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特別番外編 瑞樹31歳の誕生日②

 31年前 大沼 「澄子、頑張ったな。お疲れ様。そして、ありがとう」 「大樹さん、私の言った通りだったでしょう」 「あぁ、君は予言者みたいだな」 「くすっ、ね、赤ちゃんに会わせて」 「あぁ、すぐに連れてくるよ」  澄子は自宅出産を選んだ。 ……  大樹さん、私は自分自身から湧き上がる生む力と赤ちゃんが持つ生まれる力を感じながら、自由な体勢で産みたいの。この緑の切り妻屋根の我が家で、いつも通りの生活の中で、自然な流れで、赤ちゃんを迎えたいの。大樹さんと一緒に頑張って産みたいの。 ……  幸い妊娠は模範生のように順調でリスクが低く、自分の体をセルフケア出来、産後家事サポートの協力が得られるという点で助産師さんから合格点をもらえ、無事に自宅出産に踏み切れた。  夜明けと共に陣痛が始まり、すぐに助産師さんが駆けつけてくれた。  俺も出産には立ち会った。    澄子の背中を擦り、必死に励ました。  人が人を産む力に直面し、感動で一杯だった。  生命の誕生の神秘に心が震えた。 「熊田、瑞樹は?」  ベビーベッドに眠る瑞樹を見守っていた熊田が血相を変えて飛んで来た。 「大樹さん、大樹さん、大変です。あれからずっと眠ったままで……」 「馬鹿、赤ん坊は眠って当然だ」 「あ……それも、そうですよね。いやぁ、あまりに小さくてオロオロしますね」  俺はようやく北海道の自然風景と動物を写すカメラマンとして軌道に乗っていた。山小屋で出会った熊田はそんな俺の助手をずっとしてくれている。  熊田は名前通り熊のようにデカい図体で頼もしい男だが、心優しく、俺たちの家族の一員として一緒に暮らしている。 「よしよし、瑞樹、ママが会いたがっているぞ」  ところが抱き上げた途端に大泣きで、俺もオロオロとした。熊田の気持ちも分かるな。泣かれると滅法弱い。だが澄子の胸に抱かれれば安心した様子ですやすやと眠りだす。なるほど、母親には適わないな。 「みーくん、私がママよ、はじめまして」 「みーくん、俺がパパだ。パパだぞ。おい、熊田もこっちへ来い」 「え? 俺もですか」 「当たり前だ」 「あ、ハイ」 「ほら、挨拶を」 「お、俺はパパでもママでもなくて……えっと」  熊田が困っていると、澄子が口を開いた。 「熊田さんは『森のくまさん』でいいんじゃないかしら」 「じゃあ、森のくまさんで……」  部屋には、ほのかにスズランの香りがした。    とても爽やかな朝だった。 ****  明け方、幸せな夢を見て目覚めた。    カレンダーを見つめると、今日は5月2日。    31年前の今日、みーくんがこの世に生まれた日だ。    俺に『森のくまさん』とあだ名を付けてくれた澄子さんは、もうこの世にいないが、沢山の幸せを今も雲の上から降り注いでくれている。  爽やかな五月。  大沼にも春がやってきて、大地が一気に目覚めていく。  散策路には緑が戻り、大地を彩る花が咲く。  俺はこの世に残って大樹さんと澄子さんが心から大切にしていた息子を、守っていきます。  遠くから守って、必要なら駆けつけて、支えていきます。  みーくんだけではない。  函館の店を切り盛りしている広樹も、軽井沢の新しい家で再出発した潤も同じだ。 「あら、勇大さん、起きたの?」 「さっちゃんは早起きだな」 「今日は瑞樹の誕生日でしょう。なんとなくそわそわして……私たち用にドーナッツを作っていたのよ」 「だから、いい匂いが立ちこめているのか」 「あとは珈琲の香りがあると嬉しいわ」 「いいね。今淹れるよ。そうだ、さっちゃん、俺たちの店の名前を思いついたんだ」  さっちゃんは嬉しそうに微笑んでくれた。 「ぜひ教えて欲しいわ」 「ありきたりかもしれないが、『森のくまさんカフェ』はどうだ?」 「まぁ! 素敵! とっても覚えやすくて私の大好きな勇大さんっぽいわ」 「そ、そうか! さっちゃん、今のもう一度言ってくれないか」 「勇大さんっぽいわ」 「いや、その前を」 「まぁ……恥ずかしいわ」 「頼む」 「私の大好きな勇大さん」 「ありがとう」  こんなにぽかぽかな朝を迎えられるのも、この世にみーくんが生まれてくれたからだ。  みーくんの幸せは俺の幸せだ。 「さぁ、私たちも大沼から瑞樹の誕生日をお祝いしましょう」 **** 「瑞樹、朝ご飯にしようぜ」 「あ、準備しますね」 「いや、今日の君はバースデーボーイだから、座っていろ」 「そうだよ。お兄ちゃんはここにすわっていてね」 「えっと、じゃあ顔を洗って着替えてこようかな?」 「そうだな、この後すぐに出掛けるから準備をしてくれ」 「はい」  行き先はどこだろう?    楽しみが沢山隠れているようで、ワクワクしてきた。  幸せ探し、宝探しのような1日になりそうだ。  幸せな夢を見て目覚め、夢の続きのような幸せな時が流れている。  顔を洗うと、鏡の中の僕と目が合った。  「あっ……」  自然と口角が上がっていることに気付いた。柔らかい表情を浮かべていた。  26歳で宗吾さんと芽生くんと出会ってから、もう5年も経つのか。    この5年で僕は変わった。天国の両親と弟と、しっかり向き合えるようになり、対話できるようにもなった。  そして……  幸せになろう。    前向きに生きるようになった。    心にお日様が当たっているように明るくなった。 「幸せだな、瑞樹」  そう自分に話しかけて、宗吾さんと芽生くんの元に戻ると、  黒いエプロン姿の宗吾さんとオレンジ色のエプロン姿の芽生くんが、楽しそうにキッチンに立っていた。  くすっ、芽生くんも一人前だね。  お手伝い上手だ。  パジャマのボタンも上手に止められなかった君が……こんなに大きくなって……君の成長をずっと見守っていくよ。  二人と目が合うと、こっちこっちと手招きされたので、僕も輪に加わった。 「瑞樹、なんと、今日の朝食はくまさんブレンドの珈琲とお母さんのお手製ドーナッツだ」 「え……いつの間に?」 「昨日、君が仕事に行っている間に冷凍便で届いたんだ」 「驚きました」 「きっと今頃函館でも同じ珈琲とドーナッツを食べてお祝いしているだろうな」  目を閉じれば素直に浮かぶ。  大沼の光景が――  すずらんの香りに誘われて―― 「あ……そうだと思います。嬉しいな。お父さんとお母さんからのプレゼント」 「よかったな」 「幸せです」  

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