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しあわせ図鑑 22
瑞樹たちの笑顔を胸に、社に戻る前に、会議室フロアに設置された自動販売機へ足を向けた。
さっきまでの熱気を帯びた会議の余韻が身体に残っているので、一息つきたい。
ボタンを押すとカップにコーヒーが注がれ、香ばしい香りがふわりと立ちのぼった。
紙コップを受け取り、自販機横のベンチにドスンと腰を下ろす。
そこでようやく気付いた。すでに先客がいたことに。
ちらりと横目をやると、見覚えのある若い顔があった。
「あれ? 君って……もしかして駿くんじゃないか」
思わず声を上げると、相手も驚いたように振り向いた。
「あ、宗吾さん! 本当にびっくりしました。どうしてここに?」
「どうしてって……ああ、そうか。ここは君が勤めている会社だったんだな」
「はい。僕は新商品の開発チームの一員なんですが、戦略会議の結果が気になって……ついここまで来てしまいました」
駿くんは少し照れたように笑い、頭をかいた。
素朴で素直なその明るさにつられ、俺も頬を緩める。
会議室で感じていた重たい空気がふっと和らいだ。
「それって、ここでやっていた会議のことか?」
「はい。僕は同席出来ませんでしたが、このあとチーム長から報告を受けます」
「そうか……なるほど、それでか。なんだか納得したよ」
「え? どういう意味ですか?」
「いや、君がここにいるのが自然に思えたってだけさ。がんばれよ」
俺は飲み干した紙コップを軽く丸め、ふとひらめいたことを問いかけてみた。
「そうだ、君にアンケートしてもいいか?」
「アンケート、ですか?」
「うん。君にとって『レモンティー』ってどんなイメージだ?」
「イメージ?」
「想い出でもいいぞ」
駿くんは一瞬きょとんとしたが、やがて手元に視線を落とし、記憶をたどるように口を開いた。
「俺にとってのレモンティーは……想の家の記憶です」
想くんは駿の恋人であり幼なじみ。体が弱かった彼のもとへ小さい頃からよく通っていたと聞いていた。
「小学生6年生の時のことです。朝の登校時に想が晴れやかな笑顔で『今日から大人になった』って言うんです。焦って理由を聞いたら、紅茶に足すのがホットがミルクじゃなくてレモンになったんだと。俺の家じゃ、そんなおしゃれなもの出てこなかったから、想のおばさんに早速頼んでいれてもらいました」
「なるほど、その時の印象が強かったんだな」
駿の横顔は、懐かしさとときめきに照らされていた。
「えぇ、想のお母さんが優しい手つきで紅茶を注いで、薄くスライスしたレモンをそっと浮かべてくれて……琥珀色の紅茶に透き通る黄色の輪が浮かんだ瞬間、胸が高鳴ったんです。その気持ちを、新商品に込めたんです」
その語りは色鮮やかで、聞いている俺にも光景が自然と浮かび上がった。
琥珀色の液面にすっと浮かぶレモン、その輪郭から立ちのぼる爽やかな香り。日常の中の、少しだけ特別なひと時だ。
「なるほど……その大切な思い出で商品に込めたんだな」
思わず感心の声が漏れる。
駿ははっとして、少し照れくさそうに首をかしげた。
「詳しいことは会議に出席していないので分かりませんが……自分の原体験がそのまま企画に役立つなんて思ってもみませんでした。全部、想譲りなんです。俺が人だけでなく物に優しくなれるのは、想のおかげです」
言葉は控えめだが、胸の奥に誇らしさがにじんでいた。その姿に瑞樹を思う自分自身を重ね、胸の奥に温かいものを覚えた。
「想くん譲り……いい台詞だな。サンキュ! おかげで、今の話で情景がばっちり浮かんだよ。このままCMになりそうだったよ。よし、想いを受けて、次のプレゼンもがんばるよ。駿くんの想いを応援している」
「はい! ありがとうございます」
誰かの想いに耳を傾け、心から応援できる自分でいられるのは、瑞樹と過ごしてきた日々のおかげだ。
そう実感できる今の自分が、少し誇らしい。
社に戻り、駿くんの夢を後押しする知恵を、皆で出し合おう。
そして今夜は瑞樹を思いっきり抱きしめよう。
慣れない取材を頑張った君に、全力のエールを送りたい。
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補足……駿は『今も初恋、この先も初恋』の登場人物です。
今日の展開は昨日の読者さまとのコメント欄から浮かんだものです。
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