5 / 9

第5話 国が望む甘い蜜

 タイヤを鳴らすことなく静かに車が横付けされた一軒家に灯りはついておらず、人の気配も感じられなかった。   「あれ? 親御さん、ご不在?」 「あー、今忙しいらしいから。今日も残業かも。大丈夫、もうちょいしたら帰ってくるのがパターンだから」  心配そうに後部座席の双子を振り返った山岡の部下に、烈が念押しのようにいつものことだからとくり返した。 「言ってくれればテイクアウトできるものを用意したのに」 「ありがとうございます。でももし残業じゃなかったら、それどうするのー? って怒られちゃうと思うし! 送っていただけてラッキーでした!」 「この程度、当たり前よ。あんなことがあったのに二人を歩いて帰らせるなんて絶対にできない。室長から言われなかったら、私志願したわ」 「もう、佐久間さん過保護だなぁ」 「そりゃそうよ。私はオメガ性だし、娘もオメガ性の可能性が高いの。他人事じゃないわ……それに貴方達は、ね……ごめんなさいね」  ごめんなさい、の言葉の裏に突っ込むことはせず、二人は再度礼を述べて車を降りた。  二人が暗い中玄関の鍵を開けるまで低いエンジン音が響き続き、屋内から灯りが洩れて数秒のあとその重いエンジン音は穏やかに遠ざかって行った。 「ねぇ、佐久間さんにはああ言ったけどさ、ホントに二人とも仕事だと思う?」  先に上がった律へ冗談めかした声音で烈が問う。  それを受けて、律はネクタイを緩めながら、バスルームの灯りを探りつつ言葉を返す。 「昨日帰って来たばかりなのに、また今日から二泊三日の出張の父さんに新しいプロジェクトに参加が決まって朝まで忙しい母さんね……さすがにムリがあるでしょ……特に母さん」 「ねー、パートだよ? 正社員に引き上げられたわけでもないしさ。それに俺見ちゃったんだよね」 「んー? 何を? 男とホテル入るトコ? 出るトコ?」 「どっちも! あと俺らの生命保険とバース保険増えてる。んで、なんだっけ? 学資保険? アレ、解約されてる」 「マジで! あはっ! ウケる! 俺ら(オメガ)産んだせいで散々親類縁者から文句言われたって言ってたから多少のことには目を瞑ろうと思ってたけど、保険金狙われてちゃたまんないね」 「だよなぁ……あと大学は行きたいじゃん? 俺らの計画のためにもさ」 「だね。オメガは高校卒業したらさっさとアルファに嫁げ、学は要らん! っていう旧時代のアレかな? いや、その前に殺される……? ま、その辺もちょいちょい調べて山岡さんにどうにかしてもらおう。んで? 烈はいつまで玄関で喋ってるの? 早くシャワー浴びてアイツらの臭い落とそうよ。吐きそう」 「ほーい」   烈が脱衣所に入った時には、既に律は浴室で頭からシャワーを浴びていた。  ふわりと漂うシャンプーの匂いに混じって甘い律の匂いがする。  バサバサと慌ただしく服を脱ぎ、もどかし気にネックガードを外して浴室へ勢いよく飛び込むと濡れた床で体勢を崩した烈の腕を律が笑いながら掴んだ。 「すげ。目ぇ閉じてんのに見えてんの?」 「いーや。烈は毎回こうなるから学習したの」  きめ細かな皮膚に覆われた緩やかな肩や腰が水滴を弾くサマはいつ見ても、何度見ても美しかった。  何より目を引くのは普段はネックガードに隠されて見えない(うなじ)だ。  烈は誘蛾灯に寄せられる憐れな虫のように律の頸へと鼻先を寄せた。 「烈、くすぐったいって。ほら、お前も早くアイツらの臭い消して」 「残念。でも、確かにアイツらの臭い、邪魔……てか律の方がヤバいって。アルファ五人分の一気に浴びたっしょ?」 「密室だったしね……」  洗い流しては再びシャンプーボトルに手を伸ばす律の横で烈はボディソープをタオルに適量取り出し、泡立ても適当にゴシゴシと豪快に自らの腕を擦り出す。 「あ、ごめん。烈も先に頭洗いたかったよな?」 「んにゃ、良いって。とにかく早くアイツらの臭い取っちゃおうって。時短、時短!」 「……時短して、ナニするの?」  三回目のシャンプーを掌に受けながら律が笑う。  ふふ、と笑いながら烈は触れるだけのキスをして、律の肩にそっと両手を置いて立ち位置を変わらせた。足元を流れてゆく白い泡は烈からすれば汚らしいアルファ達のフェロモンを含んだただの塊としか思えなかった。 「ねー、律? 俺まだ臭う?」 「んー? 俺が臭うから解んない。鼻がバカになってる」 「んじゃ、もっかい洗っとこ……あとで臭うからオアズケ! とか言われたらマジ泣く」  軽口を叩いて再び律を温水の下に戻した烈は、再び泡立てたタオルを手に綺麗なカーブを描く律の背中を流れ落ちるアルファの名残を眺めていた。  万が一は、ない――それでも最悪を考えてしまう。  もし万が一、威嚇フェロモンの効かない“普通ではない”“自分達よりも強い”者が現れたら……?   犯される? 押さえつけられ、望まぬ性液を(はら)にぶちまけられ、剥き出しにされた頸に歯を立てられて一生見えない鎖に繋がれる? ああ、ゾッとする。吐きそうだ、吐きそうだ、吐きそうだ――アイツら、見せしめに殺しておけばよかった。  歪んだ思考に(ふけ)る烈の顔をザァっと温かな湯が流れ落ちてゆく。驚いて濡れた手で顔を拭って目を開けると、やや不満そうに少しだけ唇を尖らせた律が烈を睨んでいた。 「やめろよな、ヤバいこと考えんの。考えても良いけど、その、匂い……抑えて……」  我慢できなくなる、と目を逸らした律の下半身はその存在をここに来て主張し始めていた。 「良くない? もう、さ、ココで。我慢する必要なんかないじゃん、どうせ帰ってこないんだし」 「でも、響くから……声……それに俺、まだ身体洗ってない……アイツらのにおっんぅ!」  歯切れの悪い拒絶を唇で塞ぎ、滑り込ませた舌先で律の上顎をぞろりとなぞれば、律は持っていたシャワーヘッドから思わず手を離してしまった。床の上で横向きに湯を吐き出し続けてくれるおかげで二人の足元は変わらず温かく、急速に身体が冷えてゆくことはなかった。  味蕾が触れ合い、脳の近くで繰り返し聞こえる唾液の混ざり合う粘った音に若い二人の理性は簡単に消えてゆく。  息継ぎのタイミングも、どこを触って欲しいのかも、口にせずとも悔しいほどに伝わるのはさすが双子ということか、といつもより少しだけ荒っぽい烈の接吻(くちづけ)を受け止めながら律はそっと烈の腰へと腕を伸ばした。 「何? 煽ってんの? 誘ってんの?」 「どっちも。欲しい、早く」  潤んだ目で烈に囁きかけるこの姿こそ、あの惨めなアルファ達が見たくて見たくてウズウズしていたモノだろう。そう思うと烈は喉が締められるような激情と圧倒的優越を感じた。   「烈も欲しいだろ?」  解っているのはお互い様だと言うように、律は腰に当てていた手をゆっくりと動かし、既にしっかりと勃ち上がっている烈の欲望を掌で包む。  う、と短く呻いた烈が可愛く思えて、律は望まれているだろう動きとは少しテンポとスピードを落として扱く。 「素直になったら、オニーチャンがご褒美あげる」    いつの間にか耳元に移動していた律の唇が、烈の耳朶を甘く喰みながら媚薬のような言葉を流し込んでくる。それに抗えるほど烈は大人ではなかったし、争う必要すらもはや感じていない様子だった。 「ご褒美ちょうだい? オニーチャン?」  決して脱がなければ誰の目にも留まらぬ肩先にキスマークを一つ。  その刺激にさえ敏感になった律の身体は大袈裟に拾い取ってしまい、思わず烈の分身を握る手に力がこもり、再び烈は少々違う意味で呻くハメとなったのだった。 「ごめんごめん……これ、お詫びね?」  妖艶に微笑む律は全身から甘い匂いを放出しながら、スッと烈の視界から消えた。  柔らかく湯の流れ続ける床に膝をついた律の口から伸ばされた舌が、時に包むように時に弾くように烈の分身を弄ぶ。思わず壁に手をついて快感に耐える烈の目を見据えたまま、愛おしくてたまらない様子で鼻先を下生えに埋めた律の頭をそっと烈は撫でた。  粘る透明な雫を舌先で繰り返し掬い舐める姿は子猫のようで、烈の中に存在して消えない庇護欲を掻き立て、背中合わせの劣情に快感と相まって上手く脳が働かなくなるのだ。  バスルームは丁寧な口淫と快楽を耐える烈の噛み殺した吐息と流れ続けるシャワーの音で溢れていた。  同刻。  菅原兄弟を送り届けた佐久間からの報告を受けた山岡は疲れから目頭をガシガシと揉みほぐしながら溜め息をついていた。 「……いつものこと、ね。なるほどこちらからの電話にも出ないわけだ。おそらく登録すらしてないんだろうな」 「早急に二人を保護した方がよろしいのでは?」 「実は烈くんがポロッと、ね。高校を卒業したら政府機関で最適の相手を見つけるからと申し出た時にね……自分達は大学には行っちゃいけないのかって。すごく(しょ)げた表情(カオ)をしていてね……俺は何も言えなかった。あの子達は進学の話すら親に聞いてもらえていないのかと思ったよ。だけどその時の俺はあくまで管理局の人間として番の件を話していたし……あぁ、でも言ってやれば良かった。行きたいなら行けば良いって。行って良いんだって。彼らの卒業と同時に、彼らと全く同じ条件の存在を可能ならばこの国の中で見つけるなんて、いくら内閣府でもムリだろう? まだバース反応が出る年齢じゃないのかも知れないし、そもそも産まれてさえいないのかもしれない」 「……そうですね……彼らは特殊ですから……でも、特殊だからこそ我が国にとって価値がある、か……」  佐久間の声も山岡と同じく重たかった。  山岡のデスクの上に広げられたファイルの一つを手に取ると、飽きるほど見直したページをめくる。  ※極秘事項  菅原律及び菅原烈に関して。  菅原律――保有アルファ因子四十八パーセント。保有オメガ因子五十二パーセント。(両因子とも誤差を含む)  菅原烈――保有アルファ因子五十二パーセント。保有オメガ因子四十八パーセント。(両因子とも誤差を含む)  菅原烈に関してはアルファフェロモンの完全なるコントロール可能状態を当局第二性専門医師の元において確認済みであり、今後の菅原律の身の安全を懸念し彼を保護するため、オメガ性と公称することを極秘裏に認めるものである。  アルファ因子とオメガ因子をほぼ同率で保有するは未だ未確認であり、一般的なアルファ性を凌駕する特異フェロモンの発動は今後我が国の立場を優位にせしめる可能性があると認め、管理局は菅原律・烈両名の保護を最優先にすることを命じる。また、ネックガードは軍事用素材を用いた耐久性に優れた物を支給することとする。  高校卒業後は交友範囲を狭めるため、第二性管理局にて就職という形で身柄を保護すること。昇進等に関しては特筆なし。適時能力に応じた対応をすること。当人の進学の意思が強ければ例外を認める。  婚姻・番に関しては内閣府の承認の元が望ましい。同等、もしくは限りなく近い因子数値を持つ者を番としてあてがい、突然変異型と思われる因子保持者を遺伝型へと定着させること。 「何回見ても内容は変わらないぞ」 「知ってます……何回見ても……胸糞悪い内容ですこと。あの子達の意思は無視ですか? あの子達は実験動物ですか? 国に蹂躙されてしかるべき存在ですか? 保護保護って、そのあとの甘い蜜は国が吸うから管理局(ウチ)は手を出すなってバカにしてる」 「あぁ、バカバカしくてヘドが出る……それでも……こんなことを言う俺を軽蔑してくれてかまわない。彼らは俺達オメガ性の希望だ」  思わず口を開けて山岡を見てしまいそうになった佐久間はファイルで顔を一旦隠し、頬を引き締めてから山岡のデスクへとファイルを戻した。 「そう、ですね……ところでお子さんはお元気ですか?」 「元気だよ。今はアメリカだったかな? アイツ多分研修だとか思ってないよ。投稿画像が飯と観光地ばっかりなんだよ……公式アカウント使っていないだけまだ大丈夫かな、とは思うけど我が子ながらおバカで困る」  苦い表情で叱言(こごと)を洩らす山岡の目は柔らかく、佐久間は室長の椅子を自らの能力のみで掴み取ったオメガ性の上司に対して抱いていた尊敬の念を思い出していた。   「それはネットを通して元気にやってるわーって言うメッセージでしょう? 外務省ですしね。なんのかんので外を知るのは良いことですよ。あちらはバース先進国でもありますし、色々と吸収して帰って来てくれますよ」 「だと良いねぇ……うちのお転婆やそれこそ律くんや烈くんがこの国の中枢に立った時、今よりももっと生き易い世界になっていることを願うばかりだよ……」 「そうですね。私の娘もオメガ性かもしれないんです……まだ小さくて数値検査できないんですけど。だからこそ……私も言います……彼らは私達の希望です」  先程戻したばかりの味気ない青いファイルに貼られたシールを見遣る。  ――突然変異種フェロモン混在型 CODE:Chimera――

ともだちにシェアしよう!