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特別番外編 瑞樹31歳の誕生日⑦

「母さん、我が家は明るくなりましたね。私は瑞樹のあの……はにかむような可愛らしい笑顔を見ると心が洗われます。だから彼にはもっともっと幸せなって欲しいと願っています」 「憲吾、本当にそうね。ここに集った誰もが、あなたと同じ気持ちよ。そして憲吾も明るくなったわ。あなたも、もっともっと笑ってね。母さん、見たいわ」 「母さん」  母さんに優しく見つめられて、猛烈に照れ臭くなった。  母の愛情を、私は今たっぷりと浴びている。  瑞樹と出会う前には、こんな会話は絶対に出来なかった。  明るくポジティブな母と生真面目でネガティブな私は、正直そう気が合う方ではなかった。  母も宗吾の方が気が合うようで、私は父と相性が良かった。  そう決めつけて、母には必要最低限の事しか話さなくなったのは、いつからだろう?  私はいつも自分の物差しで人をガチガチに測っていた。  物差しは人間なら誰もが持っているものだが、私の物差しはmm単位のメモリのついた物差しで、相手が少しでもずれるとイライラした。 「……母さん、私は学問だけでなく、人に対して細かすぎましたね。相手は生きている人なのに……それを忘れていました」 「あら、細かいのは悪いことでもないわよ?」 「ですが……私の物差しはmm単位よりもっと緻密で……これでは駄目だと思うのに、なかなかその物差しを捨てられません」  不思議なことに、今日の私は素直に母に相談出来る。   「ふふっ、憲吾らしいたとえね。知っていた? 人って実は物差しをいくつも持てるのよ。だから自分の物差しを増やして、相手に合わせて使い分けてみると、案外上手く行くんじゃないかしら?」  なんと! そんな大きな考えは私にはなかった。  人の話に耳を傾けよとは、このことか。 「憲吾には憲吾の良さがあるのよ。だから何もかも捨てなくていいのよ。ねっ」 「母さん……ですが……」  母は寛容で優しく暖かい人だ。 「私は……実はおにぎりを定規で測ってしまいました。私の握った物はカチカチで不味そうではありませんでしたか」 「あらまぁ、憲吾らしいことを。ふふっ、何を言い出すのかと思ったら、いいじゃない。正三角形のおにぎり見事だったわよ。それにお米なんだから尖っていても、誰も傷つかないわ」  そんな話をしていると、瑞樹が私の前に来てくれた。 「瑞樹、どうした?」  手には私が握ったおにぎりを持っている。 「憲吾さん、これ……」  初めてにしては綺麗な正三角形に握れたが、妙に整い過ぎて味気ないと思った。  急に申し訳ない気持ちになった。  やっぱり私には愛情を込めて握るなんて到底無理なのだ。 「すまない。尖っていて食べづらいだろう」 「え? いや、とても綺麗なおにぎりですね。憲吾さんらしくて好きです」  意外な答えに、瑞樹をじっと見つめた。 「僕はこんなに綺麗には握れないので感動しました。憲吾さんの手は魔法のようですね。お気持ちがしっかり隅々まで籠もっているのが伝わってきます」  瑞樹は私の前で、それはそれは美味しそうに正三角形の固く握ったおにぎりを食べてくれた。 「とても美味しいです。あっ、具がちょうど真ん中に入っています。具の分量と白米の分量のバランスも最高です」  確かに具が中央に来るように気を遣ったし、白米と具の比率も綿密に計算した。    やり過ぎだと自分でも思ったが、これはもう性分なので止められなかった。  美智は暖かく見守ってくれたが…… 「憲吾さんはとても器用なんですね」 「あ……ありがとう」  瑞樹の可憐な笑顔を間近で見られて、気分が上がる。  純真な君だから、私の心もどんどん解けていく。 「また作って下さいね」 「もちろんだ。また食べてくれ」 「はい!」    瑞樹がニコッと微笑んでくれると、清涼な風が吹き抜ける。  爽やかな風は、頑なだった心をどんどん開放してくれる。 **** 「お兄ちゃん、サッカーしようよ! いっしょにあそぼー!」 「うん、いいよ」 「うん!」 「よーし!」  食後、芽生くんと一緒に芝生を思いっきり駆け抜けた。身体全体で五月の爽やかな風を感じると、芽生くんの先に夏樹の背中が見えた気がした。  夏樹と遊ぶ日々はもう二度とないと思ったけども、ちゃんと、ここに続いていたんだね。  事故の夜、寂しくて怖くて、病院の白いシーツの上で眠ることも出来ず、膝を抱えてガタガタと震えていた僕に教えてあげたい。  大丈夫、大丈夫。  君は一人じゃない。  もうすぐ函館のお母さんと会えるよ。    お兄さんと弟も出来るよ。  ひとりぼっちではないよ。  君はまた幸せな誕生日を迎えられるよ。  だから寂しさを越えて、悲しみを抜けて、恐怖を捨てて、前へ進もう。     ****  帰りの車中。  瑞樹は助手席でこくりこくりと船を漕いでいた。  後部座席のチャイルドシートに座る芽生も同じ状態に陥っていた。  二人とも遊び疲れたのだろう。  今日の君は、童心に返ったように芽生と走り回っていたからな。  アウトドア形式のバースデーパーティーを気に入ってもらえて良かった。  瑞樹と一緒になってから、俺は相手の気持ちを汲むことを学んでいる。  今までは自分一人で考えた企画が一番だと、自信満々に突き進んでいたが、今年は違った。  瑞樹に、和やかで幸せな誕生日の時間をプレゼントしたくなった。  だから函館のお父さんとお母さん、広樹、潤、にリサーチしたよ。  俺の実家にも協力してもらい、瑞樹らしさを大切に企画した。  穏やかな寝顔が楽しい時間だったことを物語っているようで、嬉しくなる。 「あ……宗吾さん、すみません……僕、眠ってしまって」 「いや、大丈夫だ。遊び疲れただろう」 「はい、つい、子供みたいにはしゃいでしまいました」 「いい感じだったぞ。11歳の瑞樹にも会えたか」 「はい! あの日の続きのような幸せな誕生日で夢のようでした。あの……これは現実なんですよね?」 「現実だ。今、瑞樹は31歳になって、俺と芽生と幸せに暮らしている」 「もうあれから20年以上も経ったのですね。僕はいい大人になりましたね。あ、あの……もう少し眠っても?」  瑞樹がはにかむように微笑む。 「ん? まだ眠いのか」 「その……今日は夜が長そうなので……はっ! 僕、何を言って」 「くくく、今日は最後までしてくれるんだもんな。ごちそうさん!」 「も、もう!」  家に帰ろう、俺たちの家に――  そして、ひとつになろう。 「今晩、君を抱いてもいいか」 「あ、はい」  コクンと頷いてくれた。  耳朶まで染めて初心な反応を。  何度抱いても爽やかで可憐な君が愛しくてたまらないよ。    

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