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秋色日和 10

 いっくんを保育園に迎えに行くと、既に帰り支度をして門の前に立っていた。  ん? あんなに背伸びして、どうしたんだろう?  キョロキョロ心配そうに辺りを見渡す様子に、胸が切なくなるよ。  俺は少し離れた場所から大袈裟にブンブン手を振って、いっくんを呼んだ。 「おーい、いっくん! パパはこっちだよ」  手を広げると、オレの胸に飛び込んでくれる。  あぁ、待ち遠しかったよ。  この温もりに会いたかったよ。 「パパぁー あいたかったぁ」 「オレも会いたかったよ」 「えへへ、パパぁ、だいしゅきだよ」 「オレもだ」  門の前で繰り広げられる父と子のラブラブな儀式を、ここでは誰も笑わない。  どんなにいっくんがパパを待っていたか、探していたのかを、皆知っている人たちばかりだから。  暖かい眼差しだけが届くんだ。  いっくんの影響を受けたのか、他の子供達も迎えにきた親御さんにしがみつく。 「ママぁ、ずっと、あいたかった」 「まぁ! うんうん、ママもよ」  忙しかったから、疲れていているから……  そんな言葉はいくらでも話せるのに、一番大切な言葉を言い忘れてしまうのはもったいないよな。  子供が親の手元にいるのは、長い人生を振り返れば短い期間なんだ。  まだ三つ、四つ、五つ……ここにいるのは、皆小さな子供ばかり。  だからこそ、優しい言葉で愛情を伝えたいな。  瑞樹兄さんからもらった優しさの種を、かつてのオレは枯らしてしまった。  枯らすだけでなく、その土壌もめちゃくちゃにしてしまった。  だからこそ、もう二度と繰り返したくない。  優しい言葉は、優しい心を生む。  そして優しさを育む。  帰り道、紅葉した小径をいっくんと手を繋いで歩いた。 「すっかり暗いな。紅葉した葉の色が見えなくて残念だ」 「ううん、いっくんにはわかるよ。ちゃんとここにしまってあるの」  いっくんは小さな手で自分の胸を押さえてニコッと微笑む。 「覚えているのか」 「うん、あさとおったときにみたから」 「そうか、すごいな、じゃあこれいらないか」  ポケットから赤い紅葉の葉っぱを取り出して渡すと、いっくんが瞳をうるうるさせた。 「パパぁ、これ、いっくんにおみやげ? これもらっていいのぉ?」 「ん? 道端に落ちていたものだよ?」 「うれちい、おみやげ、これがおみやげなんだ」 「そうか、そんなに喜んでくれるのか」 「パパぁ……あのね、うんどうかいにはきてくれる?」 「もちろんだ」 「よかったぁ」  去年はすみれの具合が悪くなってドタバタだったから、今年はその分もみんなでしっかり見に行くよ。 「あのね、ママとまきくんもいっしょ?」 「もちろんだよ。皆でいっくんの応援に行く予定だよ。そうだ、今年は何に出るんだ?」 「あ! たいへん、たいへん、いっくん、おちえてもらわないと」 「ん?」 「パパぁ、おじーちゃんにおでんわしてぇ」  いっくんが走り出すので、オレも一緒に走った。  こんなに可愛い息子と一緒に帰れる喜びを噛みしめて。 ****  さっちゃんと早めに夕食を食べ、レコードを聴きながら珈琲を飲んでいると、電話がかかってきた。  軽井沢からだ。 「もしもし」 「もちもち、おじーいちゃん!」  舌っ足らずの可愛い声は、いっくんだ。  俺の3番目の息子の長男だ。 「どうした?」 「あのね、あのね」 「うん?」 「くましゃんのあるきかたをおしえてくだしゃい」 「んん?」 「いっくんね、うんどうかいで、どうぶつあるききょうそうにでるの」 「あぁ、なるほど、くまか。そうだな」  後ろから潤の声がする。 「お父さん、動画に切り替えて下さい」 「おぉ、ちょっと待ってろ」  両手の平を床につけて、膝を軽く曲げてお尻を上げた。 「のっしのっし」と言いながら熊のマネをして歩くと電話口の向こうから、拍手が聞こえた。 「おじいちゃん、ありがとう。いっくんがんばるね。あのね……」 「なんだい?」 「おじいちゃんも……んーん、ダメダメ なんでもないよぅ」  言葉を濁すいじらしさよ。 「いっくん、おじいちゃんもそっちに見に行っていいかい?」 「え……いいの? きてくれるの? おじいちゃんもおばあちゃんも?」 「あぁ、そろそろいっくんに会いたいと思っていたんだ」 「うれちい、うれちいよ、いっくんもね、あいたいよ!」  会いたいと言ってもらえる喜び。  会いに行ける喜び。  俺たちの日常は、いつも感謝で満ちている。  その晩、久しぶりに大樹さんの夢を見た。 …… 「熊田、俺と行こう!」 「大樹さん……でも、大樹さんはもうご結婚もされたし、俺が行ったら邪魔ですよ」 「んなことない。澄子だって熊田のことはよく知っているし、それに俺がそうしたいんだよ。お前とは深い縁を感じるんだ。だからいつでも会える場所にいろ」 ……  大樹さんは祖父を亡くし一人ぼっちになった俺に、家族を作ってくれた人だ。  家庭の輪の中に入れてくれた人だ。  会いたいですよ、大樹さん…… 「勇大さん、どうしたの?」 「さっちゃん、ごめん、起こしたか」 「ううん、あなたにはとても会いたい人がいるのね」 「大樹さんとは、またいつか会えるさ。今は会いたいと電話をくれた可愛い孫の所に飛んでいきたい気分だ」 「私もよ。今年も運動会を見に行けるのね」 「もちろんだ。行けるうちは毎年行きたいな。子供の成長は早いからな」 ****  お風呂から上がって寛いでいると、電話が鳴った。 「もちもち、みーくんでしゅか」 「あ、いっくん?」 「しょう! あのね、あのね」  可愛い声に、笑みが漏れる。  舌っ足らずないっくんの声が、幸せを呼ぶ鈴の音のように聞こえるよ。 「瑞樹ぃ、誰からだ」 「あ、いっくんですよ。スピーカーにしますね」  いっくんの元気な声が部屋中に響いた。 「いっくんね。うさぎしゃんになるの。だからみーくん、おしえてくだしゃい」 「え? うさぎさん? どうして僕なのかな?」 「だってぇ、そーくんがね、みーくんはほんとはうさぎしゃんなんだっていってたの。かわいいかわいいうさぎしゃんだって」  ひぇ!  宗吾さん、何を言うんですか。  僕は真っ赤になってしまった。 「兄さん、運動会の種目なんだ。ほら動物歩き競争だよ」 「あぁ……なるほど」 「兄さん悪いけど動画で見せてくれよ」  ちゃっかり潤が頼んでくる。  可愛いいっくんの頼みだ、断れないよ。 「分かった。やってみるよ」  宗吾さんが、うさぎの着ぐるみをいそいそと持ってくる。 「ほれ、これを着た方が、よりうさぎさんっぽいぞー」 「宗吾さん!」  やれやれ、僕はハロウィンを前にうさぎの着ぐるみ姿になり、部屋をぴょんぴょん跳ねることに。  両手を頭の上に持ってきてウサギの耳を作り、足を閉じたまま立って、「ぴょんぴょん」と言いながら、両足飛びで前に進んだ。 「瑞樹ぃー それ、かわいすぎ! やべー 鼻血もん!」  動画を撮る宗吾さんが一番はしゃいでいた。

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