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しあわせ図鑑 49
「おばあちゃん、ボクお腹すいたー!」
「まぁ、うふふ、沢山用意してあるのよ。さぁお昼にしましょう」
「ありがとう! じゃあ手を洗ってくるね」
明るい笑顔、礼儀正しいところ。
芽生くんって、本当に気持ちがいい子ね。
素直で優しくて明るい子!
瑞樹が育てた部分も多いんじゃないかしら?
そんなことを考えていると、キッチンに腕まくりした瑞樹が優しい笑顔を浮かべて入ってきてくれた。
「お母さん、手伝うよ」
「まぁ、ありがとう、じゃあ、このレタスを洗ってくれる」
「うん」
たったそれだけの会話が嬉しかった。
余裕がない頃は、私自身が疲れ果てて、あなたの優しさを無視してしまうことばかりだったわね。幼いあなたが勇気を出して手伝いたいと言ってくれたのに、かえって時間がかかると決めつけ、寄せ付けない時もあったわ。
ちらりと横に立つ瑞樹を見ると、綺麗な右手には、あの時つけられた傷が見え隠れしていた。
未だに消えない痛々しい傷跡に、胸がきゅっと切なくなるけれども、今の瑞樹はそんなことは全く気にしていないようだった。
私はそのまま手の動きを見つめ、滑らかに動いていることを確認し安堵した。
そして左手の薬指に目がとまった。
普段はつけていない宗吾さんと交わした細いプラチナのリングが、陽の光を浴びてキラリと光っている。
「その指輪、とても綺麗ね」
「あ……うん、今回はプライベートな旅行だから……』
はにかむ瑞樹が、愛らしかった。
「生活に変わりはない?」
「最近はとても落ち着いているよ」
「よかったわ」
「お母さんは?」
瑞樹が優しく聞いてくれる。
「勇大さんと仲良くやっているわ」
「本当によかったね。僕は二人が結婚してくれて本当に嬉しいよ。お母さん……僕にこうやって帰ってくる場所を作ってくれてありがとう」
改めて言われると、じんわりするものね。
でもお礼を言うのは、私の方よ。
お葬式で瑞樹を引き取ることにした時、中途半端な覚悟ではなかったのに、結局中途半端になってしまってごめんね。
親として守り切れなかったこと。
あなたが再び傷ついてしまったこと。
本当に本当にごめんね。
でも……あの日、やりきれない思いでかけつけた軽井沢。そこで宗吾さんの存在を知り、芽生くんと出会えて本当に良かったわね。
瑞樹だけじゃなく、その出逢いが、私も変えたのよ。
私が勇大さんと出会えたのも、全部瑞樹のおかげ。
今の私にできることは……
「お母さん」
「なあに?」
「出逢いって不思議だね」
「今、私も同じことを思っていたのよ」
「そうなんだ。なんだか嬉しいな。人と出逢うことによって喜びを分かち合うことができるんだね。そして違う価値観があることも知って、自分の気持ちに気づくことができて……人と関わるのってすごいことだね」
孤独で自分の殻に閉じこもって、どこか諦めたように生きてきた瑞樹が、宗吾さんと出会ったことにより、いろんなことに気づけるようになったのね。
「そうね」
「あのまま閉じこもったままだったら、何も感じなかったなと思って……幸せからも悲しみからも遠ざかり、何も感じず無になって……あ、次は何をしたらいいかな」
「じゃあお皿にサラダをお皿に盛ってくれる?」
「うん」
キッチンで作業をしながらのおしゃべり。
なんだか本当の親子みたい。
ううん、もうあなたと私はとっくに本当の親子なのよ。
人と出会い、人との繋がることから生まれる温かさを教えてくれた、私の大切な子。
「瑞樹、ありがとう」
「え?」
「私の元に来てくれてありがとう」
****
「お皿ありがとう、瑞樹。さあ、芽生くん、お昼ご飯よ」
僕が盛り付けたサラダプレートの他に、芽生くんの大好きなハンバーグやポテトフライ、宗吾さんの好きないくらがたっぷり乗った海鮮丼など、色鮮やかな料理が並んだ食卓に、芽生くんが「わーい!」と元気な声をあげて駆け寄ってきた。
「いただきます! すごいごちそうだね」
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
四人が食卓についた。
お父さんとお母さんが加わった食卓はカラフルで賑やかだ。
食卓を囲む人数が増えるだけで、こんなにも景色が明るくなるものなんだな。
宗吾さんが僕の手元を見つめて、嬉しそうに目を細める。
「瑞樹は旅行では指輪をしてくれるんだよな」
「あっ、はい、今回はプライベートなので……」
「似合う! もちろん俺もしているさ!」
宗吾さんはそう言って、僕の左手にそっと自分の手を重ねた。
プラチナのリングが、二人の手の間でキラリと光る。
お母さんとお父さんは、そんな僕たちの様子を温かい眼差しで見つめている。
僕は少し照れながらも、宗吾さんを見つめ返した。
純粋で満たされた愛情溢れる世界にいることを、二人に見てもらいたくて。
「宗吾さん、お母さんの特製サラダ、美味しいですよ」
「サンキュ!」
宗吾さんのお皿にサラダを取り分けると、「ありがとう」の代わりに僕の頬に「ちゅっ」とほんの軽いキスをした。
驚いたが、あまりにも自然で、流れるような動作だった。
「ちょ、宗吾さん……!」
でも、僕は顔を赤くして周りをキョロキョロ見てしまう。
僕たちのやりとりを、目の前で見ていた芽生くんは、フォークを置いて満面の笑みを浮かべた。
「あのね、おじいちゃん、おばあちゃん、いいこと教えてあげる」
芽生くんは、大発見をしたかのような大きな声で言った。
「パパとお兄ちゃんは、いつもこうなんだよ! ボクの家族はね、あっちっちなんだ!」
「あっちっち?」
お母さんが尋ねると、芽生くんは「うん!」と力強く頷いた。
「いーっつも仲良しで、ギューとか、ちゅーとかするんだ。 だからボクの家は、冬でもポカポカあったかいんだよ。今度来てね」
芽生くんの無邪気な言葉に、僕たちは顔を見合わせて笑うしかなかった。
「め、芽生くんまで……」
耳朶を染めているとと、宗吾さんが芽生くんの頭を撫でた。
「はは、まあ、そうだな。俺たちは瑞樹が大好きだからな。でも、みんなには内緒だぞ?」
「えー、なんでー? もうばれちゃったよ」
そんなやり取りに、お母さんもお父さんも、ついに笑いをこらえきれずに笑い出した。
「ふふふ。いいじゃないの、熱々で。とても温かくて、いい家族だわ」
「ははは、ずいぶん押しの強い彼氏だな。だが瑞樹には、それくらいの方がいい。お似合いだな」
お父さんにもお母さんにも伝わっただろう。
この温かさこそが、僕がようやく見つけた、何にも代えがたい幸せの形なのだということを。
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