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冬から春へ 58

 いっくんね、ママのつくってくれたおべんとう、たべるのがもったいなくて……だいじに、ゆっくり、ゆっくりたべたの。  そしたらね、おやすみじかんになっちゃったの。 「ねぇまだ? おそいよぅ。 もういいよ。ほかのことあそんでくる」 「えっ」 「わたしもー」 「あっ」  まってまって。    せっかくおともだちできそうだったのに、またひとりぼっちになっちゃった。    しょんぼりしていたら、せんせいがきてくれたよ。  でもね…… 「あら、樹くん可愛いおべんとうね」 「うん! ママがつくってくれたの」 「でもこんなに残して……好き嫌いしちゃ駄目よ。せっかくママが作ってくれたお弁当なんだから」 「えっ」  いっくん、これ、きらいじゃないよ。  ぜんぶ、だいこうぶつだよ。  いっくん、でも、うまくいえない。 「さぁ、頑張って食べちゃおうね」 「……うん」  おべんとうだけじゃなくて、みんな、なんでも、しゅごくはやいの。  どんどんまわりでうごくから、めがまわって、くるくるしちゃった。  どうちよ?  ママのおべんと、ぜんぶたべられないよ。    どうちよ。  ないちゃ、だめ。  ママがかなしむもん。  でも……いっくん、なんかきもちわるくて、もうたべられないよ。  それに、すごく……ねむくなちゃった。  いっくん、だめだめだよ。  くすん―― ****  あ、もう、いっくんをお迎えに行く時間だわ。  槙は結局全然お昼寝してくれなくて、身体が休まらなかったわ。  子育て中のお母さんの時間って、本当に分刻みで細切れね。  でも……  今の私、きらいじゃない。  大切な子供にしたいことが沢山あって、してあげる時間があるのよ。  でも、少し不安だわ。  いっくんは大喜びで張り切って幼稚園に行ったけれども、本当に大丈夫だったかしら?  お友達と仲良く遊べた?  お弁当は全部食べられた?  都会のマンモス幼稚園は、いっくんが0歳児からお世話になっている保育園とは桁が違うわ。勝手も違うわよね。  私も今日送った時、1学年4クラスもあると知って驚いたわ。  そもそも、いっくんは幼稚園に通うこと自体初めてだから、適応できたか心配だわ。  いっくん、大丈夫?  駄目ね、考え出すと心配なことばかり。  世の中のお母さんたちも、初めて子供を幼稚園に預ける時、こんな気持ちなのかしら。  保育園は仕事のために、どうしても預けないとならない場所だった。  でも今日は、少し違う気持ちが芽生えていた。  早く会いたいな。  いっくんの笑顔見たいな。  槙を憲吾さんのお家から借りたベビーカーに乗せて、幼稚園にお迎えに行くと、賑やかな園児の中に、いっくんだけがいなかった。  私は真っ青になって、いっくんを探したの。 「いっくん、いっくん、どこ? どこなの?」  すると先生がすぐに駆け寄ってくれて、教えてくれた。 「さっきお母さんに連絡をしたのですが、連絡先の固定電話に出られなかったので……実はいつきくん、がんばりすぎてお昼の後、少しだけ戻してしまって」 「え?」 「でも吐いたらすっきりしたみたいで元気ですのでご安心を。今、保健室にいますので」 「はい!」  いっくん、いっくん、きっとがんばりすぎちゃったのね。  慌てて保健室に行くと、いっくんがお布団の中で丸まっていた。 「いっくん、ママよ。もう大丈夫よ」 「ママ……? ママなの?」 「そうよ。お迎えにきたのよ」 「……いっくん……わるいこなのにきてくれたの」 「まぁ、どうしてわるいこなの? ママの天使なのに」 「だって……いっくん、しっぱいばかり……せいふくもよごしちゃったし、おべんとうものこしちゃった」 「大丈夫よ。いきなり幼稚園なんて、びっくりすることばかりだったでしょう」  お布団の中の小さな背中を撫でながら、優しく話してあげた。  背中がぷるぷると震えていた。 「いっくん、だっこしてあげる」 「でも、まきくんがいるから」 「槙は今ベビーカーで寝てるわ。ママ、いっくんだっこしたいな」 「ほんと?」 「ママぁ、ママぁ、あいたかったよぅ。ぐすっ」 「ママもよ」  いっくんは、鼻水と涙でぐちゃぐちゃな顔をしていた。  でも天使みたいに可愛いお顔だった。 「もう帰ろうか」 「うん、かえりたいよぅ。でもね、あした、またここにきたいの。だってぇ、おともだちできそうだったんだもん」 「そうね、少しずつ慣れていこうね。ゆっくりゆっくりって言ったでしょう。そうしましょう」 「うん!」    帰り道、いっくんはすっきりした顔をしていた。  体操服に着替えていたけれども、うれしそうに笑ってくれた。 「ママぁ、おべんとうね、もったいなくて、ゆっくりゆっくりたべていたら……そうしたら、おひるやすみになっちゃって、みんないそがしそうでおめめまわっちゃったの」 「まぁ、また作ってあげるから大丈夫よ。あしたは給食だけど、木曜日はまたお弁当よ」 「わぁ、また……つくってもらえるの?」  いっくんが小さな手を口にあてて、目を見開いている。 「もちろんよ。だから安心して食べてね」 「よかったぁ」  眠そうな目を擦りながら、がんばって歩くいっくん。  この子のこと、もっともっと見守ってあげたい。  軽井沢に戻ったら、私も私の夢を叶えるために、一歩進んでみよう。  休日出勤が多いアウトレットショップに復帰ではなく、自分のお店を持つ方向で頑張ってみたい。  大きな大きな夢が膨らんできたわ。  潤くんに話したい、私の夢―― **** 「お? 瑞樹ちゃんが弁当なんて久しぶりだな」 「うん、すみれさんのお手製弁当なんだ」 「あ、そうか、今こっちにいるのか」 「うん、弟から託された大事な人たちなんだ。今日はいっくんが幼稚園に行くから、僕の分も作ってくれたんだよ」 「そうか、そうか、よかったな。お姉さんの愛情弁当だな」 「そうなんだ。そんな気分だよ。菅野、ありがとう」  僕が弁当の包みを開くと、菅野が身を乗り出してきた。 「おぉ、すごい‼ デコ弁か」 「可愛いよね。いっくんとお揃いだよ」 「こういう弁当って母さんを思い出して懐かしいな……って、ごめん」 「いや、僕も幼稚園の時に作ってもらったんだ。食が細くて……母が工夫して」 「そうか、じゃあ、いい思い出があるんだな」 「うん、それを思い出したよ。四つ葉って、こうやって作るんだね」 「菫さんは手先が器用なんだな」 「そうだね、お裁縫も得意だし」  菅野と一緒に和気藹々を昼食を取った。  いっくん、幼稚園どうだったかな?  最初はうまくいかなくても焦らないで。  ゆっくりゆっくり慣れていけばいいんだよ。  母に教えてもらった言葉、帰宅したら伝えてあげよう。    

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