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「離婚だぁぁぁぁ!」  爽やかな朝の光が差し込むリビングのドアを開けて大智が叫んだ。  いつものようにリビングのソファに腰かけて英字新聞に目を通していたセリオがわずかに視線を上げた。 「朝から何の騒ぎだ? 大智、おはようのキスを……」 「キスだと? そんなものするわけないだろっ! セリオ、お前……どこまで鬼畜なんだよ」  怒りがおさまらないと言わんばかりに地団太を踏みながら叫ぶ大智を見てもさほど驚いた様子も見せないセリオ。  長い脚を優雅に組み替え、新聞に視線を戻した彼に対し、大智の怒りは頂点に達した。 「俺が大切にしている物だって分かって捨てるとか……。どこまで最低な男なんだよっ」 「大切な物ならば肌身離さず持ち歩けばいい」 「こんなもの持ち歩けるかっ!」  ヒョウ柄のガウンを纏い気怠げに大智の方を見つめるセリオと、今にも掴みかからんばかりの勢いで近づく大智。その二人をキッチンから息を呑んで見守るクレト……。  大智はセリオの膝に跨ると、ガウンの襟元を掴みあげて言った。 「――もう、離婚だ! 絶対に許さないからな」  その言葉にすっと灰色の瞳を細めたセリオは、フンッと鼻であしらうと抑揚ない声で応えた。 「出来るものならすればいい。永遠を誓った夫夫は二度と離れられない」 「やってみなきゃ分からないだろ?」  挑むように言い放った大智は、腰を抱き寄せたセリオの手を乱暴に払い退けると自室へと戻り、早々にスーツに着替えてきた。手には通勤用の鞄が握られている。 「クレト! 俺、もう行くからっ」 「えぇ! 大智さま、朝食は……」 「いらない。こんな男と一緒に食べたくない! じゃあ、行ってきます!」  ドカドカとわざと足音を立てて廊下を歩き、玄関ドアを叩きつけるように閉めた大智は、悔しさに涙を滲ませていた。  *****   「――で、どうして俺が夫夫喧嘩したお前につき合わなきゃいけないんだ?」  バーカウンターで水割りの入ったグラスを傾けながら大智を睨んだ伊藤は、呆れたように大きなため息をついた。 「俺の先輩だから?」 「はぁ? 意味がわからない」  魔王セリオと正式に婚姻を交わし、今や魔界の王妃となった大智。しかし、たとえ夫夫であっても許されないことはある。 この街から離れたくないという大智の意向で、今までと変わらずマンションに一緒に住み始めたセリオだったが、結婚してからというもの彼の束縛は今まで以上に激しく、そして厳しいものへと変わった。 それに耐えきれなくなった大智は寝室を別にした。かといって夜の営みがないわけではないが、少しでも自分の時間が欲しかったのだ。 そもそも魔族と人間とでは価値観も生活環境も違う。それが一つ屋根の下で仲良く暮らせるはずがない。 幸い、大智とセリオの間にはクレトという緩衝材が存在する。彼のお蔭で、今までは何とかやって来れた。 しかし――。ついに大智の堪忍袋の緒が切れた。 愛があって結ばれた二人でも、夫夫喧嘩は起こるべきして起こる。大智の場合は、それが今日であっただけのことだ。 「――さっさと帰れよ。新婚だろ」  伊藤がうんざりした顔で大智を覗き込むと、ムスッと頬を膨らませた不機嫌な様相のままで応えた。 「絶対に帰らない! アイツが土下座するまで許さない」 「おぅおぅ。魔王様に土下座しろってか……。桐村がそこまでご立腹なのは相当だな。まさか、浮気した……とか?」 「違いますよ。浮気は絶対にしませんから」 「じゃあ、なんだよ……。俺、早く帰りたいんだけど」 久しぶりに早く仕事を切り上げ、行きつけのバーでゆっくり酒でも飲もうかと思っていた伊藤を半ば拉致するかのようにこの店に連れ込んだのは大智だ。 今朝、いつもより早く出社した大智は、不機嫌を絵にかいたような顔で自分の席にドカリと座り込んだ。それを見た営業部の面々は、王妃のプライベートなことに触れてはいけないと、大智の顔色を窺いながら当たり障りのない会話をしなければならないという苦痛を強いられた。 王妃になっても社内では新卒だ。それなりの仕事は与えられる。 それにも拒絶反応を示すかと思えば、大智は意外にも自ら率先して業務に励んでいた。大智の機嫌の悪さと仕事の効率は反比例する。 その理由は――少しでもセリオの顔を思い出したくなかったから。 「今夜はずっと付き合ってください」 「ヤダよ!――ったく、面倒くさいなぁ。一体何が原因で喧嘩したんだよ」  大智は手にしたグラスを一気に煽ると胡乱な目で伊藤を見つめた。勝ち気な栗色の瞳が薄っすらと赤みを増していく。セリオの精を受け、徐々に魔族化している証拠だ。 「聞いてくださいよ! 俺のお宝を捨てたんですっ」 「――は?」 「愛蔵版だったんですよ! 限定販売のっ! 今はもうどこを探しても売ってないんですよ」  カウンターを拳で叩いて力説する大智に、伊藤は電子煙草を咥えながら茫然としていた。 「苦労して手に入れたのに……。「こんなものは必要ない」とか言って捨てたんですよっ。信じられます?」 「あー。もう、うるさいなぁ。一体何を捨てられたんだよ……。マンガか?」 「違います!」  ムキになって怒る大智を制したいのはやまやまだが、彼に触れることは許されない。  伊藤はため息交じりに吸い込んだ煙草の蒸気を吐き出して、ポリポリと頭を掻いた。 「もう、二十三歳の社会人なんだからさ……。結婚もしたし……いい加減、大人になれよ」 「嫌です! これだけは絶対に譲れません!」 「ぐだぐだ言ってると、魔王様が迎えに来るぞ……」 「来ても帰りませんから!」  大智はムスッとしたまま「おかわり!」とグラスを差し出した。カウンター内では困った顔のバーテンが伊藤に助けを求めている。 「カルピスでも飲ませとけ……」  小声でバーテンに助言した伊藤を、大智が物凄い形相で睨みつけた。 「伊藤さん、何か言いました?」 「別に。――で、何を捨てられてお前は怒ってるんだ?」  前に差し出されたグラスを受け取り、氷と共に揺れる白い液体を不思議そうに眺めてから一気に仰いだ大智は、その甘さに顔を顰めた。グラスの中には本当にカルピスが入っていた。 「これ、アルコール入ってる?」 「ええ……。少しだけ」  半目で絡むように問うた大智に、バーテンは苦し紛れの嘘を吐いた。  タチの悪い酔っ払いを手っ取り早く納得させるためには必要な嘘だった。 「入ってるならいいや!」 「はいはい……」  いつもよりもかなりピッチが速い大智はすでに酔いが回っていた。身体は魔族に変化していても、アルコールには対応出来ていない。  伊藤の方を見るたびに視界がぐらりと揺れる。それでも大智は、思い出すだけで腸が煮えくり返る思いを先輩である伊藤にぶつけた。 「伊藤さん! 聞いてください! 俺の宝物……『巨乳de制服パーティーEX』を捨てられたんです!」  大智の言葉に、伊藤もその場にいたバーテンもフリーズした。一瞬、静まり返った店内――いや、固まった二人の耳に再びBGMが流れ込んだのは数分後の事だった。  息を詰めていたせいか大袈裟に息を吐き出した伊藤は、吸いかけの煙草をケースにしまうと、スツールからゆっくりと立ち上がった。 「――俺、帰るわ」 「待ってください!」  伊藤の上着の袖を掴んだ大智は涙を浮かべながら言った。ここで伊藤に逃げられたら、大智を救ってくれる人は誰もいない。 「俺、この手……離しませんから。セリオにお仕置きされてください」 「ヤダよ! 離せ!」 「じゃあ、付き合ってください! 大切にしてたDVDを捨てられたんですよ? 俺って可哀相じゃないですか?」 『巨乳de制服パーティーEX』――初めて耳にした伊藤だが、どう考えてもアダルトビデオのタイトルにしか聞こえない。  新婚で、しかも花嫁がそれを隠し持っていたとなれば、夫であるセリオが逆上して捨ててもおかしくない。  自分以外の女性の裸で自慰をされたとなれば、魔王としての立場はない。  その気持ちが痛いほど分かった伊藤は、上着を掴んだままの大智を睨みつけた。 「――それは、全面的にお前が悪い。結婚したのに、そんなもの見るなっ」 「じゃあ、伊藤さんは見ないんですか? 結婚してもAV見ないんですかっ」 「俺は見る! お前とは違う」 「何が違うんですかっ。俺だって見たいんです! 巨乳、好きだし……。制服プレイ好きだし……」  大声で叫ぶ大智に、バーテンが周囲を見回して他の客の様子を窺う。  伊藤は「悪いな」と顔を顰めて謝ったが、隣では「無視された」と大智がまた絡む。  大智がここまで酔ったのは初めてだった。余程、そのDVDを捨てられたことを根に持っているのだろう。  この世界を統べる魔王と結婚し、未来永劫不自由のない生活が保障されているにも関わらず、じつに人間くさい事を言う大智。伊藤は先輩として、そんな大智が好きだった。  高飛車になるでもなく、その地位や権力を振りかざすでもない。今までと何一つ変わらない大智にホッとしていた。  でも――。 「――そんなことで世界の統治者と喧嘩するな」  あっさりと一喝された大智はショックのあまり目に涙をためて鼻を啜りあげた。 「伊藤さんは俺の理解者だと思ってたのに」 「理解したくないわ。AVで魔王様と喧嘩するヤツなんか」 「冷たいんですね……」 「呆れてるんだよっ。そのくらい察しろ、ゆとり小僧」  何を言っても手を離さない大智に根負けした伊藤は、渋々スツールに腰を落ち着けると、バーテンにおかわりを注文した。  そして、大智の柔らかな栗色の髪を優しく撫でながら、落ち込んで俯いている彼を覗き込むように顔を傾けた。 「――あのなぁ、桐村。お前はこの世界中の奴らがいくら望んでも手に入らないものを手に入れたんだぞ? それは実に尊くて、美しいものだ。それとAVを天秤にかけるのはどうかと思うぞ? 魔王様はお前を愛してるからこそ嫉妬するんだろ? 花嫁が見知らぬ女の裸で抜いてるなんて知ったらショックだろうよ。こんなに愛してるのに、桐村を満たせていないのか……って。俺だったら絶対萎える……チ〇コ勃たないな」 「伊藤さん……」 「でもさ、魔王様はお前を満足させてくれるんだろ? 自分のチ〇コはAVを越えられるかって……いつも挑み続けている。そこをさ分かってやれよ」  カウンターに差し出されたグラスを掲げてから、店の遠くを見据えたまま淡々と話す伊藤に、大智は黙ったまま耳を傾けていた。  入社してからずっと伊藤には世話になっている。誰よりも長い時間を過ごす伊藤だからこそ、大智の事を理解してくれている。  そんな彼がセリオの肩を持つのは癪ではあったが、冷静に考えれば伊藤の言い分も一理ある。  セリオは大智を何よりも大切にしてくれる。激しいセックスのあと、意識を失った大智を自らバスルームに運ぶのは彼の役目だ。それに関してはクレトに一切手出しをさせない。  大智の裸を他人に見せるのが許せないらしい。それ故に甲斐甲斐しく世話をする。  セックスの時もそうだ。大智には痛みを与えることは絶対にしない。長い爪が触れようものなら、その姿を変えてまでする。彼の絶倫とも言える巨根が萎えたところを一度も見たことがなかった。  セリオ曰く「お前を見てるだけで興奮する」――らしい。  それほど愛されているにもかかわらず、AVごときで大騒ぎした大智は、自分の浅はかさを徐々に気づき始めた。 「――伊藤さん。俺、どうしよう……」 「え?」 「離婚するって言っちゃった」 「は? マジかよ……」 「多分、怒ってるよね……。セリオ、短気だから……」 「素直に謝るしかないだろ……。お前が悪いんだし」  先程までの勢いはどこにいった? というほど、大智は項垂れたまま小声でボソボソと呟いた。  その姿があまりにも心もとなく、憐れに見えて仕方がない。罪に気づき、反省することはいいことだが、まさかここまで落ち込むとは思ってもいなかった。 「許してくれるかな……。セリオ……」 「大丈夫だって! お前を許さないわけないだろ」 「でも――」  極端すぎる感情の起伏に翻弄される伊藤と不安げに見守るバーテンの間で、大智は猛烈な不安に駆られていた。  もしも、本当に離婚されたらどうしよう――と。  自分だってセリオを愛している。彼がいなければ生きていけない。  こんなつまらないことで彼を失ったとなれば、死にたくても死ねない。 (――あ。俺、魔族だから簡単に死ねないんだっけ)  今更ながらそんなことを思い出したりした大智は、上着のポケットの中からスマートフォンを取り出して、画面をじっと見つめた。  アドレスを呼び出して発信ボタンを押すだけ……。  それなのに、指が思うように動いてくれない。 「魔王様に迎えに来てもらうか?」  伊藤の問いかけに、大智は唇を噛んだまま首を横に振った。  こういう時にばかり発動するゆとりのプライド。これほどつまらないものはないと分かっているのに、どうしてもセリオに甘えることが出来ない。 (ベッドの上では素直になれるのに……)  大智がガックリと項垂れたままフリーズした時、店の入口のドアが開き、客の来店を知らせるベルが鳴った。 「いらっしゃいま――せ」  カウンターの中から顔を上げたバーテンの動きが止まる。それに気づいた伊藤もドアの方に顔を向けた。 「――少しの間、いいか?」  艶を含んだ甘く低い声がフロアに響いて、周囲にいた客たちが一斉に息を呑んだ。  そして、その声に弾かれるように顔を上げて振り返った大智は、涙目でその声の主を見つめた。 「セリオ……」  シックなダークグレーのスリーピースに身を包んだ長身の男。纏う香水は甘く、薄い唇に湛えた笑みさえも美しい。 「我が花嫁が迷惑を掛けたようだな……」  カウンターに片腕をついて身を乗り出す様にバーテンに問いかけたセリオは、ちらっと大智の方に視線を向けると小さくため息をついた。 「スタッフだけでなく伊藤にまで絡んだのか? まったく……仕方のない奴だな」 「――うるさい! 誰のせいだよ」  心とは裏腹に毒を撒き散らす大智を目を細めて見つめたセリオは、長い前髪をかきあげて言った。 「帰るぞ。ここにいると他の者にも迷惑を掛ける」 「イヤだ! 帰らないっ」  伊藤の上着を掴んだまま、頑なにその場を動こうとしない大智に、セリオはゆっくりと近づいた。そして、胸ポケットから白い封筒を取り出すと、茫然としている伊藤に差し出した。 「――すまなかったな。終電を逃してまで付き合ってくれたのだろう? 足りなければ連絡しろ」 「え、いえ……。そんな、滅相もございません!」 「大智はお前を信頼している。この俺よりも――な」 「そ、そんなことは……絶対にありえませんって!」  心なしか伊藤の声が震えているのは、緊張と興奮、そしてセリオが纏う畏怖のせいだ。  これほどセリオを近距離でいたことは初めてで、同じ男でありながらあまりの美しさにしばし見惚れていたほどだ。改めて、後輩の夫の凄さにビビっていた。 「――大智は俺が連れて帰る。お前も気をつけて帰れ」 「あ、ありがたきお言葉! ――桐村、そういうことだからっ! じゃあ、あとはよろしくお願いします」  大智が握りしめていた上着から無理やり手を引き剥がすと、セリオから封筒を受け取り、脇に置いていた鞄を勢いよく掴んだ。カウンターに数枚の札を置き、まるで逃げるかのように店を出ていく伊藤の背中を信じられない思いで見ていた大智は、自身の背後に立ったセリオを肩越しに睨みつけた。 「買収するとか、最低だな」 「俺は魔王だぞ? それくらい当然だ」  セリオは大智の腰に両手を回し、身を屈めて髪にキスをした。 「絶対に許さないんだからなっ」 「機嫌を直せ……大智」 「ここではゆっくり話せないだろう? お前の言い分は家で聞いてやる。帰ろう……」  不安げに様子を窺うバーテンの視線に気づいた大智は、腰に回したセリオの手を払いのけると「ご馳走様」と言いながらカウンターに代金を置いた。  深々と頭を下げたバーテンにセリオがなにやら耳打ちしていたが、大智は構うことなくドアの方へ向かい店を出た。    *****  半ば強制的にマンションに連行された大智はセリオの寝室にいた。  大智とセリオの狂乱な初夜のせいで改修を余儀なくされた部屋は、大智の好きな色を基調にした実にシンプルで上品なインテリアに仕上がっていた。  天蓋はないが、長身のセリオと寝相の悪い大智が一緒に寝ても余裕の広さを誇るベッドは、マットレスの硬さから材質に至るまで徹底的に考慮されている。 大智が快適に眠れるようにとセリオが特別なオーダーを出して作らせた。 間接照明に照らされた部屋の中、そのベッドの端に腰かけて黙り込んだままの大智は、少し離れて座るセリオの方をチラチラと窺っていた。 スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めたままの姿で足を組んで座る彼は、いつ見ても男らしく美しい。 思わず見惚れてしまい、ため息が出そうになるのを必死に堪えたまま膠着状態が続いていた。 長い沈黙――それに耐えられなくなったのは意外にもセリオの方だった。 「――まだ怒っているのか?」  大智は顔を背けたまま「うん」と小さく頷いた。  たかがAV、されどAV。大智にとって、セリオと出会う前から大切にし愛着のあった作品だ。 「もう……入手不可能だから」 「大智。お前は――俺とセックスするよりも女の裸を見ていたいのか?」 「違っ! そういうんじゃないんだよっ」 「何が違うんだ? 俺はそのAVの女よりも劣っているのか? ――大智がそう思うのであれば仕方がないな。俺は大智の一番にはなれないという事か」  セリオの低い声にはいつものような張りが感じられない。伊藤の言うとおり、彼もAVと比べられて傷ついているのだろうか。  傲岸不遜で自分の言う事は絶対――というセリオ。そんな彼の鋼鉄のプライドをいとも容易く突き崩したのは、AVという世俗的なものだった。  大智はセリオとのセックスが大好きだ。大きな液晶画面で男女のカラミを見ても、快感を与えてくれるのは自身の右手だ。お互いの顔を見て、体温を感じ、絶妙なタイミングで繋がって快感を得るセックスとは違う。  その行為に愛があるか否かと言えば、後者に勝るものはない。  何より、AVを見終えた後の虚無感は何物にも耐えがたい。大智はそれが嫌いだった。  セリオと体の関係を持つようになって、それはより顕著になっていった。でも、自分の性癖の理想とも言える作品を手放す気にはなれなかったというのが本音だ。 「――違うって言ってるだろ」  大智はセリオの方を向いて声を上げた。 「違うって……。セリオは一番だよ。誰もお前の代わりになれる人はいない」 「じゃあ、なぜ――」 「男の……ロマンってやつだよ」  大智の言葉に、セリオは一瞬ポカンと口を開けたまま呆けたが、すぐに我に返ると小さな咳払いを一つして、大智との距離を詰めるようにシーツの上で尻を滑らせた。  急に近づいてきたセリオに警戒した大智だったが、その気配、香り、そして何とも言えない心地よさを感じて逃げることが出来なくなった。 「じゃあ――。俺が巨乳になって、お前の望む制服を着用すれば問題はないということか?」 「は? いやいや……セリオは男だから巨乳にはなれないしっ」  突拍子のない事を言い出した伴侶に力なく笑って返した大智だったが、すぐ隣に座ったセリオの目は真剣そのものだった。 「――俺を誰だと思っている? 体を変化させることぐらい簡単にできる」 「ちょ……っ。ちょっと待って! まさか本気で巨乳になろうとか思ってないよね?」  慌てた大智はセリオの筋肉質な腕を掴んで声を荒らげた。 「俺に叶えられないお前の望みはない……」  セリオは自身の体に力を満たし始める。真紅に変わった灰色の瞳が大智を見つめたまま、部屋に充満し始めた黒い霧に体を委ねる。  このままではセリオは本当にやりかねない。花嫁の望みを叶えるために巨乳になる――それが世間に知られれば魔王としての権威を失い、王家の品格も疑われる。 セリオの魔力が徐々に高まっていることを知った大智は、なりふり構わずセリオをベッドに押し倒し、薄い唇に自身の唇を押し当てた。 驚きに瞠目したセリオは恐る恐る大智の背中に手を回すと、優しくその体を抱きとめた。 「――やめて!」  キスを繰り返しながらそう呟いた大智の目には大粒の涙が溢れていた。 「セリオが巨乳になる必要がどこにあるんだよっ」 「どこにって……お前が望むことだろう?」 「違うって! 俺はお前が巨乳になることなんて望んでない! 俺はただ……」  ふっとセリオの畏怖を纏った気配が消え、大智は頬に涙を光らせたまま言った。 「――ごめん。俺が悪かった」 「大智?」 「セリオっていう、世界にたった一人しかいない最愛の男がそばにいるのに……。俺、どうかしてたよな? AVとセリオなんてハナから比べられるわけないじゃん! 俺、セリオと出会ってなければ今頃何をしていたんだろうって考える時がある。もしも、セリオが別の花嫁と結婚して幸せになっていたらって……。俺で本当によかったのかな? 俺はセリオを幸せにしてあげてるのかな……て。出逢わなければ、セリオの運命を狂わせずに済んだのかも……って」  大智はセリオの厚い胸板に頬を寄せ、そこが自分にとって一番安心できる場所であることを知る。  伊藤との時間はもちろん楽しい。だが、心の底から愛すべき人の体温を感じられること――それこそが幸せだと気づく。 「別にさ、セリオが制服着た巨乳じゃなくてもいいんだよ。だって……お前の存在自体が俺の性癖みたいなものなんだから」  そう言ってから顔が熱くなるのを感じた大智は、セリオに顔を見せないように更に顔を胸板に押し付けた。ふわりと香るのはセリオの香水だけじゃない。魔王が持つ特別なフェロモンに大智の思考もゆったりと穏やかなものへと変わっていく。  それは永遠に共に生きることを誓った者にしか分からない、見えない呪縛――。 「セリオ……」 「――お前との出会いは偶然じゃない。きっと運命だった……。そうでなければ、これほど愛おしいと思う気持ちが俺の心に宿ることはないだろう。大智の気配、香りを感じられない日など想像できない。気が狂いそうだ……」  セリオの手が大智の肉付きの薄い尻をスラックスの上から鷲掴む。その弾力を確かめるように撫でるたびに、大智の体が熱くなっていく。 「やだぁ……セリオ」  モゾリと腰を揺らした大智にセリオは嬉しそうに微笑むと、涙の跡が残る頬に何度も口づけた。 「俺たちが出逢うのは運命だった――。そうだろう? 大智……」 「きっと、そう……」  セリオの艶のある美しい顔を見上げ、大智はうっとりと目を細めた、その栗色の瞳は赤みを増し、唇の端からは短い牙が見え隠れしていた。  背中の肩甲骨のあたりがむず痒いのは、おそらく翼が育てきた証拠だろう。  まだ生え始めたばかりの牙をセリオが舌先で触れる。たったそれだけで、大智は熱を逃がすかのように吐息した。 「――堪らない。可愛い……可愛くて仕方がないっ」 「セリオ……ごめんね。もう、AVなんか見ないから……俺をいっぱい愛して」 「もちろんだ。お前が望むなら制服を用意させてもいい。そういうプレイもまた楽しそうだ」 「JKの格好で犯されちゃうの? 俺……」  重なった身体の下でセリオの股間が急激に膨らんだ。大智はその場所を愛おしそうに撫でながら喉の奥で笑った。  自分の事をどれだけ愛してくれているか――そこに触れるだけで分かる。  クレトの瞳の色に似た青いシーツを手繰り寄せ、セリオの唇を貪る様に吸う。絡んだ舌が小さな水音を立てては糸を引き合う。  大智の身体はセリオに抱かれたまま逆転した。真上に漆黒の髪を乱して見下ろすセリオの顔がある。 「――お仕置きして。ワガママな花嫁に……いっぱい、お仕置きして」  誘うように舌を見せた大智に応えるかのように、セリオの瞳が赤く燃える。 「その可愛いお口でちゃんとオネダリして……」 「ん――。愛してる……セリオ」  大智の囁きに感極まったかのように震えたセリオは、彼の着衣を脱がし始めると自身もネクタイを解いた。  象牙色の牙を見せつけるように笑うと、大智の首筋に噛みつく様にその牙を押し当てた 「愛しすぎて……壊してしまいそうだ」 「壊して……。俺のつまらないプライドを……粉々に壊して。お前だけのモノだって……証明して」 「大智……。大智……愛しい」  セリオの大きな手が大智のワイシャツを脱がし、胸の突起を優しく愛撫する。  その熱が大智の身体も心も蕩かしていく。  魔王の寝室――惹かれあった二人の吐息が散らかるのはもうすぐ。  衣擦れの音が激しさを増す。同時に部屋の照明はゆっくりと落とされ、闇だけが二人の愛の囁きを聞いていた。  ベッドから少し離れた場所にあるテーブルの上に無造作に置かれたスマートフォンがぼんやりと明かりを灯す。  ボディは所々が削れ、痛みも激しい。液晶画面には細かなヒビがクモの巣のように広がり、はっきりした画像は映らない。  しかし、そこに映し出されていたのは栗色の髪と瞳を持つ幼さを残した青年の姿。  桐村 大智(23)  株式会社 Yコンサルティング勤務  魔王セリオ様との相性――データ史上最高値  出逢う確率――超レアキャラの為、ほぼ不可能。  不可能を可能にする愛の偉大な力。  魔王と人間。種は違えど、二人は出逢うべくして出逢い、結ばれる運命――だったようだ。  Fin

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