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冬から春へ 4
「葉山、今日はもう上がれるのか」
「うん、今日はいつもより早く帰れそうだよ。菅野は?」
「よーし、じゃあ久しぶりに途中まで一緒に帰ろうぜ。俺もこれを資材置き場に戻したら帰れるからさ」
「うん、じゃあ1階のロビーで待っているよ」
菅野を待ちながら、スマホを確認した。
宗吾さんからのメッセージに、思わず口角が上がる。
……
瑞樹、今日は俺も早く上がれそうだ。
改札で待ち合わせして、芽生を一緒に迎えに行こうぜ!
瑞樹、早く会いたいよ。
……
返事を打とうとしたら、画面に時事ニュースのテロップが流れてきた。
ん? また火事なのか。最近多いな。
最初は気に止めなかったが……
『午後4時過ぎ、軽井沢駅からほど近い古い2階建てアパートの1階から火の手が上がり、あっという間に全焼しました。被害状況は確認中です』という内容に、真っ青になった。
軽井沢駅近くのアパート?
ま、まさか……
潤に慌てて電話をするが、繋がらない。
この時間だと潤は仕事中で、まだ家には帰っていない。
でも育休中の菫さんと槙くんが家にいる。
真っ青になって震えていると、菅野がやってきた。
「どうした? 瑞樹ちゃん、顔色が急に悪くなったな」
「あ……」
以前のように何もなかったかのように取り繕うことは出来なかった。
相手が心を許した心友だからなのか……僕は菅野に縋った。
「ど、どうしよう? 潤たちが……」
「どうした? 何があった?」
「この火事のニュースの詳細を知りたいんだ」
「……軽井沢のアパート火災か。ちょっと待ってろ」
菅野が検索して調べてくれた火災が起きたアパートの住所と写真に、僕はいよいよ真っ青になった。
「どうしよう? 潤が電話に出ないんだ! 家族の安否が分からないんだ。ここは潤のアパートだ。僕の大事な弟の……」
「瑞樹ちゃん、落ち着け。大丈夫、大丈夫だ。怪我人の情報は流れていない」
動揺する僕を、菅野が必死に励ましてくれた。
……
「あぶー あぶー」
「あらあら、まき、お腹が空いたのね。ちょっと待ってね」
「えーん、えーん」
「くすっ、あなたは食いしん坊くんね。いっくんが赤ちゃんの時と真逆で」
お鍋でコトコトと離乳食を作りながら携帯を確認すると、潤くんから連絡が入っていた。
……
仕事が早く終わったので、早めにいっくんのお迎えが出来るよ。
明日はいっくんの誕生日だから、欲しいものを聞き出してくる。
早くすみれに会いたい!
……
「ふふっ」
思わず口角が上がってしまう。
潤くんってば。
私、大事にしてもらっているのね。
元気で溌剌と頼もしい潤くんに、私は毎日恋している。
二児の母になっても、こんなにダンナさんにときめくなんて思いもしなかった。美樹くんが逝ってしまった時、もう二度と恋愛は出来ないと思ったのに不思議。
でもね、美樹くんへの愛が消えたわけではないの。
どちらも……私にとって大切な人よ。
「美樹くん、いつもありがとう。私たちを守ってくれて」
私はそっと囁いて、彼の位牌を見つめた。
美樹くんの仏壇はここにはないけれども、小さなお位牌は棚の上にあるの。
彼の両親は、自分たちの家に立派な仏壇を用意したので、必死に頼み込んで位牌分けしてもらったの。
それが、これよ。潤くんが初めて我が家に来た時、そっと手を合わせてくれたのを見て泣きそうになったわ。
美樹くんとの馴れ初め……
まだ潤くんには、ちゃんと話せてないの。
先日ようやく名前を伝えられたばかりで……
こんな不甲斐ない私を潤くんは丸ごと、包み込んでくれる。
本当に寛大で優しい人。
私が長野のデザイン専門学校生だった時、彼は地元の国立大学の医大生だったの。長野で開催された国際的なスポーツ祭典のボランテイアを通して知り合い、故郷が同じ松本で意気投合して、あっという間に恋に落ちたの。
まだ医学生だった彼と、大恋愛の末に駆け落ち同然の結婚をした私は、彼の両親からよく思われていなかった。もっと家柄の良いお嬢さんとお見合いさせるつもりだったから。
紆余曲折いろいろあったわ。和解出来たらと努力している最中に、彼はお医者様になる前に、癌でこの世を去ってしまった。
癌が見つかってから、本当にあっという間の出来事だったわ。
現実を受け止められない彼の両親から、私は『息子を不幸にした女』だとレッテルを貼られ、彼に似たいっくんも疫病神の血を引いているからと、見向きもされなかったの。
私も母となり息子を若くして失う辛さは理解出来る。だから責められなかった。私にあたることで深い哀しみを癒やせるのなら、それでもいいと甘んじて受け入れたの。
でも……本当に、皆、無情だった。
自分の親兄弟すら……残された私といっくんに関わって来なかった。
そんな境遇でもなんとか頑張れたのは、美樹くんが天国から応援してくれていたから。
彼の最期の言葉が忘れられないわ。
『天国の大きな樹になって静かに見守っているから、地上で笑顔で暮らして欲しい。もう一度幸せになってくれ』
美樹くん、私……幸せになっていいのよね。
地上で……潤くんと……
すると急に廊下が騒がしくなり、勢いよく玄関が開いた。
「菫! 槙、無事か!」
無事って?
私はきょとんと返事をした。
「潤くん、どうしたの? 騒がしいけど……あら、いっくんはどこ?」
そこからはあっという間の出来事だった。
今、私は燃え上がるアパートを見つめ、呆然としている。
すべて……何もかも消えてしまうの?
ボロボロの狭い一室だったけれども、美樹くんとの思い出が詰まった場所だったわ。
もしも火事に気づかず逃げ遅れていたら、どうなっていたの?
潤くんが今日早めに帰って来てくれなかったら、どうなっていたの?
ブルブルと足下が震えて、立っていられない。
槙を抱っこしたまま蹲ってしまった。
するといっくんが……
「ママ、だいじょうぶだよ。パパとおそらのパパがまもってくれるよ。いっくんにはふたりのパパがいるんだから、ぜったい、だいじょうぶ」
「いっくん」
弱々しかった小さな赤ちゃんが、こんなに力強い台詞で私を励まし守ってくれるなんて――
それでも潤くんが燃え上がるアパートに戻ってしまった時は、恐怖だった。
潤くんに何かあったら、どうしたらいいの。
「待って、待って! 私を置いていかないで!」
「ママ、パパはぜったいにもどってくるよ。しんじよう!」
「いっくん……」
いっくんが賢明に私を励ましてくれる。
「ママ、しんじよう!」
何度も何度も、幼い子供から生きる力を分けてもらった。
潤くんは私たちの所に必ず戻ってくる。
私も信じよう!
やがて煤だらけになった潤くんが無事に戻って来て、私を思いっきり抱きしめてくれた。
「すみれ、待たせたな」
「うん……うん……潤くん……良かった」
もうこれで充分だわ。
家財はどうとでもなる。
思い出は、心にちゃんとしまったわ。
でも一つだけ心残りがあるの。
美樹くんのお位牌。
さっきまで見つめていたのに、とっさにあなたを連れて来られなくて、ごめんなさい。
心の中で懺悔していると、目の前に差し出されて驚いた。
嬉しくて、有り難くて……
私はまた潤くんを好きになる!
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