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【4】
大智は、先程から上着のポケットの中で何度も繰り返し振動を続けるスマートフォンに苛立ちを覚えながら、大きな荷物を手に駅のホームで右往左往していた。彼の傍らには片手に杖を携えた男性が立っていた。腰が少し曲がり始めているところを見ると高齢だとうかがえる。
セリオとの言い争いから一晩が経った今日、目を腫らして出勤した大智ではあったが、全くと言っていいほど仕事に集中出来ずにいた。
何度も先輩である伊藤に顔を覗きこまれ、目を腫らしている理由を追及されたのだが、大智はそれを笑い話にすり替える余裕すらなかった。
その原因を作ったセリオとは顔を合わせたくない。しかし、そういう日に限って定時退社してしまった自分を呪いながら会社の最寄駅に来たところ、ホームで大きな荷物を足元に置いたまま途方に暮れている男性と出会ったのだ。
そもそもこの老人がどうやって駅まで――いや、このホームまで運んだのだろうと頭を抱えるほど、その荷物は大きく重かった。気軽な人助けの気持ちで「手伝いますよ」と言った大智は、再び自分の軽率さを呪った。
帰宅時間帯ともあり多くの人がごった返すホームで重い荷物を運びながらエレベーターのある場所まで歩く。
体力には多少自信があると思っていた大智だったが、過信しすぎていた自身の体が軋むのを感じ、即座に敗北を認めた。だが、手に持った荷物を放り出して逃げ出すほどの勇気は、さすがに持ち合わせてはいなかった。
「――駅員さんの話だと、この奥にあるみたいなんですよ」
男性のしわがれた声に息を切らしながら応えた大智は、ふと上部に掲げられた案内表示に足を止めた。
「まさかの真逆……。あのっ! エレベーターはこっちですよ!」
大智の声にゆっくりと振り返った彼は一瞬理解が出来ないというような表情で足を止めた。
「駅員さんはこっちだって……」
「いや、案内表示に書いてありますって!」
「アンタ、私を騙してその荷物を盗む気か?」
「そんな気、毛頭ありませんよ! こんなクソ……いや、重い荷物を持って逃げられるって、相当なアスリートですよ?」
スーツの下は薄っすらと汗ばんでいる。そしてまた、ポケットの中でスマートフォンが振動した。
電話の主は大体見当がついている。しかし、今は顔も見たくなければ、話をする気にもならない。
大智は確実に上がっていく不快指数を何とか押し留めながら、男性を説得してエレベーターへと向かった。
近くにいた駅員を呼び止め、荷物の運搬を引き継ぎ、大智は男性と荷物を載せたエレベーターの扉が閉まった瞬間、膝から崩れるように座り込んだ。
「ツイてない……」
あのまま男性に関わることなく順調に入線した電車に乗っていれば、今頃はマンションの最寄駅に着いている頃だ。
他人には干渉しない、自分は自分。そういうスタンスで生きてきたはずなのに、肝心な時に限って損をしているような気がする。
しかも、干渉しないはずの他人に巻き込まれて……。
セリオとの出会いだってそうだ。あのまま立ち止まることなく走り去っていれば、奴隷されることも電車に乗り遅れることもなかった。
スマートフォンが壊れたのは、歩きながら画面を見ていたセリオにも過失がある。しかし、全面的に大智が罪を被る羽目になってしまった。
「――マジでツイてない。ってか、さっきからしつこいんだよ!」
上着のポケットに手を突っ込んで乱暴に取り出したスマートフォンを見るとまた振動し始めた。その液晶画面には『セリオ』の文字……。
「どうせまた、高いワインを買って来いとか言うんだろ? マジでムカつく……。アイツの都合よく動いてたまるかってーの! 所詮、俺は出来損ないの奴隷だからなっ」
自虐めいた言葉を吐きながら立ちあがった大智はスマートフォンの電源を切り、近くにあった男性用のトイレに向かった。汗ばんだ肌に張り付いたワイシャツが気持ち悪い。これから電車に乗るというのに、なんとなく周囲の目を気にしてしまう。
鞄の中から取り出した携帯用の制汗剤を数回吹きかけ、念入りに手を洗ってからトイレを出ようとした時、スーツ姿の男性とぶつかりそうになって慌てて壁際に避けた。眼鏡をかけ、少し神経質そうにも見えるが印象に強く残るという顔ではない。そんな彼の掌が大智の尻にわずかに触れた瞬間、スラックスの生地にひやりとした感触を覚えた。自身が手を洗った時の水滴がついたのだろうか。
「あ、すみません」
咄嗟に謝ったのは大智の方だった。彼は眼鏡のブリッジを指先で押し上げて軽く会釈するとトイレの中に消えて行った。わずかに俯いたままの彼の口元が笑みの形をしていたことに、その時の大智は全く気が付かなかった。
*****
電車に乗り込んだ大智はいつものようにドアの近くに陣取った。案の定、電車内は混み合ってはいるが、大智の周りだけは空間が開いていた。まるで自分が何かの病原体を持っていて、それを警戒した周囲の人たちに避けられているような気がして、あまり気分のいいものではない。しかし、セリオの奴隷となった大智に触れることは許されない。もし不注意で触れてしまったとしても、セリオからの罰は免れない。
疎外感を感じながら帰宅ラッシュで混み合う電車に揺られていた大智は、窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めていた。夕方でも外は十分に明るく、ホームに灯された照明も霞んで見える。
(――帰りたくないな)
ドアの脇に凭れながらため息をつく。十回以上に及ぶセリオからの着信を確認しつつも折り返すこともせず、挙句の果てには怒りにまかせて電源を切った大智。
だが、奴隷の証を持った大智はどこにも逃げることは出来ない。セリオには大智の居場所はもとより、今何をしているかということまで把握しているはずだ。そんな大智の行動に対して口を出さないのは、セリオなりの気遣いなのだろう。自由を奪われ、監視下に置かれた者はそれに抗い、逃げ出そうとするのが本能だ。奴隷一人を追い詰めるために無駄な労力は使いたくないというところが彼の本音なのかもしれない。
大智への『お仕置き』などいつでも出来る。魔界の王である彼は、大智よりももっと大事なことをたくさん抱えているのだ。
「はぁ……。商店街で時間でも潰して帰るか」
心の声が口を吐いて出た時、大智は背後に気配を感じて身を強張らせた。
大智が魔王の奴隷と分かれば安易に近づく者はいない。それなのにかなり近い場所にその気配は感じられる。
息を詰めて、窓に映る車内の様子に目を凝らした時、不意に電車が大きく揺れた。
乗客が大きく振れた体を立て直すために足を踏ん張っていた時、大智は力任せにドアに押し付けられ、鞄を持ったままの両手に金属製の何かを嵌められていた。
「え……? なに……」
カチャリと小さな音と共に両手の自由が奪われる。足元に落ちた鞄を邪魔だと言わんばかりに後ろから伸びてきた革靴が蹴った。
座席の下に滑り込んでしまった鞄を拾おうと身を屈めてみるが、ドアに縫いとめられるように押さえつけられた体は思うように動かない。
大智が激しく身じろぐたびに、制汗剤とは違う甘い匂いがふわりと周囲に広がり、それを吸い込むたびに軽い眩暈を覚えた。
「ちょっと……。退いて……っ」
息苦しさに首を捩じって後ろを振り返ると、そこには先ほどトイレの出口でぶつかった長身の男が立っていた。眼鏡の奥の目は大智だけを見つめている。
「あの……。退いてくだ……さい」
手を動かすたびにカチャカチャと金属が擦れる音がする。両手を目に高さまであげると、大智の両手首には銀色の手錠がかけられていた。
「なに……これっ。ちょっと、これ、あなたの仕業ですか! 外してください!」
両手を引っ張りながら背後に立つスーツ姿の男性に訴えてみるが、彼は無表情のまま大智を背後から押さえつけている。
「外してっ」
声を荒らげた大智に周りの乗客は気づいたが誰も助けようとしない。何より、大智を背後から押えつけている男の方を見やり、息を呑んだまま瞠目していた。
それもそのはず。誰も触れることが許されない魔王の奴隷である大智をドアと自身の身体で挟み込んでいるのだから。
乗客からすれば、いつ訪れるとも分からないセリオの怒りに巻き込まれないように、自分は関係ないという事をアピールしなければならない。
波紋のようにざわめきは車内に広がっていく。中には遠巻きにスマートフォンで大智たちを撮影する者まで現れた。
「外せって言ってんだろ」
ドアのガラスに両手を叩きつけて叫んだ大智に、背後にいた男性はわずかに前屈みになると耳元で囁いた。
「――魔王様の奴隷。さぞ、いい声で啼くんだろうな」
「はぁ? な、なに言ってんだよ……。アンタ、俺が奴隷だって分かっててやってんのかっ」
まるで全速力で走った後のような疲労感と肩を上下させて繰り返される荒い呼吸。
大智はこの時、自身の身体の異変に気づいていた。視線の先にある窓の外の風景がぐにゃりと歪んで見える。
どこからか漂う甘い匂いは次第に大智の思考を鈍らせていった。
「自分から甘い匂いを振りまいて誘っておいて、それはないだろう? この体から溢れ出るフェロモン……いい香りだ。ハァハァ……」
「誘うって……なんだよ。俺はそんなことしてな――っあぁ!」
大智の脇の間から差し入れられた男の手が器用にネクタイを解き、ワイシャツのボタンを外していく。薄い生地越しに胸の突起を撫でられて、大智は思わず声を上げた。
そこはセリオに散々弄られ、すっかり性感帯に変わってしまっていた。触れただけですぐに硬くしこり、ぷっくりと乳輪が膨らむ。ドアに両手をつかされたままシャツを大きく開かれた大智は、長い指先で何度も乳首を捏ねられるたびにビクンと体を震わせ、熱い息を吐いた。
自分はノンケで、セリオ以外の男に感じることはない――そう思っていたのは大智の頭だけだった。体は与えられる快楽に実に従順で、自然に漏れてしまう声を抑えることが出来なくなっていた。
硬く尖った乳首の感触を楽しむように、男は指先でそれを強く摘みあげると力任せに捩じった。
「んあぁぁぁっ」
顎を上向けて鼻にかかった声を上げた大智は小刻みに痙攣を繰り返しながら、ドアに縋る様に腰を後ろに突き出した。ちょっとの刺激ですぐに勃起してしまうようになった彼の下半身は、スラックスの生地を無理やり押し上げている。その窮屈さに腰を揺らしてしまう大智を背後から見つめていた男は、舌なめずりをしながら大智の耳朶にやんわりと歯を立てた。
「あ……あぁ……。ヤダ……やめ、ろ……っ」
ゾワゾワと無数の虫が這いあがってくる感触。背中の筋肉が突っ張り、大智は更に腰を突き出した。スラックスの生地越しに硬く熱いものを感じて、息を呑んだまま振り返った。
「嘘だろ……」
「かなり飼い馴らされているようだな……。魔王様と俺、どちらが上手かその身体で試してみるか? この快楽を知ったら、俺から離れられなくなる……。魔王様の奴隷をペットにするのも悪くない」
「ふざ……けるな」
もがきながら体を捩じった大智だったが、呆気なく腰を引き寄せられてしまった。この路線に痴漢が出没するという噂は聞いていた。男性ばかりを狙うゲイで、手段を選ばず、あえて人目に晒す様に犯行を行うという。
人間、いくら良心や正義感を持ち合わせていると言っても、目の前で犯罪が起きた時には巻き込まれたくない一心で無意識に防衛本能が働く。見て見ぬフリを決め込み、仕返しを恐れて通報もしない。
大智が肩越しに振り返った時、彼の周囲を取り囲んでいた乗客は皆、彼に背を向けていた。急いでヘッドホンを耳に装着する者、手にした新聞に視線を落とす者……。
誰一人として大智に救いの手を差し伸べる者はいなかった。
大智の背中に冷たいものが流れ落ちた。それは今までに感じたことのない恐怖だった。
セリオではない男の手が大智のベルトを緩め、スラックスのファスナーをゆっくりと下ろしていく。すでに力を持ってしまったモノを掌でやんわりと愛撫する。
「ヤダ……。触る……なっ」
「もう勃ってるじゃないか。下着まで濡らして……。魔王様の代わりに俺がお仕置きしてやろうか?」
「やめろ……っ。ヤダって……言ってん、だ……ろ!」
スラックスの中に入り込んだ男の手から逃れようと腰を捩じる大智だったが、蜜を纏った先端が下着越しに男の手に触れ、動くたびに擦れ合い予想以上の快感を生み出した。
「あっ! や……あぁ……っくぅ」
「俺の手にチ〇コを擦りつけて感じてるのか? あーあ、もう手がビショビショだ……。魔族の奴隷は淫乱で可愛い」
滲み出した蜜を下着に広げるように掌で撫でまわした男は、下着のウェストから手を差し入れて直接大智のペニスを握った。
「んあっ! あ……あぁ……んっ」
男の手が下生えのない場所を不躾に撫で回し、ヌチャヌチャと卑猥な音を立てて茎を上下に扱きあげると、大智は膝をガクガクと震わせて腰を前後に振った。セリオにも劣らない手技で大智の弱いところを的確に攻めていく。カリの部分を輪にした指で擦られると、自分でも信じられないほどの甲高い声が漏れた。
「ひゃぁぁ……あっ、あっ!」
背を弓なりに反らせて体を痙攣させた大智は、その男の手に大量の白濁を放っていた。
何をするでもない、ただ数回扱かれただけで達してしまったのだ。大智は決して早い方ではない。それなのに見知らぬ男の手で呆気なくイカされたことが許せなかった。セリオの大切な糧である大智の精液が男の手にベットリと纏わりつき、それを見せつけるかのように目の前に差し出した。
独特の青い匂いが鼻をつく。しかし、そんな匂いよりも先程より濃度を増した甘い香りが大智の劣情を煽った。
「はぁ……ん。からだが……変……っ。あぁ……お尻が……ん……疼くっ」
頬を薄っすらとピンク色に染めた大智は、縋る様にドアに爪を立てた。掛けられた手錠の冷たさまでも大智の体をウズウズとさせる。男に触れられもしないのに、その腰は自然と何かを求めるように揺れ、自分の意思で留めることが出来ない。
「ぬ……っあぁ。はぁ、はぁ……なんだ、コレ……。欲しい……欲しくて堪らないっ!」
「魔族でも悶絶する最強の媚薬を尻に吹き付けてやったからな。人間であるお前が理性を失って壊れるのは時間の問題だ」
「び……やく、って……。んはっ。尻の穴が……疼くっ」
トイレで彼にぶつかりそうになった瞬間に感じた尻への違和感を思い出し、自身の危機管理能力の低さに絶望した。
扉に埋め込まれたガラスを曇らせながら喘ぐ大智のスラックスに手を掛けた男は、それを一気に膝まで引き下ろすと、自身のベルトを緩め始めた。背後でカチャカチャと鳴る金属音に大智は身を震わせて振り返った。
「やめろ……。やだ……っ」
「――俺が望むのは魔王の失脚。処女奴隷ほどアイツの力を増幅させる者はいない。ここでお前の処女を奪えば、セリオの魔力も衰退する。お前が放つ精液はセリオにとってただの水にしかならないということだ」
「お前……魔族なのかっ」
「どこまで危機感のないゆとり野郎だ。自分が狙われていることぐらい分かっているだろう? お前はセリオの命を握っているんだからな」
思考もままならない脳みそをフルに動かしてクレトが言っていたことを思いだす。
魔王の座は常に誰かに狙われ、セリオもまた危険に晒されている。そんな彼の魔力の源となる精液を作れるのは契約した奴隷である大智しかいない。冷静に考えれば、セリオが狙われて大智が狙われないはずがないのだ。
「あ……あぁ……っ。俺……バカ……だぁ」
セリオからの着信をことごとく無視し続けたのは、昨夜の怒りがおさまらなかったわけじゃない。いつまでも素直になれない自分が許せなかっただけ。
たった一言、謝れば済むことなのだろう。しかし、その言葉が出てこない。そして、また顔を見るたびに余計な事ばかりを口走り、彼を不機嫌にする。
「おかえり」のキスが欲しかったのは嘘じゃない。でも、そのキスは大智が望んだキスではなかった。
毎日のように繰り返される大智からのキス。それに応えてくれるセリオの唇は温かく、どこまでも優しかった。
「う……うっ、く……っ」
こんな場所で、体の自由を奪われた挙句、身も知らない魔族に処女を奪われるなんて……。
「――ツイて、ない」
頬を伝った涙が床に落ちた時、大智の双丘に灼熱の肉塊がヒタリ……とあてがわれ「ヒッ!」と喉の奥を鳴らして息を呑んだ。その大きさは女性の腕ほどあるセリオといい勝負だった。
先端で肉付きの薄い双丘を何度も叩くと、透明な粘液が糸を引いて流れ落ちる。魔族のガマン汁は人間よりも多く分泌されるらしい。先端を擦りつけるたびに、大智の尻たぶが粘液で汚されていく。
「やだぁ……きも、ち……わるい」
ぶるりと武者震いのように体を震わせた大智は男のペニスから逃げようと尻を振るが、腰を捩るたびに後孔が甘く疼き、欲していないはずの男のペニスを求めてしまう。
双丘を濡らした粘液を指で掬った男は割れ目の奥にスッと忍ばせると、セリオにも触れさせたことのないその場所を円を描く様に撫でた。
「んはぁ……あぁ……やらぁ!」
腰から背筋を突き抜けるように甘い痺れが大智を襲い、あり得ないほど大きな声を上げさせた。
「大声を上げて……皆が見ているぞ? それとも、お前は見られていた方が興奮するのか? この淫乱処女奴隷が……」
男の人差し指の第一関節がツプリと大智の蕾に食い込んだ。元来排泄器官であるその場所に異物が入り込めば自然と体は拒絶反応を起こして排除する。それなのに大智の蕾はその指をぎゅっと喰い締めたまま奥へと誘うように中が大きく蠢動した。
「やだぁ! 挿れないでぇぇぇ~っ!」
心と体、そして思考がバラバラになっていく。媚薬のせいで狂わされた体と思考――じゃあ、心は?
大智はドアに額を押し付け、熱い息を吐きながらその名を口にした。
「セ……リオ……。会いたい……。今すぐ……お前に、会いたいっ」
今だけは素直に……。心の底から「会いたい」と願う男の名を――。
大智の中に埋められた指が徐々に深く沈み、中で一回転する。敏感になった粘膜が男の指先を捉えるたびに、大智の背中は弓のように反り返った。
「んあぁ……やだ、あ! 指……抜いてぇ!」
「熱いな……。いい具合に解れてる」
「やだ、やだ……。セリオ……俺が、会いたい……って、言って、ん……だろ! 早く……来て……んっ!」
大智の熱がペニスに再び集まり始め、顎を大きく仰け反らせた時だった。涙で滲んだ視界に映った車窓からの景色が静止した。電車の揺れも、轟音さえも聞こえない。人々のざわめきも消え、大智と男は異様な空間に放り出された様に錯覚した。
周囲の異変に即座に気付いた男の指が大智の中で動きを止める。
車両内に緊張感と冷酷な空気が流れ込み、二人の足元を包み込むように黒い霧が渦を巻いた。
大智は息を弾ませながら、背後の男を睨みつけると溢れた涎もそのままに口角を片方だけ上げた。
「お前の思うとおりになんか……させるわけ、ないだろ……」
「なにっ」
瞬く間に車両内を闇のように包み込んだ霧の中に浮かんだのは、底なしに美しく妖艶な白い顔だった。
漆黒の髪を乱し、頭部には太く大きな巻き角を携えたその姿は、見る者すべてを凍てつかせるほどの迫力と畏怖を纏っていた。
大智の体を這うように纏わりつく霧に混じって香る甘い香りに、体中に込められていた無駄な力が心なしか緩んでいくのを感じた。
「――セリオ」
濡れた唇で何かを求めるように、もう一度その名を呼ぶ。
途端に霧が勢いを増して大智の背後に立つ男に襲いかかった。
「まさか! そんなはずは……っ」
「――どんなはずだ? ゲス淫魔が思いつくような低能な企みなど、この俺が知らずにいると思ってか?」
聞いただけで震え出すほどの艶を帯びた低い声が車内に響いた。
大智の鼓膜を静かに、それでいて官能的に震わせたその声は腰の奥にある熱を増幅させ、突き込まれたままの男の指をきつく食い締めた。
「ふぁぁ……っ」
膝がガクガクと震え、もう自力で立っていることさえも辛い。何より男の指が大智の後孔を刺激し、何もしないでも中を蠢動させた。
太縄のように変化した霧が男の体を締め上げていく。闇に浮かんだセリオの顔のすぐ横から鋭い爪を閃かせた黒い野獣のような手が現れ男の顔面を鷲掴みにした。
「ぎゃぁぁ!」
「いつまで指を挿れているつもりだ。俺の大切な奴隷がキズ物になったらどうする? その男に触れていいのは俺だけだ……。それは貴様も重々承知であると認識していたが……やはりクソ淫魔には通じなかったか」
「ま……魔王、さま。これはちが……っ」
「何が違う? 貴様らの企みはすべて把握している。今更、何を足掻こうと無駄だ。今頃は魔界で俺の有能な部下がお前の仲間を殲滅させている頃だろう……。俺を失脚させるなど、貴様ごときクズに出来るものか」
長く鋭い爪を男の肩に食い込ませた手が力任せに車内の壁に向かって男を叩きつける。
その際、大智の蕾に食い込んでいた指が抜け、不覚にもその衝撃で情けない声が漏れてしまった。
「あぁぁ……ん」
咥えるものを失った虚無感からか、入り口の薄い粘膜がヒクヒクと震え新たな欲望を生み出す。
「ん……っ。セリ……オ。何とか……して」
途切れ途切れで声にならない声を上げた大智に鋭い視線を向けたセリオは、高級ブランドのフルオーダースーツを身に纏い、闇に隠していた完璧とも言える体をゆらりと現すと、大智の背後に立ってその細い腰に手を添えた。
彼の背中には、初めて出逢った時に大智が『包まれたい』と思った大きな漆黒の翼が揺れていた。
「あぁ……んっ」
冷たい大きな手が露わになった腰のラインを確かめるように撫でる。セリオはわずかに視線を落とし、誰に言うでもなく鋭い口調で言い放った。
「――このクソ淫魔を始末しろ! 手加減は無用だ……弄るだけ弄って、犯すだけ犯して」
車内に備え付けられた銀色のポールに縋る様によろよろと立ち上った男は顔を上げた瞬間、ゆっくりとそちらの方を向いたセリオと目が合った。
どこまでも冷酷で闇を含んだ灰色の瞳が、怒りの様相を見せるかのように真っ赤に染まった。
「――二度と転生できないように首を刎ねて炎獄の窯に投げ捨てろ」
大きく目を見開いた男の眼鏡が床に落ちた瞬間、空間が縦に大きく裂け、その中から伸ばされた無数の手に男は体を掴まれた。
「いやだー! 放せっ。花嫁も見つけられないお前には失脚の道しか残っていない。その奴隷を囲っていたところで、お前に――ぎゃぁぁぁぁぁ!」
無数の手が男の体を鷲掴み、漆黒の闇へと引き摺り込んでいく。最後の足掻きとばかりに裂け目に掛けた手がスルリと滑った時、彼の姿は断末魔の叫びと共に一瞬で闇に呑みこまれた。
空間に突如として現れた裂け目はその役目を終えたかのように徐々に細くなり、最後は数分前と変わらないラッシュ時の車内の光景へと戻っていた。
しかし、時間はまだ止まったままだ。セリオは大智に本来の姿を晒しながら、自身の体を彼の背中に押し付けて耳元で囁いた。
「――怖いか?」
ギュッと目を閉じたまま肩で息を繰り返しながら首をわずかに横に振る。媚薬のせいですべてがぼんやりとしていた脳内がセリオの声だけを鮮明に響かせる。
「この媚薬は少々厄介でな……。薬が切れるまで欲情し狂い死ぬか、解毒剤である俺の精液を体内に入れるか……だ。大智、お前はどちらを選ぶ?」
大智は動かない頭で考えた。このまま恥ずかしい姿を世間に晒したまま狂い死ぬなんて考えられない。だが、そうかといってセリオの精液を受け入れること――つまり、彼に抱かれる勇気もない。
ただ触れているだけのセリオの手にさえも揺れてしまう腰を止めることが出来ない。舌先を伸ばして無意識に何かを求めている娼婦にも似た姿に、車両内にいる他人から憐憫な眼差しを向けられているような気がして居たたまれない気持ちになってくる。
「――俺の精液を受け入れれば、お前はただの奴隷ではいられなくなる。人間が魔王の精を体内に入れること――すなわち、そのすべてを捧げる契約に通じる。さぁ、選べ……。時間はたっぷりある」
「そんな……の、わかん……な、い」
「死ぬことも裏切ることも許されない魔族となって、俺と永遠に生きる……。人間を捨て、俺だけのモノになる……」
汗で張り付いた後れ毛を指先で払い除けたセリオは、大智の口筋に唇を押し当てると強く吸った。
「んん……っ」
チリリと焼けるような痛みが快感に変わり全身を駆け巡る。露わになったままのペニスからは白濁交じりの蜜が糸を引きながら床に落ちた。
「いい香りだ……」
何度も首筋にキスを繰り返していたセリオの手が前に回され、大智の濡れたペニスを優しく掴んだ時、堪えていた切ないため息が漏れた。
「んは……ぁ」
「――イッたのか? あのクソ淫魔の手で……」
大智は小さく首を左右に振りながら何度も否定する。しかし、セリオの指先に絡みついた白濁は逃れようのない現実をまざまざと大智に突きつけてくる。
充血し力を蓄えたままだらしなく蜜を溢れさせる先端に、セリオは爪を強く食いこませると、大智の耳元で小さくため息をついた。セリオにとって命を繋ぐ精をいとも簡単に放った奴隷に対し、ほとほと呆れかえっているのだろう。
(ため息なんか吐くなよ……。俺だって好きで奴隷になったわけじゃない)
そう言い聞かせ、自分を正当化しようとするが、頬を伝う涙は止まることがなかった。
「ごめ……ん。クズ……奴隷で……。ハァ、ハァ……」
嗚咽を堪え声を震わせて、やっとの思いでそう呟いた時、セリオは優しく大智を後ろから抱きしめた。
「誰がクズだと言った……? あの男にそう言われたのか?」
いつになく硬質なセリオの声に、ビクリと体を震わせた大智は再び首を横に振った。
「だって……アンタだって……そう、思ってる……だろ? 役立たずな……クズだって――」
「俺がそう言ったのか?――ならば、俺も自ら首を刎ねねばならないな」
「え……」
肩越しに振り返った大智の視線と、わずかに伏せられたままのセリオの視線がぶつかる。
「セリオ……?」
大智の頬を伝った涙を指で拭ったセリオは長い睫毛を小刻みに揺らしながら、きつく唇を噛みしめていた。
何かを必死に抑えこむような表情は、昨夜言い争った時と同じ。
そんなセリオの表情に息苦しさを感じた大智は、両手首を繋がれた手錠の鎖を鳴らしながら下におろすと、前に回されたままの彼の片手にそっと重ねた。
「――ごめん。俺、花嫁じゃ……なくて」
掠れた大智の声にゆっくりと視線をあげたセリオは、きつく結んでいた薄い唇をゆるりと解いて、小ぶりな大智の耳たぶにやんわりと歯を立てながら低い声で言った。
「お前が欲しい……。審官が決めた花嫁などに興味はない。俺は……お前のすべてが知りたい」
「ふ……ふあぁぁ」
耳殻を這う舌が動くたびに大智は背を弓なりに反らせて声を上げた。
今までにない柔らかなセリオの声音は、大智の下腹に刻まれた紋を疼かせた。
もしもこれがセリオの本心だとしたら――。
夜伽の夜、彼が大智に熱っぽく囁いた言葉は嘘ではなかったと言える。
まだ安心は出来ない。あらぬ期待の末に絶望するのは大智の方だからだ。
でも、今は。今だけは――。
「抱いて……。セリオの精液、くだ……さ、いっ」
心からの望みは叶えられる。奴隷が唯一、主であるセリオに願える手段。
喉の奥から絞り出された大智の声に、セリオはふわりと表情を和らげて唇に弧を描いた。
「――お前の望みは俺だけにしか叶えられない。我が愛しき奴隷 ……」
恭しく頬に口づけたセリオは、口角を片方だけ上げると着ていたスーツの上着を脱ぎ捨て、ベルトを早急に緩めた。
黒い上質な生地で仕立てられたスラックスの中央ははち切れんばかりに膨らみ、その解放を待ち望んでいた。
それは、それまで抑えこんでいたセリオの想いを顕著に表していた。
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