1796 / 1863

春色旅行 15

グラバー園を出て、また街をぷらぷらと歩き出すと、芽生が川の方を指差して言った。 「パパ、あの橋、メガネみたいだよ」 「おぅ、あれは眼鏡橋だな」 「わあ、本当に眼鏡のように見えるんですね」 眼鏡橋は長崎の観光名所のひとつで、川面に映った影がきれいな二つの円を描き、眼鏡のように見えることから、この名がついたそうだ。水位が低い時は階段を使って川縁に降り、水際を散策できるようになっている。 「よし、せっかくだから橋の近くまで行ってみるか」 「行きたい!」 「あそこに行けるのですか?」  俺たちは、石垣の階段を降り始めた。  慎重に、慎重に―― 「芽生くん、足下滑るから気をつけてね」 「うん!」 「瑞樹も気をつけろよ」 「はい!」  瑞樹が芽生の手を取り、俺がその背中を見守る。こうして三人で歩く姿に、しみじみと「家族旅行なんだなあ」と実感する。  川面にはアーチの影が映り、時折、涼しい風が吹き抜けて、爽快だった。 「わあ、川のお水、きれい!」 「渡ったら、川に沿って少し歩こう」 「うん、石がいっぱいだね」  眼鏡橋付近の護岸に並ぶ石垣を見ていた芽生の目が、ひときわ輝いた。 「わぁー すごい! ボク、『あちち』の石を見つけちゃった!」 「え?」 「ほら、ここだよ」  芽生が指さす方向には、ハート型の石が埋め込まれていた。 「おっ、でかしたぞ。これは改修工事の時に遊び心で埋め込まれた『ハートストーン』で、こんな風に石に触ると、恋の願いが叶うそうだ」  俺はハートストーンに手のひらをつけて、願った。  瑞樹との恋、大事にする!  俺たちはずっと一緒だ。  すると……瑞樹も手のひらを重ねてきた。  長い睫毛を伏せ、恥ずかしそうな表情で―― 「瑞樹?」 「あの……僕も……同じ願いごとなので」  そんなふたりの様子を見て、芽生が手でハートマークを作りながら「パパとお兄ちゃんはいつも通りの『あちち』だね!」と笑う。 その明るい笑顔に、俺と瑞樹もつられて笑った。  旅は、いいな。  心を解放できる。    そして俺たちは、また気ままに歩き出す。 「ねえ、あれ乗ってみない?」  芽生が指差したのは、ゴトンゴトンと音を立てながらやってきた市電だった。クラシカルな緑色の車体が、ゆっくりカーブを描いて通りを進んでいく。 「よし、乗ろう!」  そろって市電に乗り込み、窓際の並んだ席に腰を下ろすと、車内にはどこか懐かしい雰囲気が漂っていた。吊り革が規則正しく揺れ、レールの振動が直に膝に伝わってくる。 「函館にも市電があるので、懐かしいです。この揺れ、地面を感じますよね」  そうだな。長崎の街は、瑞樹の故郷とどこか似ている。  くまさんも待っていることだし、次は瑞樹の帰省に同行しよう――  そう、心の中で、そっと誓う。  途中で、隣の席に座ったおばあさんが芽生に話しかけてくれた。 「坊や、たのしそうやねぇ。どこから来たと?」 「東京からです! 今日は家族で長崎を観光しているんです」  芽生のはきはきとした声に、おばあさんは感心していた。 「それはそれは、ようこそ。今日はお天気もええし、ええ思い出になるばい」    市電を降りた後、立ち寄った公園の売店で、地元名物の『ミルクセーキ』を買ってみた。長崎のミルクセーキは飲み物ではなく、スプーンで食べるフローズンデザートだ。  シャリシャリとした食感の冷たい甘さが、旅の疲れをすうっと癒してくれる。  芽生はベンチの上で足をぶらぶらさせながら、にっこり笑った。 「ボク、長崎、だーいすきになっちゃった」 「俺も気に入った」 「僕もです」  おもむろに瑞樹が鞄から一眼レフを取り出して、この瞬間を逃さずシャッターを切ってくれた。  カメラに収まったのは、ミルクセーキのある午後と家族の笑顔だ。  これはアルバムにそっと収まる、小さな幸せの記録。   同じ感動、同じ思い出。  旅の時間を共有することで、家族の絆がまた深まっていく。

ともだちにシェアしよう!