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マイ・リトル・スター 6
北海道の牛乳普及協会のアンテナショップが、東京の自由が丘という場所にあり、俺は生産者の代表として選ばれ、単身で上京した。
東京は初めてなので、ここまで辿り着くのに苦労した。
なんでこんなに人が多いんだ?
鉄道がどんだけ走ってんだ?
うぉぉー 初日からヘトヘトだぞ。
だが都心の消費者に北海道の牛乳の良さを知ってもらうために、生産者のリアルな声を伝えて来いとのお達しだ。
がんばろう!
そんな理由で意気揚々とやってきたが、今日は平日ということもあり、二階のレストランはガラガラだった。
「せっかくはるばる生産者の方にいらして頂いたのに、やることがなくてすみません」
「いや、やることがないなら、作ればいいさ」
「そうですね。何をしましょう?」
「そうだな、あのさ、この焼きナポリタンのチーズの量、しょぼくないか」
「あ……確かに」
「せっかくだからチーズで見えなくなる程、どっさりのせないか」
「どっさりですね、確かに……いつもチーズの提供が店舗に余ってしまって」
「せっかくなんだ。もっとチーズを前面に出そうぜ」
「いいですね。私もパンチが足りない気がしていました」
アンテナショップで出し惜しみしては駄目だ。
伝えたいことはストレートに直球勝負でいこう。
そういえば、こんなやりとりが昔あったな。
小学校に、控えめで優しい性格の、可愛い顔をした同級生がいた。
彼はいつだって相手の気持ちに寄り添ってくれるので、皆、彼のことが大好きだった。
悲しい気持ち、悔しい気持ち、全部、彼が静かに解決してくれた。
俺も彼に気持ちの向きを変えてもらった一人だった。
俺の家は代々酪農家で、俺は一人っ子で生まれながらに将来の道は決まっていた。だが、なかなか牛が好きになれなかった。
早朝、叩き起こされて牧場の仕事を手伝うことや1年中休みなく働く環境に反抗心が芽生えて、ある日、学校で同級生に八つ当たりしてしまった。
今思えば反抗期の始まりだったのか。
同級生と言い争いをしてしまった。
どう考えても俺が一方的に癇癪を起こしたものだったので、膝を抱えて後悔していると、同級生がすっと横に座ってくれた。
そして、一呼吸置いてから、静かに優しく話しかけてくれた。
「どうしたの?」
俺はその優しさにすら反発して暴言を吐いてしまった。
「牧場の仕事なんて大っきらいだ。牛なんてきらいだ。乳搾りなんてくそくらえだ」
「……そうなんだね。君は牛乳は好き?」
「そりゃ、好きだけど」
「僕も好きだよ。弟も大好きだよ。この前、お父さんが教えてくれたんだ。僕たちは子牛のために作られた母乳を飲んでいるんだって。それって牛の命をいただいているということなんだよね。だから……牛さんをきらいになれないよね。あ、ごめんね。僕……えらそうに」
「いや……そうか……俺は何を苛立っていたのかな? 牛に悪いことをしたよ」
「将来を考えていてすごいよ。僕なんて、まだ何も……」
「やることがないなら、作ればいいんだよ」
「そうか……」
「なんて、えらそうにごめん」
「とんでもないよ」
自分の感情を持て余していた俺にとって、穏やかな心の持ち主の同級生の言葉はとても心地よかった。
「今度、僕も乳搾りのお手伝いしてもいい?」
「もちんさ、いつだって、いつまでもOKさ」
「わぁ、うれしいよ。ありがとう」
俺が落ち込むたびに、いつもいつも優しく励ましてくれたのに……
彼の家族が、彼だけを残して全員事故で亡くなったと聞いた時、俺は何もしてやれなかった。
親たちは喪服を着て葬式に行ったが、俺は行けなかった。
彼を励ます言葉が見つからなくて、一歩も動けなかった。
ごめん。ごめんな。
彼は小学校に再び現れることなくそのまま消えてしまったが、俺たちの胸の奥には、彼からもらった優しい言葉が残っていた。
青果店の大久保も、後に彼の家をペンションとして引き継いだセイも、そして牧場で働く俺の心にも、いつだって彼からもらった優しさが留まっていた。
彼が蒔いてくれた幸せの種を芽吹かせていくのが、俺たちに出来ることだと気付いたのは、大人になってからだ。
そんな別れをした俺たちだったから、数年前、セイのペンションで再会した時は感動したよ。
あー やっぱりちゃんと連絡先を聞いておけばよかったな。
せっかく東京に来たのだから、一目会いたかった。
今度は俺から会いに行きたかった。
優しい君に――
牧場の牛乳を棚に並べていると、ウェイトレスの女の子が頬を赤くして戻って来た。
厨房の料理人も女性で、話が盛り上がっている。
「どうしたの?」
「今、すごく美形な人がレストランにいて、ドキドキしちゃいましたぁ!」
「おひとりで?」
「あ、いえ、可愛い男の子とカッコいいパパさんとハートフルな雰囲気でしたよ」
「それって、どういう関係かしらね」
「それって、人それぞれですよね」
「確かに」
そんな会話を耳にして、また同級生を思い出した。
セイの家で二度目に会った時、彼にも連れがいた。
俺たちよりずっと年上の男性と可愛い坊や。
はっきり聞いたわけではないが、彼らとの関係は……
いや、そんなことはどうでもいい。
同級生は幸せそうに微笑んでいた。
とても居心地がよい場所を見つけたようだ。
今度は、俺たちが彼を幸せにする番だ。
そのために出来ることはなんだろうな。
そんなことを考えていると、気持ちがどんどん晴れていった。
だからウェイトレスが騒ぐお客様にも、牧場の牛乳を振る舞いたくなった。
「そうだ、この牛乳をお客様に無料で提供してください」
「よろしいのですか」
「もちろん。試飲ということで」
「きっと喜ばれますよ」
するとウェイトレスがまた興奮した顔で戻って来た。
「あのあの、牛乳の生産者の方に会いたそうだったので、今すぐ連れてきますって言っちゃいました~」
「え? お、おい、ちょっと待てって」
待てよ。
顔出しするつもりじゃなかったのに、グイグイ引っ張られてしまって、しどろもどろだ。
店内に入ると、若い男性が俺を見た。
「あ!」
「えっ……」
「木下! やっぱりこの牛乳は木下牧場のだったんだね」
「そういう瑞樹こそ、どうしてここに? それに、おぉぉ……宗吾さんと芽生くんじゃないか。いやー宗吾さんは相変わらずカッコいいですね!」
思わず宗吾さんに抱きつこうとすると、瑞樹が何故かグイグイと間に入ってきた。
あれ? こんなこと前にもあったような?
「瑞樹、偶然だな」
「うん、驚いたよ」
「会うべくして会ったんだな、君たちは」
宗吾さんが俺と瑞樹の肩を叩いてくれる。
明朗快活な人なんだな。
いい感じだ。
大人しく控えめだった瑞樹に、今はこんなに心強いパートナーがついているって、いいな。
安心するぜ。
「お兄ちゃん、大沼のお友達にあえてよかったね」
そしてこんなにも可愛く慕ってくれる息子がいる。
ほっこりするな。
「うん、うん、驚いたよ。大沼のことを考えていたら、まさか今日……木下に会えるなんて、夢みたいだ」
「俺もせっかく東京に来たのだから瑞樹に会いたいと思ったが、連絡先聞いてなくて……がっかりしていたのさ」
「あ……そうか、連絡先はセイには話したけど」
「セイに聞けばよかったのか」
「でもそれより前に会えて嬉しいよ。やっぱり木下と僕の心は一緒なんだね。小学校の頃、僕たちは想いを分け合っていたよね」
「あぁ、そうだった。あの時瑞樹からもらった言葉、大切にしているよ」
「僕の方こそ、木下が言ってくれて『やることがないのなら、作ればいい』という言葉、が、フラワーアーティストになった原動力だった」
俺の記憶の中の瑞樹。
瑞樹の記憶の中の俺。
それが重なって、優しい思い出になっている。
そしてこれからも、この優しい縁は続いていくだろう。
嬉しい再会だった。
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