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しあわせ図鑑 7

 めぐろ弁護士会から一本の電話が入ったのは、昼過ぎのことだった。 「夏休みに地域の子ども向けイベント『ジュニア・ロースクール』がありまして、小学生を対象に弁護士の仕事を紹介したり、模擬裁判をやったりする催しです。今年は小学5年生と6年生を対象に行うので、ぜひ滝沢先生にも手伝っていただきたいのですが」  ……子ども向け、か。  話を聞きながら、内心ため息をついた。  正直、子ども相手のイベントは苦手だ。  若い頃、似たような企画に無理やり駆り出されたことがあった。  ただ真面目にやろうとしただけなのに、口調と表情が怖かったらしく、ひとりの子供に泣かれてしまい、そこから連鎖反応で何人も泣き出し、ちょっとした騒ぎになってしまった。  以来この手のイベントの依頼は「私には向いていない」と判断し、極力避けてきた。 「申し訳ありませんが……」と断りかけたそのとき、不意に芽生の顔が脳裏をよぎった。  去年の1/2成人式で、芽生は緊張しながらもまっすぐ前を向き、「ボクの夢は弁護士になることです」と堂々と話してくれた。  その場の勢いだけではない、芯のある眼差しだった。  もちろん、芽生はまだ10歳そこそこだ。  これからいくらでも夢は変わっていくだろう。むしろ、変わって当然だ。  もっと広い世界を知って、いつでも選びなおせばいい。  だが、それでも、私の存在が「芽生のなりたい将来」の一つになっている。  そのことが、しみじみ嬉しかった。  私はもうあの頃とは違う。もっと柔軟に対応できる気がする。  もし芽生が来てくれたら、普段は見せない弁護士滝沢憲吾としての姿を見せられそうだ。  そう思うと、急にやる気が満ちてきた。 「……やはり、参加させていただきます。それで、そのジュニア・ロースクールに、私の甥っ子も参加させたいのですが、枠はありますか」 「もちろん、どうぞ」 「ありがとうございます。では予定を確認してご連絡します」  受話器を置いたあと、自分が思っていたよりもずっと上機嫌なことに気づき、少しだけ苦笑した。  子どもは苦手と思っていたのに、芽生の存在が私を少しずつ変えてくれるようだ。芽生は明るい太陽のような子だ。私の心は太陽を浴びて、真っすぐすくすくと育っている。  さてと、当日、むっつり顔にならないように、笑顔の練習でもしておこうか。  その晩、帰宅すると、彩芽が満面の笑みで飛びついてきた。 「パパ、おかえりなしゃい」 「あーちゃん、ただいま」 「わぁ、パパ、にこにこさん」 「そ、そうか」 「パパ、それ、しゅきよー」 「そうかそうか」  えくぼを作って笑う娘の顔に、目じりが下がる。  芽生と彩芽に、私は育てられている。  そう実感する瞬間だった。 ***  日曜の午後、宗吾が仕事で外出するというので、私は宗吾のマンションを訪れた。  インターホンを押すと、ひんやりとした冷気とレモンの爽やかな香りが迎えてくれた。 「やぁ、こんにちは」  ペパーミント色のエプロン姿の瑞樹が、柔らかく微笑んでくれた。 「憲吾さん! そろそろいらっしゃるかなと思っていました。一緒に食べようと思って、芽生くんとレモンゼリーを作っていたんですよ」 「ほぅ、それは、楽しみだな」 「おじさん、こんにちは!」  芽生も嬉しそうに駆け寄ってくる。 「芽生、夏休み、楽しく過ごしているか」 「うん、もうワークは終わらせたよ」 「そうか、えらかったな。今日は芽生にいい話があって」 「いい話! なにかな?」  芽生が目を輝かせる。 「今度、中目黒のコミュニティプラザで『ジュニア・ロースクール』という小学生向けのイベントがある。法律について学んだり、模擬裁判を体験したりできる催しだ」 「あ、それ、学校でもプリントもらったかも。ちょっと待ってて」  芽生が子供部屋からプリントの束を持って戻ってきた。 「これのこと? ボク、すごく行ってみたいって思ってた!」 「そうだ、そのイベントだ。……そこで、私が講師を務めることになってな。芽生、参加してみないか」 「いいの?」  芽生の瞳がキラキラと輝く。 「大歓迎だよ」 「やったあ! おじさんと一緒に参加できるなんて最高だね」  ぴょんぴょんと飛び跳ね、私に抱きついてきた。 「おじさん、ありがとう、ありがとう!」 「……そんなに喜ぶとは思わなかった」  自然と頬が緩む。    横では瑞樹が、ふわりと微笑んでいた。 「芽生くん、本当に嬉しそうですね。きっと特別な夏の思い出になりますね」 「……ああ、私にとってもな」  レモンゼリーの透明感と、リビングに流れるハワイアンミュージックが心地良かった。  心が晴れやかだ。  いい夏になりそうだ。

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