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冬から春へ 35

「いってらっしゃい」 「行ってくるよ」 「行ってきます」  仕事に行く宗吾さんと瑞樹くんを見送ると、あたたかい気持ちになった。  くすっ、なんだか一度にお兄ちゃんと弟が出来た気分だわ。  頼もしくて明るく格好いいお兄ちゃんと、少し内気で恥ずかしがり屋の可愛い弟。    どちらも憧れていた存在だわ。  私には実の兄がいるけれども、宗吾さんとは真逆で小さい頃から威張って横柄な態度で正直……苦手なの。  そんな兄なのに、外面が良く成績も県内でトップクラスだったから、両親は昔から出来の良い兄を猫可愛がりし、兄の肩ばかり持つのが幼心に寂しかった。  兄は綺麗な女性と結婚し、実家近くに豪邸を建てて暮らしているわ。  だから実家は、余程のことがない限り頼りたくない場所なの。  昔からずっと疎外感を感じていた。  美樹くんとの結婚は反対はされなかったけれども、本当に何もしてもらえなかった。両親が健在なのに寂しい現実だったわ。  悲しい物思いに耽っていると、冷たくなった手を小さな手が包んでくれた。  小さく可愛い手の持ち主は、美樹くんが残してくれたいっくん。  潤くんが大好きないっくんだわ。 「ママぁ、いっくんね、おようふくないの。どうちよ? パジャマでおでかけできないよね?」 「大丈夫、ちゃんとあるわよ」 「ほんと? でも……ぜんぶもえちゃったんでしょ?」 「いっくんがおねんねしている間にね、芽生くんのお洋服のお下がりを沢山もらったのよ」 「えー! みちて」 「こっちよ」  いっくん、また赤ちゃんっぽい喋り方に戻ってしまったのね。  でも、いいのよ。  まだそのままでいてね。  今はきっと、そうすることで自分を守っているのよね。  このお家にいる間は、いっぱい皆に甘えてね。  あなたを助けてくれる手はいっぱいあるからね。  ママもね、もう一人じゃないの。    潤くんがくれた家族に甘えられるの。  だからもう我慢しなくていいからね。  あの頃のように……  リビングのソファには、カラフルなお洋服が並んでいた。 「わぁ、しゅごい! これぜんぶいいの?」 「いいのよ。うれしいわね」  オレンジ色のダッフルコート  赤のアウター  黄色のTシャツ  青いズボン  見ているだけで、元気が出る色だわ!  明るくて可愛い芽生くんが着ていた様子が目に浮かぶよう。  今までいただいたお下がりは何故かモノトーンばかりだったので、可愛いワッペンをつけたりと工夫が必要だったけれども、これならすぐに着られるわ。 「きてもいいの? ほんとうにいいの?」 「いいのよ。ぜんぶいっくんのよ」 「わぁ……ママ、いっくんのすきなおいろばっかりだよぅ」 「うんうん」  オレンジ、黄色、青  まるでクレヨンのような明るい色。  いっくんが大好きな色。  いっくんは昔から、明るい色を好んだ。  いつもお絵描きはカラフルで、寂しさを吹き飛ばすものだった。    私を元気づけようと、無意識のうちに選んでいたのかもしれないわね。 「ママ、みてぇ」 「いっくんてば」  いっくんはパンツ一丁でダッフルコートを羽織っていた。 「えへへ、おようふくはママきせてぇ」 「くすっ、いいわよ」 可愛いお強請り。  甘えることは悪い事じゃないのよね。  私はずっと人に頼れなかったけれども、潤くんと出会って甘えることで築ける信頼関係や愛情があることを知ったわ。  だから辛いことがあったら、甘えて欲しい。 「いっくん、お洋服を着たらママとお出かけしようね」 「わーい、ママとふたりで……あっ、ごめんなしゃい。まきくんのことわすれたんじゃないよ…………ごめんなしゃい」  いっくんが震えている。  いっくんだって、たまにはママを独り占めしたいわよね。 「いいのよ、ママも今日はいっくんと二人でお出かけしたいな。そうだ、早速甘えてみようかな」 「いいの?」 「いいのよ。宗吾さんのご実家に電話してみるわね」  槙をいつでも預かると言ってもらっていたので電話するけれども、早速過ぎるかしら? でも槙を人混みに連れて行くのは可哀想だし、私も銀座は久しぶりだから……槙を連れて行く自信がないわ。  電話をすると快く預かってもらえることになり、30分も経たないうちに美智さんがすぐに迎えに来てくれた。 「わぁ、潤くんのミニチュアみたいね。かわいい。男の子はどんな感じかしら? 私に預けてくれるなんて嬉しいわ」と言ってくれたので、罪悪感が薄まった。 「宜しくお願いします」 「義母もいるし大丈夫よ。いっくんとデート楽しんでね」 「ありがとうございます」  いっくんとデート。  その言葉にまた心がぽかぽかになる。  言葉って不思議。  使い方によって全然違う。  優しい言葉、思いやりのある言葉は魔法ね。  心がぽかぽかになる魔法だわ。 「いっくん、行こうか」 「ママといっしょ、うれちいなぁ」  満面の笑みのいっくんに安堵した。  ママと楽しい思い出を作ろうね。 ****  会社に着くなり、今すぐ取引先へ向かうように言われた。  人使いの荒い会社だなと苦笑しつつ、仕方が無いと受け入れるのはサラリーマンの宿命かもな。  広告代理店の営業マンと言えば聞こえはいいが、毎日全力疾走でヘトヘトだ。昨日休んだつけが回ってくる。  銀座の交差点。  外国人で多く賑わっている。 「He is a knockout!」 「 見て、あの人綺麗」  ざわつく言葉の向こうの瑞樹を捉えた。  大きなミモザの花を抱えた瑞樹が、背筋を伸ばして立っていた。  以前もこんな光景があったな。  紫陽花もいいが、ミモザもいい。  瑞樹はいつも穏やかで優しい雰囲気なので中性的だが、仕事モードの君は凜々しくかっこいいよ。  ぐっと男らしい姿に見蕩れるぜ。  瑞樹はミモザに視線が集まっていると思っているようだが、みんな君を見ているんだよ。  それを教えてやりたくて、瑞樹に歩み寄った。  今日は行き先は違うが、戻ってくる場所は同じだ。  信じ合う心があれば、自由にそれぞれの世界を闊歩できる!   

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