ、いってきましゅ。いっくんがんばるねー」
「あぁ、がんばれ! 芽生坊よろしくな」
「うん!」
エンジェルズは探検に行くかのように張り切っていた。
子供は、人生の冒険家なのかもしれない。
暗闇に消えて行く張り切った二人を見送った後、子供達のさりげないサポートをするといって、兄さんが出発した。
「潤、僕が後ろからそっとついていくから大丈夫だよ。潤はここでいっくんたちの帰りを出迎えてあげてね」
「兄さん、ひとりで大丈夫か」
「大丈夫だよ、子供じゃないんだから」
ところが……兄さんの背中をじっと見つめて違和感を感じた。
兄さん、もしかして不安なのでは?
暗闇は嫌いだろう?
ひとりは怖いだろう。
そう思った途端、オレは駆け出していた。
「オレもついていくよ」
「え?」
「兄さんひとりじゃ怖いだろう」
「怖くなんて……」
そんなに我慢するなよ。
怖いなら怖いと言って欲しい。
オレを頼って欲しい。
だから、オレは兄さんの手をギュッと繋いでやった。
小さい頃、自分から振り払ってしまった手を、もう一度。
やり直したかったんだ。ずっと――
「いいから、一緒に行こう!」
「……潤、ありがとう」
兄さんがほっとした表情になった。
あぁ……素直になってくれたんだな。
オレも素直になろう。
お互いに素直になれば、人の心はこんなにも通じやすくなるのか。
兄さん、これからは唯一無二の兄弟として助け合っていこう!
気持ちをこめて、手を握った。
「潤、懐かしいね。ずっと昔……潤とこうやって歩いたことがあったね」
「オレには……兄さんの手を振り払った記憶しかないよ」
「そんなことないよ。幼い頃、潤は僕の手をちゃんと握ってくれたこともあったよ。何も覚えていないの?」
「ごめん……覚えてない」
「そっか、兄さんが覚えているから大丈夫だよ。じゅーん大丈夫だよ」
泣けてくる。
兄さんの優しい口調、優しい言葉が、身に染みて――
兄さんは、そうやって良い思い出だけを心に残してくれるんだな。
ありがとう――
泣きたいほど大事にしたい人。
それがオレの兄さん。
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