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秋陽の中 15
北鎌倉・月影寺
湯上がりに月見台で涼んでいると、流が月を描いたグラスにお酒を、なみなみとついでくれた。
「さぁ月見酒だ」
「流、こんなに飲んだらすぐに酔ってしまうよ」
「たまにはいいだろう。外で乱れても……そのつもりで、そんなしどけない姿でいるくせに」
流の熱い視線がさっと着付けただけの浴衣に絡まって、まだ飲んでいないのに身体が火照ってしまう。
湯上がりのせいだけじゃない。
今、鏡を見たら僕はきっと目元を潤ませているだろう。
ほのかに欲情しているのが、自分でも分かる。
こんな顔は、流にしか見せない。
「翠、とにかく乾杯しようぜ」
「満月に?」
「それもあるが……まずは小森の23歳の誕生日を祝おう」
「そうだね、月影寺の子に幸あれ」
可愛い小坊主の小森くん。
愛くるしい笑顔を想像すると、自然と笑みが零れる。
「あの子がもう23歳になるんて驚きだが、最近急に大人びた気がする。これからの成長が楽しみだ」
姫路に恋人と旅行に行くなんて……
まだまだ子供だと思っていたので、僕の心境は少しだけ複雑だ。
「なぁ流、小森くんは今頃どうしているかな? 恙《つつがな》く過ごせているかな?」
「大丈夫だろう。いろいろ伝授しておいたし」
「えっ、何を?」
「恋のいろはさ~」
「なにそれ? 僕にも教えておくれ」
「翠もしてくれるか」
「流がして欲しいことなら、なんでもしてあげたい」
「翠は俺に甘いな。恋のいろはの『い』は名前呼びだ。いつまでも『かんのくーん』じゃ駄目だろ? 名前で……『良介』と呼ぶのもいいんじゃないかと思って、読経の代わりに唱えさせたおいた」
呆れた。
最近二人でこそこそ籠もって何を修行しているのかと思ったら……
「万が一眠ってしまっても言えるように睡眠学習もした。きっと今頃『むにゃ、むにゃ、りょうすけくーん』とか寝言を言っているぞ」
「だといいねぇ。菅野くんは、きっとそれだけで悶え死にそうになるだろうし」
「それ、想像できる! アイツはいい奴だ」
「彼になら、安心して任せられるよ」
僕も流に『翠』と呼ばれるのが好きだ。
兄さんではなく『翠』と、この先もずっと呼んで欲しい。
「小森も大人の階段を上り、ますます俺たちに近づいてくるな」
「うん、まだまだ子供だと思っていたが……先日お母さんと会えたのが良かったのかもしれないね。何か……解き放たれたような気がする」
僕はコトンと流の胸にもたれた。
「あの日、お母さんは『もう普通じゃなくていい』と小森に伝えていたな。きっと頭では分かっていても、なかなか口に出せなかったのだろう。双方が精神的に成長したからこそ、分かりあえた部分もあるよな」
その通りだ。
僕もずっと長兄として、跡継ぎとして皆を牽引できるように立派であろうと頑張り過ぎてしまった。
素直になって見えてきたものは、揺らがない確かなものだ。
「小森くんは……おそらく今日は興奮して疲れて眠ってしまっただろうが、明日はきっと」
「はは、リアリティがあるな。アイツ、昨日興奮してゴソゴソしてたぞ。夜更け過ぎまで寝付けなかったようだし、今頃あんこの食い過ぎてひっくり返っているだろうな」
「容易く想像できる」
「さぁ、そろそろ俺たちの世界に入ろう」
「ん……」
****
中秋の名月……
あいにく軽井沢の上空は厚い雲に覆われ、月は全く見えなかった。
だがオレとすみれの心は、ずっと明るいままだった。
いっくんがオレたちのために描いてくれた月の絵を見つめながら、眠りにつくことにした。
「パパ、あのねぇ」
「ん? どうしたいっくん?」
「あのね、あちたも、おはよういえてうれちい」
「いっくん……」
可愛いクリクリな目で布団の中から、じっとオレを見つめてくれる。
「パパもだよ」
「うん、あとねぇ、パパといっちょにおつきさまみるのも、うれちいの」
「あぁ、パパもだよ」
「あとね、あとね、だっこちゃんも、おいかけっこも、おふろであそぶのも、ぜーんぶうれちい」
いっくんがオレの手にスリスリと頬を寄せてきたので、そのままだっこしてあげた。こんなにも小さな子供が全力でオレに懐き、オレを好きと言ってくれる。こんなに幸せなことはない。
愛される喜びと大切にされる喜びを、オレにも教えてくれてありがとう。
「パパ、ずーっとさがしてた。いっくんせのびしてたんだよぅ」
「ぐすっ」
隣で静かに会話を聞いていたすみれが涙ぐむ。
「いっくん、良かったね。見つかって」
「えへへ、ママもパパもだいしゅき。いつもいっしょになかよくしてね」
「するわ。いっくんも一緒に仲良くしようね」
「ママもよかったね」
「いっくんもね」
オレなんかと思っていたあの頃、こんなにも誰かに必要とされる日がくるなんて思いもしなかった。
「さぁ、もう寝よう」
「パパぁ~ さむいよぅ。だっこちゃんしてぇ」
「あぁ、おいで。いっくんはパパとママの宝物だ」
こんな歯が浮くような台詞、昔だったら死んでも言えなかった。
だが今は、愛の言葉は惜しまない。
この子がどんな思いで、ずっとひとりぼっちでパパを待っていたか、探していたかを考えれば、もっともっと届けたい。
いっくんが本当に好きだ。
可愛いオレの息子だ。
巡り会えて、託してもらえて、本当に良かった。
中秋の名月は、お空のパパにも見えるだろうか。
あなたの息子の描いた月は、円満の月。
あなたに届く程、この子を大切にします。
夜空の月にも星にも誓いたい。
****
結局あのまま俺もぐっすり眠ってしまい、盛大に寝坊してしまった。
10時過ぎに、慌ててチェックアウトした。
俺たちは再びスーツ姿になっていた。
今日の神戸デートは、葉山と宗吾さんが考えてくれた『ロマンチックまっしぐら神戸、で、行き先は天国』だ。
あれ? こんなタイトルだったかな?
とにかく睡眠はばっちり取ったし、気合いが入るな。
駅までの道中、風太が申し訳なさそうに謝ってきた。
「菅野くん、昨日は寝落ちてごめんなさい」
「いや、幸せな夜だったよ、寝言も可愛かったしな」
「あ! あれは寝言ではありませんよ。ええっと、りょ、りょ、りょーすけくん、行きましょうか」
「ふ、風太、今なんて?」
二人でギクシャクロボットみたいに歩いて、真っ赤になって、笑いあって……
「あの時、起きていたのか」
「ええっと、起きていたような眠っていたような。目を開けられず、ごめんなさい。実は沢山練習をしたのです。流さんはスパルタでしたよぅ。でも僕が呼んでみたかったのです。だって僕たち、いつまでもこのままじゃ……そろそろ前進したいです。僕はもう普通を守らなくてもよいのですから」
「風太……」
「さぁ良介くん、行きましょう」
「あ! 待ってくれ、昨日ちゃんと言えなかったが、お誕生日おめでとう!」
「ありがとうございます。昨日はあんこに夢中でしたが、今日は菅野くん……じゃなくて、良介くんに夢中になりますよぅ!」
ズキュン――
23歳になった風太が眩しすぎる。
「あ、あんこ休憩もちゃんと取るから、そのままのテンションで夜まで頼む」
「はい! あんこちゃん、あん、あん、あんこちゃん~ 23歳になっても、僕はやっぱりあんこちゃんが大好きのようです」
「そうでなくちゃ! 風太はずっとあんこ好きでいいからな!」
「はい! あ、でも僕の一番は良介くんですよぅ」
「風太ぁ!」
足取り軽く、いざ神戸へ!
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