1610 / 1740

冬から春へ 8

 1時間ほど運転した所で交通情報に『チェーン規制』が出た。 「雪か……次のサービスエリアのチェーン着脱所に寄ろう」 「はい」  瑞樹はまだどこか不安げで、いつもの元気がなかった。  サービスエリアのパーキングに駐車すると、瑞樹が俯いたまま声を小さな声を出した。 「あの……その前に、もう一度だけ、潤にかけてみます。何度も……すみません……」 「謝ることはない。そうしたいのなら、そうしたらいい。」  潤は無事だと信じたい気持ちと、もしかしたらと不安に苛まれる気持ちをいったりきたりしているようだ。  膝の上でギュッと握ったままの手に、手を重ね、温もりを届けてやった。   「大丈夫だよ」  しかし……ここまでかけて電話に出ないということは、スマホを持って逃げられなかった可能性が高いな。  だとしたら、お手上げだ。  こちらからは、何度かけても繋がらない。  潤からの連絡を待つしか無い。  困ったことになったぞ。  人間、気が動転すると、大切なことが抜け落ちてしまう。  それから、先日たまたまテレビで特集していたが、今時、自分以外のスマホの電話番号を覚えている人は少ないそうだ。  もしかして潤も思い出せないのか。  かけたくてもかけられない状況に陥っているのか。  そんな時は実家の固定電話に電話をしたらいいそうだ。  潤だって、流石にそれは覚えているだろう?  だが……それすらもぶっ飛んでしまっているのかもな。  潤の気持ちも分かる。  きっと今頃、家族を守るために駆け回って息を切らせているんだろうな。  今頃、大きな翼になって家族を暖めているのだ。  潤は頼もしい父親になったから、俺には信じられる。  潤は生きている。  もう瑞樹を悲しませるようなことは二度としない。  瑞樹がもう一度電話をかけるが、やはり繋がらない。  悲壮な表情を浮かべる瑞樹を抱きしめてやった。  人目なんて気にしている場合じゃない。  君を励ますのが、俺の役目だから。 「……宗吾さん……怖いです」 「瑞樹、深呼吸しろ、信じよう! 俺たちが信じないで、どうする?」 「はい……宗吾さんと一緒に信じます」  唇をかすめるような、瞬きをする間の短いキスをした。 「さぁ、行こう」 「はい」  すると瑞樹の携帯が鳴った。 「潤か」 「いえ……見知らぬ番号です。どうしたら?」 「出てみよう」  きっと……  この電話は吉報だ。  そんな予感がした。 「もしもし……葉山ですが」  じわじわと瑞樹の美しい瞳が潤んでいく。  あぁ……潤、ちゃんと生きていてくれたんだな。 「じゅーん、じゅーん、心配したよ。無事でよかった」  よくかけてくれた。  無事で良かったです。 「すぐにそこに行くよ。もう僕は宗吾さんと途中まで来ているんだ。お兄ちゃんが潤たちの手助けをするから、待っていて!」  瑞樹の表情がガラリと変わった。    もうさっきまでの悲壮感はない。 「お父さんと広樹兄さんも心配していると思う。まずは僕から無事を知らせておくから、潤は家族を守って」  機敏に動き出す様子が、美しいと思った。  ひたむきな君が好きだよ。 「よし、瑞樹、函館と大沼に知らせろ。俺は潤たちのとりあえずの避難先を手配するよ」 「はい!」  この寒空に野宿というわけにはいかないし、避難所では小さな赤ん坊もいるし気を遣うだろう。 「ありがとうございます……あの……松本観光さんのホテルはどうでしょう?」 「俺もそう思った」  事情を話して、急遽ホテルの客室を二部屋押さえてもらった。  俺たちも今日は帰れないだろう。    いや帰りたくないからな。  瑞樹の仕事は菅野くんがカバーしてくれるだろうし、俺も明日は珍しくテレワークなので、なんとかなるだろう。 「すぐに装着しますから」  瑞樹は俊敏にタイヤにチェーンをつけた。 「流石だな」 「宗吾さん、ここからは僕が運転します」 「そうだな、雪が積もっている場所もあるし、俺はチェーンをつけた車の運転に不慣れだ。もう大丈夫そうか」 「はい、潤が待っています」  華奢な身体の優しい男だが、こういう時の君は凜々しいお兄ちゃんだな。  月影寺の翠さんを思い出すよ。  さぁ、行こう。  瑞樹の大切な家族の元へ、駆けつけよう。

ともだちにシェアしよう!