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秋色日和 20

「宗吾、瑞樹、こっちだ」    兄さんが案内してくれた場所は、本当に最前列だった。  100メートル走の最後のカーブの手前か。ここから写真を撮ったら、いい絵になるな。 「どうだ? ここでいいか」 「憲吾さん、実は……僕もこの辺りがいいと思っていたんです」 「おぅ、そうか、そうか、瑞樹とはやっぱり気が合うな」  おいおい兄さん、瑞樹相手にデレ過ぎだろ?  瑞樹は俺の恋人だぞ! 「光栄です」  瑞樹は可憐な微笑みを浮かべ、優しい眼差しで兄さんを見上げている。    甘い甘い天使スマイルが眩しいぜ。    だが、それは……判官や弁護士で人間の汚い部分に触れることが多い兄さんには、効き過ぎるー!  って、俺、実の兄になんでこんな嫉妬を? 「宗吾、座るぞ」 「おぅ! あれ? そういえば母さんは?」 「さっき到着したから祖父母観覧席に案内しておいたよ。ほら、あそこだ」  兄さん、抜かりないな。  それは俺の専売特許だったのに。  だが同じ血を感じ、ニヤリと笑ってしまった。  この位置からはテントの中に座る母さんの様子もばっちりだ。  兄さん、流石だな。  計算しつくした結果なんだろうな。 「宗吾、母さんが手を振ってるぞ」 「そうごぉぉぉー」  母さんがブンブン手を振っている。  おいおい、そのかけ声ヤメロ!   少女みたいな顔をして、ここは昭和のアイドルのコンサートかよ? 「はは、なんで俺の名を叫ぶんだ? 兄さん、母さんって年々若返ってないか」 「あぁ……コホン、若いエキスを吸う吸血鬼かもな」 「え?」    ポカンとしてしまった。  兄さんの口から出たとは思えん台詞だ。    うーむ、会話のセンスにどう反応したらいいか困惑していると、隣で瑞樹が小さく拍手をしていた。  なんで拍手? 「憲吾さん素敵です。会話にウィットがありますね。流石ですね」 「お、おぉ、そうか……実は昨日から考えていたんだ」  ぎょえー! そこは事実でも言うなって!  こっちが赤面するぜ。  だが瑞樹は俺とは真逆の反応を見せていた。  流石、俺の天使だ。 「そうなんですね。だからなんですね。すごく良かったです。あの……憲吾さんって広樹兄さんと似ている部分があって落ち着きます」  確かに広樹もそういう所あるよな。  用心深いというか、生真面目というか。  なんか憎めない。  兄さんは優秀過ぎて遠い存在だった。だから心の中まで覗こうとしなかったのが、今更ながら悔やまれるよ。  本当は結構お茶目で不器用な人だったのか。 「兄さん、ところで、その緑のジャージはどうした? 高校や中学のジャージじゃないよな。妙に真新しいような……まさか新品とか?」 「これか! これはだな……コホン……実は今日のために新調したんだ」 「えぇ! それ、わざわざ買ったのか。そんなの売ってる場所イマドキあんのか」  どう見ても昭和レトロ、いやマジで昭和の売れ残りなのかも。 「なかなかいいだろう。馴染みがある昭和スタイルだから落ち着くよ。あちこち探し回ったが売ってなくて困ったよ」  ひぇ、ざわざ探し回ったのか!   「そりゃそうだろう。そんな時代の忘れ物のようなジャージどこで買ったんだ」 「あぁ、鵠沼海岸に出張した時、商店街に吊る下がっていた。軒先にはらくだ色のパンツもあって懐かしかったが、流石にあれは穿かない」 「はははっ、あの辺りの商店街は昭和からの店があるもんな。じゃあ、それ、本当に昭和の頃のジャージなんだな」 「ふっ、掘り出し物だ」  ピチピチのジャージで胸を張る兄さんが、少し誇らしかった。  さっきから繰り広げらている会話を、瑞樹がいつも通り嬉しそうに見守ってくれている。  うんうんと頷いて、とても楽しそうだ。  そうか、これが家族のスタイルなのかもな。  話し手がいれば、聞き手もいる。  和やかな輪は、そうやって出来ている。  円が滑らかな曲線を描けるのは、優しい気持ちが寄り添っているから。 **** 「おじーちゃん、おばーちゃん」 「なんだい?」 「なあに?」  いっくんがふたりにくっついて、ニコニコ笑顔。 「えへへ、よんだだけでしゅ。よんでみたくてぇ」 「そうか、そうか、いっくん、今日は楽しませてもらうよ」 「いっくんにおやつを沢山もってきたわよ」 「え……おやつ?」  いっくんがまたまた目を見開いて、両手を口にあてて固まった。今日何度目だ? 「どうした?」 「ほんとに……いっくんのおやつ、あるの?」 「そうよ」 「あのね、みんなのぶんもある?」 「あるわよ、みんなで輪になって食べようね」 「わぁ……それ、やってみたかったの。うれちい、うれちいよ。いっくん、がんばるね。ずっとみててね。ずっとだよ」 「うんうん」  やがてアナウンスが入った。  いよいよ、どんぐり保育園の運動会が始まる。  行進の列、いっくんの一生懸命な顔に泣きそうだ。  オレは写真を撮るお父さんにくっついて立っていた。 「潤、いっくん、いい表情だな」 「ありがとうございます。お父さん、いっくんはオレの大切な息子なんです」 「そうだな。誰が見ても潤がお父さんだって気付くだろうな」 「え?」  いっくんは行進の最中にオレを見つけたようだ。  大きな声がグラウンドに響いた。 「パパぁ、パパぁ、いっくんをみていてね」    恥ずかしがり屋で小さな声のいっくんが、こんなに声を出せるなんて驚きだ。 「おぅー! パパはここだ。ずっといるぞ!」  みんながオレの方を振り向いたので、帽子を取ってしっかりお辞儀をした。 「樹の父です。よろしくお願いします!」  去年の運動会はこんなこと言える余裕がなかった。  でも今なら……心を込めて挨拶をした。  すると自然と拍手が湧く。  受け入れてもらえた…… 「潤。よかったな。最高にかっこ良かったぞ! 潤は俺の大切な息子、自慢の息子だ」  お父さんに肩を組まれて、嬉し涙。  いっくんが言っていた、あたたかい涙ってこのことなんだな。

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