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冬から春へ 60

 最近仕事がハードだな。  俺だけ遅くなってしまった。    だが疲れた顔は見せたくない。  玄関前で息を整えて、元気良く帰宅した。 「ただいま!」  すると、廊下からパタパタと足音が聞こえる。 「パパ! おかえりなさい」  風呂上がりの芽生が弾ける笑顔で迎えてくれた。  俺によく似た顔立ちの溌剌とした息子の可愛い笑顔に、今日も癒やされる。    玲子が芽生を置いていなくなった時は、正直途方に暮れてしまったが、俺の手元にいてくれて、毎日成長を見守れることに、今となっては感謝している。  次は瑞樹かと思いきや、女性の声がした。 「宗吾さん、お帰りなさい!」 「菫さん、今日は弁当ごちそうさん! 可愛い弁当に部署の女子たちが感動していたよ」 「わぁ、嬉しいです」  菫さんの明るい顔色にも安堵した。  すっかり我が家に溶け込んでくれて、良かった。    ここへ呼び寄せた時は、非常時とはいえ男所帯に女性を招き入れて大丈夫だろうかと心配もした。居づらくはないかと案じたが、今は瑞樹のお姉さんというポジションで、落ち着いている。  実際に瑞樹もすっかりす菫さんを「お姉ちゃん」として位置づけ、いつになく寛いだ話し方になっている。  母さんはよく「瑞樹みたいな息子が欲しかったのよ」と言うが、菫さんからも、きっと間もなく「瑞樹くんみたいな弟が欲しかったのよ」という台詞が聞こえそうだ。  ところで、いつもなら玄関まで出迎えてくれる瑞樹がいないのが、気がかりだった。同時にいっくんがいないことも、気になった。    風呂じゃないよな?  脱衣場の電気は消えていたし…… 「瑞樹といっくんは?」 「今ね、子供部屋で二人でお喋りしているんですよ」  えっ! まさか、いっくんに問題が起きたのか。  俺と兄さんで幼稚園を探して通えるようにしたが、もしかして幼稚園が合わなかったのでは?  また俺は……勝手に強引に事を進めて……まずいことしたか。  一人焦っていると、菫さんにお礼を言われた。 「宗吾さん、樹が幼稚園に通える機会を作って下さって、ありがとうございました。樹も私も幸せで一杯なんですよ」 「いや……俺は迷惑なことをしたのでは?」 「迷惑? とんでもないです。ずっと憧れていた幼稚園ママになれたし、いっくんも世界が広がって、社会性を学んでいます」 「そうか、良かった。俺、細かいケアは苦手で、すまん」 「くすっ、宗吾さんと瑞樹くんって本当に最高ですね。お互い補いあって素敵なカップルですね」  俺たちの関係を手放しに褒められて、猛烈に照れ臭くなった。 「いや、その……あー なんて言えばいいんだ。こんな時」  すると一部始終を聞いていた芽生が、教えてくれた。 「パパ、かっこつけなくていいんだよ! こういう時はね、ただ素直に『ありがとう』って言えばいいんだよ!」  参ったな。本当に芽生の言葉は最高だ。  俺だけで育てていたら、こんなに優しく逞しく明るく成長させてあげられなかった。  いつも、ずっと瑞樹が寄り添ってくれたお陰だ。    瑞樹の優しさ、思いやりの深さが滋養となり、こんなにも天真爛漫に育って……君には感謝の言葉しか浮かばないよ。 「ありがとう! 菫さん!」 「うふふ、さぁ、そろそろ瑞樹くんを迎えにいってあげて下さい」 「了解!」  子供部屋を控えめにノックした。 「はい?」 「瑞樹、入ってもいいか」 「あっ、宗吾さん……帰られたのですね。中へどうぞ」  部屋に入ると瑞樹の腕に中で、いっくんが丸まって、すやすやと寝息を立てていた。 「寝ちゃったのか」 「はい」 「安心した顔しているな」 「そう見えますか」 「あぁ、君の腕の中は居心地がいいからな」 「そうだといいです」  瑞樹がはにかむような笑顔で、俺を見つめてきた。 「寒くないか」 「あ……少し」  俺は瑞樹の肩を優しく抱いてやった。  瑞樹の優しさは、いっくんにも届いている。  優しさを受けた人は、人に優しくなれる。    俺たちは、この先も、こんな風に日常の中で愛情を育てていこう。  俺ももっと相手の気持ちを推し量れる人になりたい。  相手の言葉に耳を傾け、心に寄り添い、慈しんでいこう。  不思議だな。  瑞樹といる時の俺の心はどこまでも柔らかく、柔軟だ。 「宗吾さんお仕事お疲れ様です」 「家族が待っていてくれるから、頑張れるよ」 「はい、僕も同じです。あの……振り向けばいつも宗吾さんがいてくれるのって、すごいことです。僕は安心して、僕らしく生きていけます」 「俺こそ、瑞樹の柔軟な優しさに、いつも潤いをもらってる。芽生も俺も、瑞樹と出会ってから成長できたよ」 「僕がこんな風に、いっくんの心を落ち着かせてあげられるようになったのは……宗吾さんと芽生くんのお陰です。僕の過去を残酷な過去として葬るのではなく……受け入れ、寄り添い、一緒に思い出の旅にも出てくれて……だから僕は自分の過去に向き合え、幼い頃の記憶も蘇り、いっくんの気持ちに寄り添うことが出来るのです」  瑞樹という男は、本当にピュアで瑞々しい。  彼の丁寧で優しい生き方を、俺は一番近くで応援する男でありたい。  ずっとずっと傍にいる。 ****  翌朝、いっくんは笑顔で幼稚園に向かった。  玄関で見送ってあげると、天使のようにふんわりと微笑んでくれた。 「みーくん、いっくん、たのしんでくるね」 「うん、大丈夫だよ。ゆっくりゆっくり馴染んでいこう!」 「うん! いっくんにはみんながついているから、だいじょうぶ。いっくん、いってきまーす! ママぁ、ママぁ、いこう!」 「いっくん、ちょっと待って」 「うん、いっくんまってるよ。ママといっしょがすきだから」  あぁ……この光景が愛おしい。  まるで、幼い僕を見ているようだ。  あの日の僕も、こんな風に、翌朝には、また笑顔で幼稚園に向かった。  少しずつ、少しずつ、乗り越えていけばいい。  無理せず、いっくんのペースでいいんだよ。  母の声が、また聞こえる。 「瑞樹は瑞樹なのよ。ゆっくり、少しずつ、みーくんのペースで進めばいいのよ」  優しい声のリフレイン――  僕の心も動き出す。

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